4年制大学と言えば、卒論を書くものだと以前は思っていて、4年制大学と短大とでは、卒論を書くか書かないかも大きな違いのひとつだと思っていました。
しかし、娘の学部でも卒論は書かなくていいようですし、放送大学も卒論を書かなくても卒業できます。
私は、以前から卒論というものを書いてみたいと思っていたのですが、放送大学では昨年の夏ごろの決められた時期に18年度の卒業研究の申し込みをしなければならなかったのを、うっかりしていて申し込みそこなってしまいました。
しかし、考えてみると、普通の授業の単位をとることさえままならない生活をしていて、卒業研究なんていう手間のかかることができるわけがないようにも思いました。
以前は、在日外国人に関することなどを日本語学習や異文化摩擦などの視点で考えるとか、日本文学と中国文学の作品を取り上げて比較するとかやってみたいと思っていたのですが、もう外国人と接することもなくなり、人文系のことにはかかわらなくなってきたので、そういうことにエネルギーを使うのも面倒くさくなってきました。
だから、代わりに6単位専門科目をとって卒業すればいいやと思いました。
こうなってくると、私は一生論文なるものを書くことはないのかもしれません。
普通卒論は原稿用紙100枚くらい書くんでしょうか?論文と言うほどではありませんが、短大1年のとき、ゼミで夏目漱石の「それから」について、原稿用紙20枚くらいの論文を書いたことがあります。同じゼミの友人と毎日近代文学館に通って漱石に関するいろんな文献を読み漁り、それを参考に自分なりの考えをまとめました。もちろん「それから」そのものも一文一文をこと細かく読みこみました。
一応成績は「優」だったと思います。残念なのは、その当時はコンビニのコピー機などが今のように普及しておらず、コピーするなら文房具屋さんに行って店の人にお願いしてコピーをとってもらうというような時代だったので、私は期限ぎりぎりに自分の論文を提出して、コピーをとっていないのです。だから自分の書いた論文は手元には残っていません。レポート用紙のようなものに下書きを書いたのは覚えていますが、それももうないでしょう。
2年になって、近代文学のゼミに入り、1年間夏目漱石を研究することになりました。そのときのテーマは「漱石作品における女性像」というもので、一通りの作品を読んだ後、ゼミのメンバーで分担してひとつひとつの作品に女性がどのように描かれているかを万遍なく調べ上げました。
このとき初めて客観的な研究の仕方を教わったと思うのですが、単なる読後感や印象で漱石は女性をこのように描いているなどと論ずるのではなく、登場する女性に関する全ての記述を抜き出すという作業をしてから結論を導くというものでした。
このときは私は「彼岸過迄」を担当しました。「彼岸過迄」はどちらかというと駄作とされていて、「三四郎・それから・門」そして「こころ」などに比べるとまとまりがないような作品ですが、意外に多くの女性が描かれていて、興味深い点もありました。
このときの研究は短大の機関誌にゼミ研究として載せられ、その個人の持分は非常に少ない文字数しか取れませんでした。ゼミのメンバー10人程度でひとつのテーマをまとめるという形です。書く内容といったら「作品上の事実とそれから導かれる結論」というようなもので、自分で書いて面白くもなんともなかったものですが、最初に自分が書きたいように思ったことを書いたときは教授からダメ出しされてしまい、自分にはつまらないと思える客観的な報告のような内容にして、初めてOKをもらうことができました。これもひとつの勉強だったなあと思います。
いつかまた、どの分野のことかわかりませんが、何かを集中的に研究し、客観的に把握した後に、自分の考えをまとめてみたいと思います。
しかし、娘の学部でも卒論は書かなくていいようですし、放送大学も卒論を書かなくても卒業できます。
私は、以前から卒論というものを書いてみたいと思っていたのですが、放送大学では昨年の夏ごろの決められた時期に18年度の卒業研究の申し込みをしなければならなかったのを、うっかりしていて申し込みそこなってしまいました。
しかし、考えてみると、普通の授業の単位をとることさえままならない生活をしていて、卒業研究なんていう手間のかかることができるわけがないようにも思いました。
以前は、在日外国人に関することなどを日本語学習や異文化摩擦などの視点で考えるとか、日本文学と中国文学の作品を取り上げて比較するとかやってみたいと思っていたのですが、もう外国人と接することもなくなり、人文系のことにはかかわらなくなってきたので、そういうことにエネルギーを使うのも面倒くさくなってきました。
だから、代わりに6単位専門科目をとって卒業すればいいやと思いました。
こうなってくると、私は一生論文なるものを書くことはないのかもしれません。
普通卒論は原稿用紙100枚くらい書くんでしょうか?論文と言うほどではありませんが、短大1年のとき、ゼミで夏目漱石の「それから」について、原稿用紙20枚くらいの論文を書いたことがあります。同じゼミの友人と毎日近代文学館に通って漱石に関するいろんな文献を読み漁り、それを参考に自分なりの考えをまとめました。もちろん「それから」そのものも一文一文をこと細かく読みこみました。
一応成績は「優」だったと思います。残念なのは、その当時はコンビニのコピー機などが今のように普及しておらず、コピーするなら文房具屋さんに行って店の人にお願いしてコピーをとってもらうというような時代だったので、私は期限ぎりぎりに自分の論文を提出して、コピーをとっていないのです。だから自分の書いた論文は手元には残っていません。レポート用紙のようなものに下書きを書いたのは覚えていますが、それももうないでしょう。
2年になって、近代文学のゼミに入り、1年間夏目漱石を研究することになりました。そのときのテーマは「漱石作品における女性像」というもので、一通りの作品を読んだ後、ゼミのメンバーで分担してひとつひとつの作品に女性がどのように描かれているかを万遍なく調べ上げました。
このとき初めて客観的な研究の仕方を教わったと思うのですが、単なる読後感や印象で漱石は女性をこのように描いているなどと論ずるのではなく、登場する女性に関する全ての記述を抜き出すという作業をしてから結論を導くというものでした。
このときは私は「彼岸過迄」を担当しました。「彼岸過迄」はどちらかというと駄作とされていて、「三四郎・それから・門」そして「こころ」などに比べるとまとまりがないような作品ですが、意外に多くの女性が描かれていて、興味深い点もありました。
このときの研究は短大の機関誌にゼミ研究として載せられ、その個人の持分は非常に少ない文字数しか取れませんでした。ゼミのメンバー10人程度でひとつのテーマをまとめるという形です。書く内容といったら「作品上の事実とそれから導かれる結論」というようなもので、自分で書いて面白くもなんともなかったものですが、最初に自分が書きたいように思ったことを書いたときは教授からダメ出しされてしまい、自分にはつまらないと思える客観的な報告のような内容にして、初めてOKをもらうことができました。これもひとつの勉強だったなあと思います。
いつかまた、どの分野のことかわかりませんが、何かを集中的に研究し、客観的に把握した後に、自分の考えをまとめてみたいと思います。