山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

蝶々夫人だって?

2011-11-19 23:32:12 | 日記
どっかの国のオペラに「蝶々夫人」ってのがあって、きものみたいなのを着たソプラノ歌手が「あーるー晴れたー日ー」などと歌うものがあったのは、なんとなく記憶の片隅にあったが、それについて正直何も関心をもったこともなく、それが何であるのかさえ意識したこともなかった。

今日、「妖怪人間べム」を見たあと、NHKを回すと、「蝶々さん」とかいうドラマの途中だった。私は、その蝶々さんと、オペラの蝶々夫人とやらが同じものだとは、なかなかつながらない感じがした。
夫が「そんなことも知らないのか、日本の蝶々さんとピンカートンのことを、プッチーニがイタリアのオペラにしたのは、誰でも知っているだろう」という。
へえ、そうなの?アメリカ人の奥さんになった日本の蝶々さんのことを、どうしてイタリア人がオペラにするのかな?夫はよく嘘をつくのでこれも嘘かもしれないと疑った。

それに、“イタリア”だって?
イタリアだったら、イタリアブームの私が知らないわけにはいかないじゃないか。
そこでさっそくネット検索だ。

すると、蝶々夫人は、アメリカの弁護士ジョン・ルーサー・ロングという人が短編小説を書き、それをもとに、アメリカの劇作家デーヴィット・ベラスコが戯曲を書き、それをもとにイタリアのプッチーニがオペラを作ったのだそうだ。

へえ~~~~~。夫の言うことは本当だった。夫はオペラなんか見る趣味は全くないが、そんなことは常識なんだそうだ。さては夫が英米文学を専攻していたから知っているのかと思ったら、そんなものは大学で習うわけではないという。要するに私がおそろしいボケ人間だったということだ。ウ~ン、これは認めるしかなかろう。

プッチーニって、イタリア人か。歌劇といえばイタリアだもんな。

それで、プッチーニについて調べたところ、1858年に生まれ、1924年に没していることがわかった。これは、「ジャン・ブラスカの日記」=「ジャンニーノのいたずら日記」の著者ヴァンバ(1860~1920年)と全く同時代の人であることが分かった。
日本でいうと江戸時代の終わりから明治・大正時代ということになる。蝶々夫人は明治時代の話らしい。その当時、イタリアの作曲家が日本の人間の出来事に目を向けていたとは驚きでもあるが、初演は大失敗に終わったという。しかし、2回目は内容を改善して成功をおさめたそうだ。

今時、晴れの天気ことを「ピーカン」というらしいが、これは蝶々夫人の夫「ピンカートン」が由来だとかいうことだ。

来週もテレビドラマの「蝶々さん」を見なくてはいけない。




言葉がわからないので歌の意味もわからない。
日本語での歌は見つからなかった。
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