母とケーブル会社の人の話の内容の差についてですが、「テレビの映りが良いか悪いか」の基準の違いによって起こっているんだろうと思いました。
母の場合、今まであまりにもひどい映りだったので、多少なりとも良くなれば、すごく改善されたと思うでしょう。一方、ケーブルテレビの会社の人は、初めて見た母のテレビの映像はあまり記憶にはなく、一般的なきれいな映像を基準にしているため、いくらか改善された映像を見ても全然よくないと判断するのでしょう。
そして、ケーブル線から漏れる電波は許容範囲だったということを強調したいがために、ケーブルの影響ではなく、別のことが原因だから、ケーブルをいじってもたいして改善はされないのだと言い張るようです。
冷静に考えて見ると、母はボケているわけでもないし、視力が落ちているとも思えないので、母が「ケーブルを調べてもらってから映像がいくらかきれいになった」と言っている事は信用できると思います。だからやはりケーブルが妨害電波を出していたことは確かだと思います。
しかし、こういう基準の違いで話が行き違うことってかなりあります。
テストの成績がいつも5点の子供が、ある塾に行って20点取れたら、本人やその親はすごく成績がよくなったと思うでしょうが、いつも90点を取っている人から見れば、その子供が20点取ったからって、全然成績が上がったとは思えず、その塾に行った効果はない、などと思うのと同じですね。
私の友人にとても子煩悩で、お子さんとの会話を充分に取っている人がいるのですが、その人のお子さんがある日、「お母さんが忙しくてあまり話を聞いてくれない」と担任の先生に言ったのだそうです。たまたま忙しい日があり、そのときのことだったようです。担任の先生はそれを聞いて、日常常に子どもをほったらかしにしている母親だと思い込んでしまったらしく、その誤解で後々までずいぶんと話に行き違いが生じてしまったのだそうです。
「子供とのコミュニケーションをとる時間がある」という人と「このごろ忙しくて子供とのコミュニケーションをとる時間がない」と言う人の実態は、かえって後者のほうが子供とのコミュニケーションをとっている母親である場合も多いわけです。
一週間に10分であっても、コミュニケーションをとっていると言う人がいるし、毎日3時間お母さんと接していた子が1時間しかすごせなくなったら、ほったらかしにされていると思ったりします。
だから、人の話ってわからないなあと思います。
母の場合、今まであまりにもひどい映りだったので、多少なりとも良くなれば、すごく改善されたと思うでしょう。一方、ケーブルテレビの会社の人は、初めて見た母のテレビの映像はあまり記憶にはなく、一般的なきれいな映像を基準にしているため、いくらか改善された映像を見ても全然よくないと判断するのでしょう。
そして、ケーブル線から漏れる電波は許容範囲だったということを強調したいがために、ケーブルの影響ではなく、別のことが原因だから、ケーブルをいじってもたいして改善はされないのだと言い張るようです。
冷静に考えて見ると、母はボケているわけでもないし、視力が落ちているとも思えないので、母が「ケーブルを調べてもらってから映像がいくらかきれいになった」と言っている事は信用できると思います。だからやはりケーブルが妨害電波を出していたことは確かだと思います。
しかし、こういう基準の違いで話が行き違うことってかなりあります。
テストの成績がいつも5点の子供が、ある塾に行って20点取れたら、本人やその親はすごく成績がよくなったと思うでしょうが、いつも90点を取っている人から見れば、その子供が20点取ったからって、全然成績が上がったとは思えず、その塾に行った効果はない、などと思うのと同じですね。
私の友人にとても子煩悩で、お子さんとの会話を充分に取っている人がいるのですが、その人のお子さんがある日、「お母さんが忙しくてあまり話を聞いてくれない」と担任の先生に言ったのだそうです。たまたま忙しい日があり、そのときのことだったようです。担任の先生はそれを聞いて、日常常に子どもをほったらかしにしている母親だと思い込んでしまったらしく、その誤解で後々までずいぶんと話に行き違いが生じてしまったのだそうです。
「子供とのコミュニケーションをとる時間がある」という人と「このごろ忙しくて子供とのコミュニケーションをとる時間がない」と言う人の実態は、かえって後者のほうが子供とのコミュニケーションをとっている母親である場合も多いわけです。
一週間に10分であっても、コミュニケーションをとっていると言う人がいるし、毎日3時間お母さんと接していた子が1時間しかすごせなくなったら、ほったらかしにされていると思ったりします。
だから、人の話ってわからないなあと思います。