山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

愛の流刑地後編

2007-03-21 23:56:31 | テレビドラマ・映画
昨日前編について書いたので、後編についても書かなくてはいけない状況になっているが、筆は進みにくいような気がする。
まあ、見ごたえはあった。前編のように、2人の逢瀬やベッドシーンが繰り返されるよりは、私は裁判のほうが好きである。
主役は、高岡早紀、岸谷五朗に代わって、瀬戸朝香が前面に出てきた。予告で弁護士かと思っていたら検事だった。
真剣に真実を見定めようとする検事の姿や、村尾菊治を真剣に理解しようとする元の妻、息子に共感できた。

しかし、究極の恋愛とは何なのか?最後まで疑問がのこる。幸福の絶頂で死んでしまいたいと思ったにせよ、生身の人間には日常のしがらみがあるから、そんな純粋なことに突き進むことはできないのが事実だ。だから、究極の男女の愛などというものは私には追求する気もないしやはり絵空事だとしか思えない。しょせん小説の中での出来事だ。
実際に許されない関係の愛し合う男女が、その苦しさから共に死ぬことを選び心中することなどはあるだろうが、普通の恋愛ならばそれは生命の破滅に向かうことは生物学上ありえないといえる。付き合い続けたら愛情もムードもなくなり理想の恋愛とはかけ離れた状況になって行くわけだが、それが事実でありそれでいいのだと思う。
愛とは何なのかといえば、それは神秘でもなんでもない。男女の恋愛ではなく、人間愛に至ると言うのが私の考えで、よき理解者である村尾の元妻が私にとっては理想だ。
男女の恋愛については精神的にも肉体的にも理解できないというのが、私の状況である。

それでも、愛の行為に没頭する中で死を望み、相手を殺してしまうという論理があることを提示され、この作品で考えさせられた。また、作家の作品はその人の命の叫びであると思った。

罪とは何か?2人がよくて死んだり殺されたりし、それで恋愛を全うしたとしても、そのことによって影響を受ける人々がいる。そういう人の人生を無視できないではないか。
恋愛至上主義みたいなのは、エゴである。だから実際にこの世から一人の人間を消滅させてしまったことは大きな罪であり、懲役8年の実刑判決は妥当であり、その罪を償ったからと言って、その人を失った家族や友人の人生は取り返しがつかないのであり、恋愛を第一義にして生きるのはやはり普通ではない。

それでもなお、それに生きる村尾と死んだ冬香はやはり特別な感性の持ち主だったといえるだろう。
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充電器を獲得するまで

2007-03-21 19:17:27 | 未分類過去
この数日、コトがうまく運ばずかなり奮闘していた。
いつだったか、ソフトバンクに携帯の充電器を取り寄せるのになかなか電話がつながらず非常に手間取ったということを書いたが、また同じことが繰り返され、さらにまた問題がおきてしまった。

というのが、以前は、ケイタイにつなぐ部分の充電器の接触状態が自然に悪くなって充電できなくなり、代理店では取り扱わないので個人で取り寄せるようにとのことだったが、その取り寄せた充電器がほんのつかの間でまた破損してしまったのだ。
その原因は「ウサギ」で、気がついたときには充電器のコードにウサギの噛んだあとが残っていて金属の線がむき出しになっていた。ウサギを部屋の中で運動させるときには、娘の充電器はウサギの届かないところに片付けるのが普通だが、時によって娘がケイタイを充電させつつ布団の上でごろごろしていると、片付けないままウサギをケージから出しておくことがある。そういうときは普通、ウサギが近づいたらその場にいる娘がコードをウサギからよけるとか、ウサギを追い払うとかしている。
ところが、いつやったのかわからないのだが、娘の気づかぬ一瞬のうちにコードを噛んだらしいのである。娘の言い分によると、娘がくろいでいる時に私がウサギを出したのが悪いとのことだ。
金属線のむき出しになった部分をビニルテープでぐるぐる巻きにして一応充電はまだできる状態だったが、いつ断線するかショートするかわからないので、もう一度取り寄せることにした。

それで、またソフトバンクに直接電話をしたが、またまた「ただいま、電話が混雑しています。しばらくたってからおかけ直しください」の連発だった。
それを乗り越えて根性で電話をつなぎ無事注文をし、数日後に充電器の入ったダンボールが届いた。娘は以前の充電器がまだ使えたため、配送された箱を開封しないまま放置していた。

先日、法事で出かけるとき、新しい充電器を使おうと娘が箱を開けた。
すると、なんと中から充電器ではなく、「電池パック」と言うものが出てきた。
そのときは、その荷物が届いてから1週間以上もたっていた。

あわててソフトバンクに電話をしたが、また全然つながらず、田舎に帰る時間がどんどん遅くなっていった。やっとつながったら、返品して交換するのにいろいろ確認することがあるらしく折り返し電話をくれるとのことだったが、それを待つ時間はないので出発した。そして電車の中でソフトバンクから携帯に電話をもらっても出ることができなかった。翌日電話をもらったとき、今度は私のケイタイの充電が切れて途中で中断してしまった。
私のケイタイこそ実は新しい電池パックが必要かもしれない。古いせいか充電してもすぐに電池がなくなってしまう。しかし、滅多に通話などしないのでそのままにしている。
あわてて充電器をつなぎ、待っていたが再びソフトバンクから電話が来ないのでこっちから折り返し電話をしたが、こっちからかけられるのは代表番号だけなので、またいつものように自動応答が延々と繰り返され、つながるまでに1時間くらいかかってしまった。
ソフトバンクのほうでは、電話をくれたらしいが電源が切れているというメッセージが出たのであきらめたのだそうだ。

そこで、やっと箱の中の伝票の住所に返送するようにと伝えられた。帰省先で現物がないので、ただそれを聞いて承諾していたのだが、帰宅して現物を見ると伝票には住所が書かれていなかった。送付元は梱包の外の箱に張ったシールに書かれていたが、梱包をあける時にめちゃくちゃにはがして破いてしまってあった。なんとかその部分をつなぎ合わせて判読し、返送元を突き止めた。

返送は佐川急便の着払いでするようにとのことだった。佐川急便はそのへんにあるだろうと思っていたらなかなか見つからなかった。通勤の行き帰りに行ける距離の取り扱い店をネットで検索すると、魚屋と布団屋とお菓子屋と米屋などがあるようだった。佐川急便っていうのはクロネコヤマトのように個人の荷物をあまり取り扱っていないのか、コンビニなどでは扱っていない。業者の荷物を運んでいるのが主なのかもしれない。それで、それらの取り扱い店の場合も、普段、そこで売っている布団だの魚だのを届けるために利用しているのではないかと思える。なんだか古風な目立たない店ばかりだ。だいたいの場所に見当をつけ、会社に行く時に持って行って昼休みか帰りに送ろうと思っていたのだが、うっかり忘れてしまった。

今日になってようやく布団屋に持って行った。
どうもさびれている。個人商店で客の姿などはない。入り口らしき戸をあけようとすると鍵がかかっていた。もう1つの入り口をみつけ入っていくと、薄暗い店の中に年配の店主がいた。
荷物のことをきくと、今着払いの伝票を置いてないのでそれを取り寄せてからでないと送れないとのことだった。でも今日は佐川が来ない日でいちいち呼ばないとだめだから、今日送るのは無理だとのことだった。
それで、断念し別のお菓子屋に行った。魚屋もあったが、魚屋のほうはいつも客が多く忙しそうだし、床や何もかもが水っぽい感じだ。そこで配送を頼んだら荷物が魚臭くなりそうだからやめた。お菓子屋さんに行ったら着払い伝票もあってやっと無事に返送することができた。
商品が違っていることに気付いてからここまでくるのに5日も要してしまった。

電化製品が故障したときなどは、普通はそれを扱う店が部品を取り寄せたりし、それが入荷したら店からお客に伝え、来店したお客に手渡すというのが普通ではないだろうか?そうであれば、受け取った時点で注文の品と違うことが判明する。
ところが、それが直接に会社の代表窓口に発注する形となり、いろいろな不都合が起きていると思う。送られてきたダンボ-ル箱は靴箱くらいの大きさだが、実際の物品は封筒にもはいるくらいのもので、あとはクッションばかりだった。こんなに大きい荷物にするのもすごい無駄な気がする。

立て続けに同じものを注文するという普通ではありえない注文をしたせいで、別のものが送られてきた可能性が高く、こっちがウサギを管理していなかったことも落ち度であり、さらに送られてきたものをすぐにちゃんと確認しなかったのもこっちの落ち度だが、このようなシステムゆえに手間取るのは大変だ。

娘のケイタイもあまり新しいものではないので、そろそろ買い替えの時期に来ているのだが、高校時代の友人とのメールなどが入っているため、それを保存しておきたいらしい。それで、今の機械を使わなくなっても中身を見たい時に見られるよう充電器はちゃんとしたものを残しておきたいのだという。

いろいろと大変だ。

充電器は10日~2週間後に届く予定となっている。
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ぬるい眠り

2007-03-21 13:55:23 | 読書
ここには9編の短編小説が収められているが、一口に印象をいうと、「非常識、半分狂気の人の物語」という感じがする。
常識的な日常世界の中に生きている私には、たとえば性の自由などということはとうてい無縁のものであり、心赴くままに仲間と楽しんだりお酒を飲んだり出かけたりと言う風な登場人物のようすに苛立ちさえ覚えてしまう傾向にある。
しかし、小説というのは、常識を踏み外した人が多く登場する。昨日見たテレビドラマの渡辺淳一の「愛の流刑地」の中の冬香にしてもそうなのだが、あるべき状態を逸脱しているからこそ物語にもなるのであろう。
常識の中の物語でも当然小説となって成り立つはずであるが、小説も近代絵画のように、かなり象徴的にデフォルメされたものになっているようである。あるいは、本当に人間の実生活もそのように変化しているのかもしれない。

私が子どもの頃から学生時代に読んだ小説では、性描写(ベッドシーン)というものはほとんど出てきたことがなかった。せいぜい伊藤整が翻訳した「チャタレイ夫人の恋人」くらいなものだが、今では小説を読むと必ず男女の絡みが出てくる。
母親仲間の話では、子供が読んでもいい本かどうかチェックするために、まず自分が読むのだそうだ。そのため、新刊をいっぺんに10冊くらい買ってきて、中学生の子どもには読ませたくないようなものはどこかにはじいてしまい、その他の数冊を渡すということにしている人もいるそうだ。子供に多くの読書をさせつつ健全な精神を培うにはそこまで努力しなければならないということだろう。

「ぬるい眠り」も若者向けとはいえ、中高生には勧めたくない作品といえるだろう。
なんとなく気の合った男と女がくっついたり離れたり、なんか人生のけだるさのようなものを感じてしまう。
本当は十把ひとからげではなく、一作品ずつ書くべきだろうが今日はこの辺にしておく。

印象に残ったのは「災難の顛末」「清水夫妻」だった。
そのうち気がむいたらこれらの読書感想文でも書くとしよう。
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愛の流刑地

2007-03-21 01:12:17 | テレビドラマ・映画
そういえば、現代作家といえば、渡辺淳一がいた。今日は渡辺淳一原作の「愛の流刑地」をテレビでやったので見た。ドラマは原作とは内容が多少違うものの、基本的には同じものであるので、実際に小説を読むよりも短い時間で作品の雰囲気を知ることができる。「知るため」だけの目的で見るわけではないが、世事に疎い私にとっては、できるだけこういう機会は逃さないほうがいいと思う。

主演は岸谷五朗と高岡早紀。岸谷五朗を見ていると、最初は「みにくいアヒルの子」のガースケを思いだしてしまい、笑ってしまいそうだった。どうも恋愛ドラマには向かないような気がした。高岡早紀は和服の似合う不倫妻としてちょうどいい感じだが、何かと布袋とか保坂とかの出来事を思い出してしまう。

岸谷五朗じゃなきゃ誰がいいだろうか?と思ったのだが、意外と中年俳優のいい男っていないものだ。
まず、役所広司が思い浮かんだが、そういえば「失楽園」ってのがあったなと思い出した。
役所広司ではちょっと年が行きすぎだ。東山紀之はどうか?いい男だが、やはり食いタンの印象が強いし、男女が抱き合うシーンなどはどうか?もっと精神的な感じだ。
江口洋介はどうだ?年恰好はいい感じだが、やはりもっと健全と言うか純粋な感じがする。
三浦友和じゃ太りすぎだし、ドクターコトーは作家っぽいけどやはりちょっと違う。
40歳くらいの人を探していたら、2時間ドラマの帝王、船越英一郎など思い出したが、この人が出ると事件解決物になってしまうだろう。結局、これはという俳優が思い浮かばない。
そういえば、この作品の映画では、豊川悦司と寺島しのぶが主演のようだ。作品名は記憶になかったが、確かに制作時に話題になっていたような気がする。
なるほど、豊川悦司ねえ。寺島しのぶも顔はあまり好きじゃないが、色気最高と言う感じだ。

ガースケのほうも見ているうちに変じゃなくなってきた。顔じゃなくて中身を感じることができるからだ。あとは、恋は盲目だからこの女はガースケでもとりこになれるのだろうという不思議な納得が生まれる。

姑の泉ピン子は面白かったなあ。けっしてふざけた演技をしているわけではないのだが、ああいう顔したああいう態度のいやみなおばさんよくいるなあと思った。

なんだか、話が重要なことからかなりそれてしまった・・・。

愛の流刑地、今日までのところは官能小説かと思われるようなもので、こんな不倫シーンの繰り返しで、いったいどういう筋なんだろう、どんどん恋愛に溺れていくようだが、まさか最後までこの調子か?と思ってしまった。
そしたら、前半の最後のところで話は急に展開し、村尾菊治が冬香を殺してしまったようだった。エクスタシーを感じながら「殺して・・・殺して・・・」と願う冬香の声に応えて首を絞めてしまったのだ。明日の予告では、裁判のシーンなどがあり、話の筋は一変している。弁護士なのか瀬戸朝香が登場するようである。明日は面白くなりそうである。

なんだか、支離滅裂になってしまったが、明日もぜひ見よう。

ところで、何年か前の「失楽園」はすごく話題になったものだが、それも私は見ていないし、原作もよんでいない。
もっと前に「麻酔」というのがあったと思う。テレビドラマで、たしか高橋恵子が植物人間になっていた。「麻酔」は原作を読んだことがあるような気がする。

渡辺淳一の作品も、何か読んでみなくては・・・。
ああ、忙しい!
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