山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

お飾り

2008-12-29 12:09:04 | 日記
最近のお飾りは、コンパクトできれいにできているので、
数日飾って捨てるのは勿体無くて、
下駄箱の中に保存し、
毎年同じものを飾ったりしています。

昨年は新しいのを買ったので、
今年もそれを使いまわそうとしたところ、
なんと、1年間も玄関そばの片隅に置いたままになっていました。

それで、見るとホコリまみれじゃないですか。
こんなのホコリ払って飾ったところで、
バチが当たることはあっても、
けっして運が向いてきそうもありません。

だいたい、今まで放置してあっただけでも、
十分にバチがあたっている感じです。

こりゃあ、新しいのを買わなきゃだめだ。

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廃墟からヤドカリまで

2008-12-29 11:03:04 | 日記
4年前は、日本語教師に挫折して、自分に対するイメージは廃墟だった。
もう、中身を「日本語を教える」という情熱で埋めることはできない。
空洞化した人間は、その廃墟を捨て、別の道を探さなきゃならない。

そこで、みつけたのは、手ごろな貝殻だった。
そこは、まあまあ住みやすかった。
そこで、その棲家をさらに住みやすくするため、その環境を研究し、自分をそこに適合させるべく頑張ってきた。
貝殻の内部は、最初は隙間があるくらいだったが、だんだんちょうど良い大きさになってきた。
私は、周囲の地形や水質なども熟知するようになってきた。周りの貝やヤドカリともうまく共存してきた。
だが、もっと活動するためには、最初に入った貝殻では窮屈になってきた。
さらなる大き目の貝殻を見つけ、そこに住み替えたいと思うようになってきた。

しかし、私が住み替える貝殻はないのだった。
周囲にはヤドカリではない本当の貝、つまり正社員といわれる貝がたくさん生息している。
貝には貝の世界があり、ヤドカリは立ち入り禁止である。ヤドカリはヤドカリらしくしていろといわんばかりだ。
ヤドカリは何年たっても、どんなに大きくなっても、自分自身の貝を作ることはできない生物である。
だから、これ以上大きな貝殻が周囲に無いとわかったからには、窮屈な貝殻の中に我慢して住み続けるか、あるいは、いっそのこと、このヤドカリという生物であることともおさらばし、別の生物に生まれ変わるしかないわけだ。
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読後感

2008-12-29 01:27:38 | 日記
大変読みやすかったので、一気に読んでしまいました。
「すべてがうまくいく8割行動術」って、今の私にぴったりの内容だったかもしれません。

私はどうしても100%頑張ってしまうほうです。
だから、へとへとだし、それが報われないと、とたんにがくっと来てしまいます。
こんなに頑張っているのに・・・と落ち込んでしまったりします。

この1年、仕事は自分なりに頑張ってきました。
毎日めいっぱい働きたいので、少しでも暇な時間があると、他に仕事はないだろうか・・・と思ってしまい、私より仕事の少ない同僚に私の担当分の仕事を回すとさらに仕事が減ってしまうことなどあり、他の人に、ついつい「仕事が少ない」「暇です」などと言ってしまうのです。

そうすると、周りは私がいつも暇をもてあましていると誤解したりして、新たに別の部署の仕事を回してきたりするし、忙しい時に残業をしても、ただ残りたいから残っているのだろうなどという誤解もされかねない状況なのでした。

しかし、実は、かなり忙しい日のほうが大部分で、毎日の仕事を消化し、やり遂げることでへとへとになっているのが現況です。もう全力投球なのであり、実際私の仕事の密度はかなり高いと思うのですが、それは同じ種類の仕事を80パーセントの力でやっている同僚とくらべると、非常に要領が悪そうに見えてしまう。逆に同僚は非常にスマートな仕事の仕方をしているという印象です。

たとえば、同じ内容のメールなんかが送られてきても、私は返信を返す暇もない。しかし、同僚は余裕を持って仕事をしているので直ぐに気の効いた返信をしたりすることができるのです。
そもそも、やってきた仕事は拒まず断らずを繰り返した結果、私のところにはこれでもかこれでもかと容赦なく仕事がやってきます。しかし、同僚は、労働時間を延長したりはしないため、「もう帰るので引き受けられない」と断わります。となると、同僚が担当するグループの人は、その辺をわきまえて、もともと時間内に無理そうな仕事を同僚のところに持ち込んでは来ないのです。

私自身は、多くの人が私に仕事を依頼してくれるのは嬉しいと思い、それに答えて無理をしてでも仕事をしてきました。しかし、それが自分にとっても、その依頼してくる人たちにとっても、本当にいいことなのかわかりません。
そのようにしなくてもやっているグループがあるんだから、やらなきゃやらないでも済むってことです。

そして、そうやってがんばったからと言って、現場の人が私の労働を便利に利用するだけのことで、人事のほうなどから、けっして良い評価をいただいているわけではないということがわかりました。

だから、今回も、私が今の仕事をしっかりやっているからと言って、正社員にはなれず、80パーセントの力で働いている同僚が、別の職種を加えて正社員になるという話に進んでいるようです。

この本の中に、「3番手のススメ」というのがありました。
「トップを走り続けていれば、肉体的にも精神的にも疲労してきてしまいます。そんなふうに仕事にすべてを捧げるのではなく、余裕を持って仕事をするのです。それは、努力をしないという意味ではありません。1位になれる力はあっても、ゴールに入るときは3番手になるということです。」
「ナンバー2でもいいのではないかと、と思うかもしれませんが、ナンバー2はリスクを伴います。トップの人間にしてみれば、いつ自分の座を狙うかもしれないやっかいな存在でもあるのです。」
「さらにナンバー3は、ナンバー1とナンバー2の社内政治のデッドヒートでどちらもダメになってしまった場合、棚から牡丹餅でトップになるチャンスだってあるのです。」

確かにそのとおりです。まったくこのとおりのことが起きているのです。
今回、私は契約更新の面接で、パートタイマーでは時給はこれ以上上げられないとのことで、上司から、現在同じ部署の正社員がやっている仕事を回すことも可能だという話から、正社員になることを希望しました。
しかし、実はその仕事はもともと別の部署でやっていた仕事であり、あとでわかったことですが、その部署のパートさんも時間の延長あるいは正社員を希望していました。
そこで、実質、どちらを正社員にするかという話になります。もともと別の部署でやっていた仕事なのだから、本来の別の部署がその仕事をするのが筋でしょう。そうなると私の仕事はありません。人件費や仕事量の関係から、正社員となれるのは1名です。
しかし、私はその人より古くから働いているし、これまでもほぼフルタイムで働いてきているので、その点では優先順位が高かったといえます。

そこで、会社側はまた別の種の新しい仕事を提示してくれたのです。しかし、その仕事は私が得意とする仕事ではなく、むしろいつも80パーセントで働いている同じ部署の同僚が得意とする仕事でした。そのひとは長年パートタイマーとしてきっちり過不足なく働いてきた人です。結局のところ、私でも他の部署のパートさんでもなく、その同僚が正社員に1番ふさわしい者となったのです。
その同僚はパートで長時間働く気は最初からなかったようですが、正社員となれば給料体系が全然違うので話は別でしょう。

それにしても、確かに私は能力的に1位ではありませんでしたが、働き損覚悟で夫の扶養からも外れて毎日働いてきた、その働き方と意欲においては1位だったと自負しています。しかし、そんなことは何の意味もなく、ただ疲れるだけでした。
それがわかったので、もう仕事を一生懸命やったことに対して、報いを求めるのはやめようと思った年末でした。

ちょっと力を抜きたいくらいですが、相変わらず仕事は容赦なく押し寄せてくるので、それには変わりなく対処しないわけにはいきません。
「優秀な仕事師たちは、お金のために仕事をしているのではなく、あくまでもいい仕事をした結果、報酬を受けていると考えています・・・」
と米山氏も書いてます。だから私も今までどおりきっちり仕事はしますが、もうそれに対する報いは求めません。
そして、私は仕事以外に生きがいがないようなものだったから、これからは、他に生きがいを見つけるしかありません。だから、今後は80パーセントの力を仕事に注ぎ、20パーセントは他のことを探そうと思っています。

米山氏のあとがきに、大学病院を辞める決意をしたときのことについて、次の言葉があります。
「1年後には辞職しなければならない状況に追い込まれたわけですが、自分の気持ちが決まって楽になりました。自分の能力を見出して、目標を立て、実現していくには1年は充分に長い。」

私も仕事を始めて4年がたち、1年後には5年が過ぎることになります。そろそろ潮時かもしれません。続けるにしろやめるにしろ、これからの1年間で、新しい自分の可能性を見つけ歩んでいきたいと思いました。

結局、100パーセント全力投球っていうのは、燃え尽きてしまうんだと思います。「燃え尽き症候群」ってやつですね。
だから、いつも元気に燃え続けるには80パーセントでやっていきましょう。
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