11月23日(土)、南あわじ市の二つのお寺にある石碑の採拓にゼミの3年生学生4名を連れていきました。
このうちの1名が、卒業論文の題材に淡路島の石碑を選んだためです。それは森風子さんで、中学校3年生まで淡路に住んでおり、淡路に愛着を持っているそうです。ちょうど良い機会なので、他の学生も誘って、拓本の講習会を兼ねました。
最初に訪れたのは、南あわじ市の広田という場所にある大宮寺(だいぐうじ)の「天明志士の碑」です。
天明2年に起きた百姓一揆で処刑された首謀者たちの慰霊碑です。明治31年になって、彼らの功績を忘れないように改めて建てられた碑で、板垣退助撰文、巌谷一六書という書道史上の価値も大きな碑です。碑の掃除も含めて 1時間ほどで1枚を採り終えました。学生たちは初めての経験も者もいましたが、楽しんでいました。お寺の奥様にもご挨拶して次に向かいました。
次に行ったのは掃守(かもり)という場所にある栄福寺(ようふくじ)です。ここには、幕末の儒学、岡田鴨里のお墓があります。
岡田鴨里(おかだおうり)文化3~明治13(1806~1880)75歳
淡路津名郡王寺村の庄屋、砂川家に生まれ、三原郡榎並村掃守の岡田家の養子となった。名は喬、字は周輔。頼山陽の高弟として活躍した。徳島藩儒官、洲本学問所教授。著書に『日本外史補』などがある。
幕末にたいへん良い仕事をした学者ですが、今は名前さえも忘れられています。ご住職は大変親切な方で、採拓の時にわざわざご焼香の用具を持ってきて読経までしてくださいました。
墓がある場所は寺の隣の丘の上で、竹藪の中なのですが、この日に行く連絡をしておいたら、わざわざ草刈りをして歩きやすくしておいてくださいました。本当にありがとうございました。
墓石は長い間手入れがされておらず、苔がびっしりついていたので、学生たちはブラシできれいに磨きあげてから採拓しました。採拓作業は、実際にお墓の手入れをすることになりますから、たいへん良いご供養になります。岡田鴨里先生も喜んで下さったと思います。
拓本は、この後、意味を詳細に調べて現代語訳し、書としても分析を加えて論文化します。
人が石碑や墓石に文字を刻むのは、それを後世の人に読んでもらいたいからです。この碑を書いた人にとっても、それによって顕彰されている人にとっても採拓はたいへん嬉しいことです。また学生にとっても大事な学習になり、長い時を超えて人の魂と魂を結びつけ、喜びを分け合うことになるのではないかと思っています。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます