今日は、17年前に阪神大震災があった日だ。会社で昼休みに同僚から聞いて、初めて思い出した。テレビで放送していたというが、私が出勤前に見た短時間の間、自宅のテレビでその内容を見聞きすることはなかった。阪神大震災の話をしながらお昼を食べていると、本当の地震がやってきたので、また驚いた。このごろお昼を食べている時に揺れる事が多い。幸い、そんなに大きな揺れではなかった。
17年前、朝起きると、テレビに大阪や神戸のほうの航空映像が流れていた。都会の各所から火が上り、高速道路が破壊されている様子などが写されていて、本当の事とは信じられない状況だった。あの震災で6434人の人が亡くなったそうだ。
今日の讀賣新聞夕刊の寸評では、阪神大震災を詠んだ“大寒は第四日目のことなりし”という句が紹介されていた。この句は、とあるブログを見たら、もともと、阪神大震災の時に新聞で紹介されたものだが、昨年の東日本大震災の数日後にもまた新聞で紹介されていたようだ。阪神大震災の何倍もの死者がでてしまい、3月の東北もかなり寒かったことから、阪神大震災と合わせて想い起こされたものだったようだ。
今日の「よみうり寸評」によると、元の句は高野素十(すじゅう)という俳人による“大寒の第四日目のことなりし”というものだそうだ。この句は、高野素十が友人の死を悼んで書いたものであり、友人は大寒から4日後に亡くなったものらしい。
高野素十という人の事を調べてみたら、1893.3.3~1976.10.4、職業は医学博士で、血清学を専門とし、医大の教授や学長などをしていた人だった。ホトトギス派の俳人であり、高浜虚子に師事。水原秋桜子、山口誓子、阿波野青畝と共に頭文字をとってホトトギスの4Sと言われていた。自然を客観的に描写し「純写生派」と言われていたそうだ。
話を大寒に戻すと、17年前の大寒は、20日であり、震災が起こった日から4日目だったとのことだ。今年の大寒は21日だそうなので、今日から5日目ということになる。
大寒は1月20日前後であり、その15日前が小寒であり、大寒の15日後が立春で、大寒の前後が1年のうちでもっとも寒い時期と言われている。
阪神大震災の日の翌日は私の誕生日である。自分の誕生日に大震災が起こらなくてよかったとホッとしたものだが、どっちも一番寒い時期であることに間違いない。ちなみに山口百恵の誕生日が17日だ。
私が生まれた時代は、暖房と言えば小さな火鉢が1つあるきりで、隙間風が入るような寒々しい家だったそうである。今思うとそんなところでよく育ったものだと母が言うが、当時はみんなそんなものだったのだろう。17年前と昨年の震災では、被災地の人たちはどんなにか寒かったことだろうと思う。
今日の「よみうり寸評」では、大寒の句に続いて、寺田寅彦の随筆「津波と人間」のことが取り上げられていた。「地震や津波は頑固に、執念深くやってくる」と書いてあるそうだ。
大寒のように毎年定期的にやってくるものではなく、不規則に忘れたころにやってくるものだから、記憶をなくさず、それに備えなくてはならないとのことだ。
寺田寅彦の「津波と人間」と言えば、先日送られてきた放送大学の面接授業案内で、6月に神奈川学習センターにて「寺田寅彦を読む」というのがある。寺田寅彦という名前は聞いたことがあるが、私はこの人の随筆を読んだことがない。授業では「天災と国防」「津波と人間」「災難雑考」「日本人の自然観」などが取り上げられるようである。なかなか興味深いが、これらの本を読むのは大変そうだし、神奈川まで行くのは大変なので考慮中だ。
でも、1冊くらい読んでみようかと思う。放送大学では、その他に放射能や原子力のことに関する面接授業も多い。ほんとうにタイムリーで重要なことを取り上げていると思う。
私は明日で1歳年をとるので、今日が今の年齢最後の日である。この年齢の最後の日を有意義に過ごし、次の年齢最初の日からもしっかり生きなくてはいけないと思っているが、今日はもうあと10数分になってしまった。
放送大学の試験勉強を少しやってから寝ようと思う。
17年前、朝起きると、テレビに大阪や神戸のほうの航空映像が流れていた。都会の各所から火が上り、高速道路が破壊されている様子などが写されていて、本当の事とは信じられない状況だった。あの震災で6434人の人が亡くなったそうだ。
今日の讀賣新聞夕刊の寸評では、阪神大震災を詠んだ“大寒は第四日目のことなりし”という句が紹介されていた。この句は、とあるブログを見たら、もともと、阪神大震災の時に新聞で紹介されたものだが、昨年の東日本大震災の数日後にもまた新聞で紹介されていたようだ。阪神大震災の何倍もの死者がでてしまい、3月の東北もかなり寒かったことから、阪神大震災と合わせて想い起こされたものだったようだ。
今日の「よみうり寸評」によると、元の句は高野素十(すじゅう)という俳人による“大寒の第四日目のことなりし”というものだそうだ。この句は、高野素十が友人の死を悼んで書いたものであり、友人は大寒から4日後に亡くなったものらしい。
高野素十という人の事を調べてみたら、1893.3.3~1976.10.4、職業は医学博士で、血清学を専門とし、医大の教授や学長などをしていた人だった。ホトトギス派の俳人であり、高浜虚子に師事。水原秋桜子、山口誓子、阿波野青畝と共に頭文字をとってホトトギスの4Sと言われていた。自然を客観的に描写し「純写生派」と言われていたそうだ。
話を大寒に戻すと、17年前の大寒は、20日であり、震災が起こった日から4日目だったとのことだ。今年の大寒は21日だそうなので、今日から5日目ということになる。
大寒は1月20日前後であり、その15日前が小寒であり、大寒の15日後が立春で、大寒の前後が1年のうちでもっとも寒い時期と言われている。
阪神大震災の日の翌日は私の誕生日である。自分の誕生日に大震災が起こらなくてよかったとホッとしたものだが、どっちも一番寒い時期であることに間違いない。ちなみに山口百恵の誕生日が17日だ。
私が生まれた時代は、暖房と言えば小さな火鉢が1つあるきりで、隙間風が入るような寒々しい家だったそうである。今思うとそんなところでよく育ったものだと母が言うが、当時はみんなそんなものだったのだろう。17年前と昨年の震災では、被災地の人たちはどんなにか寒かったことだろうと思う。
今日の「よみうり寸評」では、大寒の句に続いて、寺田寅彦の随筆「津波と人間」のことが取り上げられていた。「地震や津波は頑固に、執念深くやってくる」と書いてあるそうだ。
大寒のように毎年定期的にやってくるものではなく、不規則に忘れたころにやってくるものだから、記憶をなくさず、それに備えなくてはならないとのことだ。
寺田寅彦の「津波と人間」と言えば、先日送られてきた放送大学の面接授業案内で、6月に神奈川学習センターにて「寺田寅彦を読む」というのがある。寺田寅彦という名前は聞いたことがあるが、私はこの人の随筆を読んだことがない。授業では「天災と国防」「津波と人間」「災難雑考」「日本人の自然観」などが取り上げられるようである。なかなか興味深いが、これらの本を読むのは大変そうだし、神奈川まで行くのは大変なので考慮中だ。
でも、1冊くらい読んでみようかと思う。放送大学では、その他に放射能や原子力のことに関する面接授業も多い。ほんとうにタイムリーで重要なことを取り上げていると思う。
私は明日で1歳年をとるので、今日が今の年齢最後の日である。この年齢の最後の日を有意義に過ごし、次の年齢最初の日からもしっかり生きなくてはいけないと思っているが、今日はもうあと10数分になってしまった。
放送大学の試験勉強を少しやってから寝ようと思う。