7月8日(土)、標記が高松市美術館で開催中で、見学に行ってきました。香川県の故・島田三光先生が一生をかけて収集された約350点の作品が展示されていました。これだけまとめて碧梧桐の作品を鑑賞できる機会は二度とないと思われます。会場内は撮影禁止だったので、入口だけ撮影しました。
約2時間じっくり鑑賞し、とても得るところが多かったです。以前から碧梧桐に私淑してきた私ですので、このような展示会を開いていただいた主催者に感謝いたします。この展示は7月9日(日)15時までです。お見逃しなく。島田三光先生が出版された本が図録として販売され、展示されていた作品の多くが掲載されています。奥様にご挨拶することができ、記念絵葉書もいただきました。
その後に食事をして、屋島の王墓近くの佐藤継信の墓を参拝しました。この名は次信とも書かれます。源平合戦時の屋島の戦いで、源義経の身代わりになって亡くなった、東北地方出身の武士です。義経が東北の藤原氏に身を寄せていた後に、源平戦に参加したのですが、その際に藤原氏から派遣されたのが佐藤継信でした。姓に「藤」の文字が付く人は基本的に藤原氏です。
ここには有名な石碑が2基建っています。一つは初代香川県知事で、後に外務大臣として日英同盟締結や日露戦争の軍費調達にも貢献した林董(はやしただす)の書いた、「佐藤継信神道碑」です。林董はもともと、順天堂を開設した佐藤泰然の子でしたが、東京医学校校長の林洞海の養子になって林姓を名乗った人物です。同姓の佐藤の先祖が自分の着任地で名を残していたことに感動して、この碑を撰書したと書かれています。
また、もう一基は東京に初の中国語学校を作った宮島詠士の揮毫した「佐藤氏念祖碑」です。書道史では張廉卿の書風を習得し、上条信山にそれを伝えた人物として有名です。詠士の父親である山形県米沢出身の政治家、宮島誠一郎が、継信の三十世子孫だった佐藤信古(衆議院議員)から依頼され息子に書かせたものです。撰文は香川県出身で早稲田大学教授、大東文化学院初代教頭だった牧野藻洲 です。
この石碑は拓本をとられて製本され、平成元年に出版されています。現在でも入手可能ですが、高価です。