私は幸いにも人間関係には恵まれていて、
まわりはみないい人ばかりなんですが、
それでもたま~に人との関係でカチンとくる、
ということがある。
そういうときはハラの虫がおさまらず、自分が
怒りを持つことの正当性を心の中であるだけ
並べて「いかに相手が悪いか。まちがっているか」
ということをえんえんと自分自身に納得させて、
相手を責める気持ちを出す。
と、まあ、お恥ずかしい話、こんな感じになるんですが
「自分にも好き嫌いだけで相手を判断するような、
女のイヤラシサみたいな感情が残っていたのか~」と
怒りつつもなぜか一方では冷静な目でもって
自分を眺めてみたりするのであります。
自己啓発ものの本を読むと人間関係&心の法則で、
「相手の心は変えられない。変えられるのは自分の
心だけ」とか、「相手は自分の心の鏡」という言葉が
よく出てくる。
しかしこれを知っていても、実際はなかなか実践は
できない。
私はかなり前からこの言葉を知っていて、
「そうだよなぁ」と思っていたにもかかわらず、
若い頃は何かあると全部相手のせいにしてました(笑)。
それが最近、ちょっとだけですがこの言葉の意味が
(トシのせいか……)わかってきたかな、と思えるように
なり、人間関係でカチンとくるような人にあったとき、
自分に対して「おい、ちょっと待てよ~」とブレーキを
踏むことがやっと少しだけできるようになりました。
そのポイントのひとつめが、「相手の行動や言動に
関係なく、結局自分はどういう人間になりたいと思って
いるのか」ということを考えられるようになったこと。
怒りにかられつつも、「そういえば、私は『人に対して寛容に
なりたい』と思っているんだった~(-_-;)」とか思うわけです。
自分の人間的な狭さ、未熟さを相手が教えてくれているのでは
ないかと、こんな風に考えてみたりします。
ふたつめのポイントは、カチンとくる部分、相手のもっとも
許せないと思う部分が、実は自分の中にもあるということを
認めて、相手の姿=自分の姿だと考えること。
たとえば、相手がすごくきつい言い方をする人なら
「そんな言い方しなくても……」と自分はそこに怒っている
わけですが、よくよく振り返ってみると「自分もきついことを
言うとき、まさにこんな感じで言っているんだな~」とわかって
きたりするわけです。
今、目の前にいる相手は、過去の自分自身の姿でもあります。
同時に「私自身もこんなにヤな奴だったんだ……」と、初めて
自分の客観的な姿を認識することができる。(認めたくない
けど)。
また、自分自身が心の奥底で否定していることが
相手を通じて出てくることがあります。
たとえば女性が「あの女~!かわいこぶりっこして
許せない!!」とか思うとき、それは自分の心の中にある
女性性を何らかの理由で否定しているという場合もあります。
自分の心の中にある女性らしさを認めず、否定する気持ちが
強い場合(しかも本当はそれを表面に出したいと思って
いるのにそうできないという複雑な感情があったりする)、
その自分の深層心理が相手に投影されて、それを極端に
体現しているような人に出会うと許せない、とか憎悪を
感じるということがあります。
しかしこれも認めてしまえば、今まで自分自身でフタをしていた
あらたな面が出てくるので、これも実は自分にとっては結局
プラスになります。
そして最後に上記2点をふまえた実践編がこれ。
私がカチンとする人に出会ったら、いつも必ずやる方法なんですが、
片付けられた静かな部屋で、心を落ち着けて、自分自身と
相手が目の前にいて、話をしているイメージをする。
すると、たいがい相手もワーワー言ってるし、こっちもワーワー
言っているイメージが出てくる。
まさにつかみあいのけんかでも始まりそうな感じ(笑)。
そのワーワーが落ち着くまで、さきほどの観点から自分自身
(←ここがポイント。断じて相手ではない)を説得する(感情の
整理をつける)のであります。
この作業はホントにしんどいですよ~。
「自分は正しい。悪いのは相手だ」って絶対、思いたいですもん。
相手が悪いっていうだけの証拠は自分の中では山のように
そろっているわけだし(笑)。
でも、じたばたしながらもこのつらいつらい作業が終わると、
不思議とイメージの中の相手もおとなしくなる。
そして、相手を、自分の心の中にポンと入れてしまう
イメージまでできたらなら、全ての過程はおしまい。
これは、自分の心の王国に相手が住んだ、っていうことに
なって、現実にも相手にふりまわされることがなくなります。
不思議な話なんですが、これはメチャ効果があります。
「すごくイヤな人が出てきた場合、それは何かを自分に教えるために
そういう人が出てきている」なんてこともよく言われます。
だとしたら、それを逆手にとってイヤな人と少しでも早く手を切る
ためには、自分がその人から学ぶべきことを最速で学んじゃえば
いいじゃないか~という発想が出てきますわね。
それを実践すると、上記のようなプロセスをたどるわけなのです。
これは自分が実際に経験してきていることなので自信を持って
いえることですが、そうやって自分が相手から学び終わった場合、
その人と一緒にいても自分が不快にならなくなるか、急な引越しや
転勤などで相手が自分の目の前からいなくなるか、たいがいは
どっちかです(笑)。
人間関係に悩んだり、ストレスをかかえたりしている方は多いと
思います。
そういう方々の何らかの参考になれば幸いです。
************************************************
■今日の小ネタコーナー 1■
この人間関係のイメージングは友好な人間関係に
おいてもいろいろ使えて便利。
遠方に住んでいる友人とか、イメージしてみて、
なんとなく元気がなさそうな顔が浮かんだら、
イメージの中で抱きしめて励ましたり、実際に
電話してみる、とか。
そんな風にして使ってみたりもしています。
心理学の世界では、集合的無意識とかいって、
人間は深い意識において全部つながっているとか
いわれてますが、その理論が正しければ、
イメージの力で人間関係をよくするとか、
離れている人のことが何となくわかる、というのも
納得です。
■今日の小ネタコーナー その2■
今日の札幌、春?! と思うくらい、暖かかった
ですね~。外を歩いていて、すごく気持ち
よかったです。明日からまた寒くなるそうですが、
早く春にならないかな~。
自転車にも乗りたい!!
人気blogランキング(地域・北海道)
まわりはみないい人ばかりなんですが、
それでもたま~に人との関係でカチンとくる、
ということがある。
そういうときはハラの虫がおさまらず、自分が
怒りを持つことの正当性を心の中であるだけ
並べて「いかに相手が悪いか。まちがっているか」
ということをえんえんと自分自身に納得させて、
相手を責める気持ちを出す。
と、まあ、お恥ずかしい話、こんな感じになるんですが
「自分にも好き嫌いだけで相手を判断するような、
女のイヤラシサみたいな感情が残っていたのか~」と
怒りつつもなぜか一方では冷静な目でもって
自分を眺めてみたりするのであります。
自己啓発ものの本を読むと人間関係&心の法則で、
「相手の心は変えられない。変えられるのは自分の
心だけ」とか、「相手は自分の心の鏡」という言葉が
よく出てくる。
しかしこれを知っていても、実際はなかなか実践は
できない。
私はかなり前からこの言葉を知っていて、
「そうだよなぁ」と思っていたにもかかわらず、
若い頃は何かあると全部相手のせいにしてました(笑)。
それが最近、ちょっとだけですがこの言葉の意味が
(トシのせいか……)わかってきたかな、と思えるように
なり、人間関係でカチンとくるような人にあったとき、
自分に対して「おい、ちょっと待てよ~」とブレーキを
踏むことがやっと少しだけできるようになりました。
そのポイントのひとつめが、「相手の行動や言動に
関係なく、結局自分はどういう人間になりたいと思って
いるのか」ということを考えられるようになったこと。
怒りにかられつつも、「そういえば、私は『人に対して寛容に
なりたい』と思っているんだった~(-_-;)」とか思うわけです。
自分の人間的な狭さ、未熟さを相手が教えてくれているのでは
ないかと、こんな風に考えてみたりします。
ふたつめのポイントは、カチンとくる部分、相手のもっとも
許せないと思う部分が、実は自分の中にもあるということを
認めて、相手の姿=自分の姿だと考えること。
たとえば、相手がすごくきつい言い方をする人なら
「そんな言い方しなくても……」と自分はそこに怒っている
わけですが、よくよく振り返ってみると「自分もきついことを
言うとき、まさにこんな感じで言っているんだな~」とわかって
きたりするわけです。
今、目の前にいる相手は、過去の自分自身の姿でもあります。
同時に「私自身もこんなにヤな奴だったんだ……」と、初めて
自分の客観的な姿を認識することができる。(認めたくない
けど)。
また、自分自身が心の奥底で否定していることが
相手を通じて出てくることがあります。
たとえば女性が「あの女~!かわいこぶりっこして
許せない!!」とか思うとき、それは自分の心の中にある
女性性を何らかの理由で否定しているという場合もあります。
自分の心の中にある女性らしさを認めず、否定する気持ちが
強い場合(しかも本当はそれを表面に出したいと思って
いるのにそうできないという複雑な感情があったりする)、
その自分の深層心理が相手に投影されて、それを極端に
体現しているような人に出会うと許せない、とか憎悪を
感じるということがあります。
しかしこれも認めてしまえば、今まで自分自身でフタをしていた
あらたな面が出てくるので、これも実は自分にとっては結局
プラスになります。
そして最後に上記2点をふまえた実践編がこれ。
私がカチンとする人に出会ったら、いつも必ずやる方法なんですが、
片付けられた静かな部屋で、心を落ち着けて、自分自身と
相手が目の前にいて、話をしているイメージをする。
すると、たいがい相手もワーワー言ってるし、こっちもワーワー
言っているイメージが出てくる。
まさにつかみあいのけんかでも始まりそうな感じ(笑)。
そのワーワーが落ち着くまで、さきほどの観点から自分自身
(←ここがポイント。断じて相手ではない)を説得する(感情の
整理をつける)のであります。
この作業はホントにしんどいですよ~。
「自分は正しい。悪いのは相手だ」って絶対、思いたいですもん。
相手が悪いっていうだけの証拠は自分の中では山のように
そろっているわけだし(笑)。
でも、じたばたしながらもこのつらいつらい作業が終わると、
不思議とイメージの中の相手もおとなしくなる。
そして、相手を、自分の心の中にポンと入れてしまう
イメージまでできたらなら、全ての過程はおしまい。
これは、自分の心の王国に相手が住んだ、っていうことに
なって、現実にも相手にふりまわされることがなくなります。
不思議な話なんですが、これはメチャ効果があります。
「すごくイヤな人が出てきた場合、それは何かを自分に教えるために
そういう人が出てきている」なんてこともよく言われます。
だとしたら、それを逆手にとってイヤな人と少しでも早く手を切る
ためには、自分がその人から学ぶべきことを最速で学んじゃえば
いいじゃないか~という発想が出てきますわね。
それを実践すると、上記のようなプロセスをたどるわけなのです。
これは自分が実際に経験してきていることなので自信を持って
いえることですが、そうやって自分が相手から学び終わった場合、
その人と一緒にいても自分が不快にならなくなるか、急な引越しや
転勤などで相手が自分の目の前からいなくなるか、たいがいは
どっちかです(笑)。
人間関係に悩んだり、ストレスをかかえたりしている方は多いと
思います。
そういう方々の何らかの参考になれば幸いです。
************************************************
■今日の小ネタコーナー 1■
この人間関係のイメージングは友好な人間関係に
おいてもいろいろ使えて便利。
遠方に住んでいる友人とか、イメージしてみて、
なんとなく元気がなさそうな顔が浮かんだら、
イメージの中で抱きしめて励ましたり、実際に
電話してみる、とか。
そんな風にして使ってみたりもしています。
心理学の世界では、集合的無意識とかいって、
人間は深い意識において全部つながっているとか
いわれてますが、その理論が正しければ、
イメージの力で人間関係をよくするとか、
離れている人のことが何となくわかる、というのも
納得です。
■今日の小ネタコーナー その2■
今日の札幌、春?! と思うくらい、暖かかった
ですね~。外を歩いていて、すごく気持ち
よかったです。明日からまた寒くなるそうですが、
早く春にならないかな~。
自転車にも乗りたい!!
人気blogランキング(地域・北海道)
大人ですねぇ。
私はまだまだそんな域まで達していません。
でも、嫌な人とか嫌なこととかあったら「これは私のために起こった出来事だから、何か学ぶことがあるはず。」と早めの処理は心がけています。それも、うまくいく場合もあればそうじゃない場合も。まだまだ修行が足りません(-_-;)
文章に書くとかっこよくなって
見えるだけで、実際は若い頃、100%
相手のせいにしていたのが、今は99%ぐらいで
すむようになったっていうのが実態かと……(^_^;)