デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



昨日の金環日食、一瞬だけ見上げただけでも、それと分かった。

金環日食が起こるメカニズムについて物理のことも少し思ったこともあり、先日読み終えた湯川秀樹/梅棹忠雄『人間にとって科学とはなにか』(中公クラシックス)について、思ったことを書いてみる。
対談の中でギリシャを経由してきた科学が現代でも文化的基盤としての特別の成功を収めているという言葉は、普段あまり意識しないけれども、そうだよなぁとは改めて考えさせられた。特別の成功を収めている科学は、大雑把に西洋科学といっていいと思うが、これがなぜゆえにこれほどまでに発展を遂げ続けているのか、という問いは恐らく答えが出ないのだろうけれど、私は知的好奇心の根源的な強さゆえ、としかいえないように思う。
科学で追求したことで出来上がってしまったものが、人類とって危険きわまりないものになってしまうことについて、おもしろい例えがあった。自動車はどんどん速いものができて人命をおびやかす物となっても発展をやめない、自動車を安全にするものやシステムを作る技術の発展は可能だが金がかかるしやっていないという指摘は、実際のところ未だに解決していないものだ。
人間は科学の功罪から逃れられないけれども、功罪を承知の上での世の中をマシなものにしたいならば、発想の逆転こそキーになるんだろうと思う。しかし、功罪で現れた物騒な物や公害を、自然に還らす技術というのは、そううまくできないものらしい、と考えざるを得なかった。

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