デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



有名なシーンさえ知っていれば、本編を見なくても話題には困らないので、そのまま本編を見ないままで終っているという映画って、多かれ少なかれあるのでは?
何を隠そう、私の場合『雨に唄えば』(1952)がそういった作品の一つだったのだ。それも、『踊る大紐育』『錨を上げて』『巴里のアメリカ人』は見たことがあったのに、『雨に唄えば』の方を全編通して見た事がなかったのである。
『雨に唄えば』での私が覚えた興味は、作品が映画界でトーキー導入の時代を描いていること、トーキーへの手探りやそれに付随する混乱までも笑いにかえてしまっているセンスである。映画制作の舞台裏、とくに舞台装置や照明技術、大道具や美術を堂々と当たり前の背景として用い、それを舞台として、物語が進行して行くという作品は、『雨に唄えば』の前に存在していたのだろうか?
作品は、俳優というのは、歌って踊れて演技ができてこそ一流であるという概念をビシッと示してくれているように思う。観衆に夢を見させてくれる演出・制作の手腕はズバ抜けている。すごいことを笑いながらさらっとやってのける、そんなプロの俳優の姿が存分に楽しめる映画だった。

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