いつから読書が嫌いになったのか?
図書館の帰りにふと思った。私は子供の頃、本の虫といえるほど、本を読むのが好きな子どもだった。なのに、いつから嫌いになったのだろう。
そうだ、昔はもっと無心に本を読んでいたのだ。何かの本を読んだからといって、その内容を分析したり、まとめたりすることもなかった。ただただ読んでいただけだった。
無心に思うままに好きな本を読めなくなったのは、おそらく短大を境にするものである。
そこで、国文科に入ったからだ。主に近代文学をやっていたけど、その時から、本を読んで内容を理解し分析するということが、競争の世界、他人との比較となってしまった。
あなたは、この部分を読み落としている。作者の意図はそんなことではない。そんな読み方ではまだ全然わかってないな。まだまだ読み込みが足りない。etc.etc.
そこで、自分は誰よりも賢く、誰よりも深く、誰よりも念入りに作品を読み、誰もが読み落としたところに気づき、精密に理解しないといけなくなったのだ。そんなことはできるはずも無いし、今となってはそんなことで苦しむのはバカらしい。
放送大学に入って、やっぱり文学作品を読んでレポートを書く面接授業を受けたことがあったが、その時もさらにそういう強迫観念に攻め立てられた。そして、レポートに点数をつけられ、脳なしであり、バカであり、作品を理解することのできない自分が自分自身の前にただあらわになっただけだった。だから、もっともっと頑張らなくちゃいけないと思うが、とてもじゃないけど頑張れないし、実際、もう頑張る気にはなれないし、そんな情熱はないし、そんなこと好きでもないのだ。そうだ、そんなことはキライなのだ。
昔、「ジャンニーノのいたずら日記」を読んでいたころのように、私は何も考えず、ただ楽しいと思って読書をしたい。そうだ、昔のように本を読めばいいじゃないか。
それが、「初心に帰る」ってことだ。
図書館の帰りにふと思った。私は子供の頃、本の虫といえるほど、本を読むのが好きな子どもだった。なのに、いつから嫌いになったのだろう。
そうだ、昔はもっと無心に本を読んでいたのだ。何かの本を読んだからといって、その内容を分析したり、まとめたりすることもなかった。ただただ読んでいただけだった。
無心に思うままに好きな本を読めなくなったのは、おそらく短大を境にするものである。
そこで、国文科に入ったからだ。主に近代文学をやっていたけど、その時から、本を読んで内容を理解し分析するということが、競争の世界、他人との比較となってしまった。
あなたは、この部分を読み落としている。作者の意図はそんなことではない。そんな読み方ではまだ全然わかってないな。まだまだ読み込みが足りない。etc.etc.
そこで、自分は誰よりも賢く、誰よりも深く、誰よりも念入りに作品を読み、誰もが読み落としたところに気づき、精密に理解しないといけなくなったのだ。そんなことはできるはずも無いし、今となってはそんなことで苦しむのはバカらしい。
放送大学に入って、やっぱり文学作品を読んでレポートを書く面接授業を受けたことがあったが、その時もさらにそういう強迫観念に攻め立てられた。そして、レポートに点数をつけられ、脳なしであり、バカであり、作品を理解することのできない自分が自分自身の前にただあらわになっただけだった。だから、もっともっと頑張らなくちゃいけないと思うが、とてもじゃないけど頑張れないし、実際、もう頑張る気にはなれないし、そんな情熱はないし、そんなこと好きでもないのだ。そうだ、そんなことはキライなのだ。
昔、「ジャンニーノのいたずら日記」を読んでいたころのように、私は何も考えず、ただ楽しいと思って読書をしたい。そうだ、昔のように本を読めばいいじゃないか。
それが、「初心に帰る」ってことだ。