山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

ブルーインパルスのこと 2

2012-11-17 20:02:07 | 読書
[東京オリンピックで五輪を描いたF-86F]

ブルーインパルスのアクロバット飛行で戦後際立った活躍は、1964年の東京オリンピックの開会式で、5機のF-86F戦闘機が五輪マークを大空に描いたことが有名だ。
そういえば、映画「3丁目の夕日」でそんな場面もあったようだ。当時4歳だった私にはもちろん記憶はない。おそらく自宅の白黒テレビで家族と一緒に見ていただろうけど、そのときのスモークはちゃんと5色の色をしていたそうだ。
ブルーインパルスが空に五輪を描くという発想は、航空自衛隊から参議院議員になった源田實という人の発想と行動によるものだったようだ。この人は、戦時中から軍人でパイロットだったが、実戦の経験はなく、派手なことがすきでカリスマ性のあるひとだったらしい。

最初は、戦闘機が丸い円を描くことは不可能と思われたようだが、科学的な高度や速度などの計算に基づき、地上からきれいな五輪に見える描き方を試行錯誤し、何度も練習を重ねたことによって、みごとに本番は大成功させた。
この円は、飛行機が水平に飛んで円を描いているのではなく、垂直方向に飛ばないといけないので、高度な技術を要するものだし、時間のタイミングも難しい。また、噴き出す色のついたスモークはとても高価なものであるため、練習ではそんなに使うことができなかったそうだ。
1964年の10月10日は、前日の大雨ににもかかわらず、予想に反して快晴であり、雲ひとつない青空に五輪を描くことになった。ブルーインパルスは、入間基地から飛び立ち、江の島上空に待機し、神宮上空に向かった。成功して本当によかった。このときのオリンピックは、東洋で行われた初めてのオリンピックだったそうだ。戦争に負けてもやっぱり日本は東洋の先頭を行く国なのだ。頑張っていたなと思う。

この本を読んで改めて知ったことは、敗戦後、日本に軍事力はなくなった(なくならされた)のかと思っていたら、そうではなく、アメリカの都合もあって軍事には力を入れていたということだ。ハチロクと言われるこのF-86F戦闘機も最初はアメリカから供与されたもので、後に三菱重工が作るようになったものらしい。自衛隊となった軍隊は、戦後も軍事力を持ち、訓練や防衛もしっかり続けていて、自衛隊員を募集していた。当時五輪を描いたパイロットたちは、やはり航空自衛隊のエリートと言えるが、終戦当時まだ少年だった人たちが、戦後、自衛隊に入る試験を受けて戦闘機に乗る隊員になっていたということだ。
悲惨な戦争で大部分の兵隊が死んでいったあとに、さらに軍人になろうと考える人がいようとは、思ったこともなかったが、確かに、戦争が終わってもそこで軍備が途切れたわけではないことに改めて気付かされた。

当時、戦闘機などの飛行機はよく落ちるもので、日本に駐在している米軍の飛行機などもしょっちゅう落ちては一般人にも犠牲を出していたそうである。それで、自衛隊は、一般に迷惑をかけないことに非常に気を使っていた。オリンピックでも万が一の時には、機体をどこに墜落させれば犠牲がでないかなどをよくよく考えていたとのことである。

「飛行機は飛び立ったら、落ちるか着陸するかのどちらかしかない」という記述は、的を射ている。

上空では酸素も薄くなるし、気圧も違う。上空飛行と低空飛行では全く状況が違うらしい。高度を一気に上げたり下げたり、宙返りなどするとすごい重力もかかるし、その苛酷さは、想像以上のものであることが察せられる。いつも危険と隣り合わせだ。
あらためて、パイロットとは、よくこんな大変なことをするものだと思う。

五輪を描いたパイロットの中には、後に、民間旅客機のパイロットになった人もいるようだ。パイロットは機体に異常が起き、緊急事態で不時着するときなども、地上に犠牲者が出ないようなところに不時着するよう、限られた時間の中で咄嗟の判断をするそうである。
いつも覚悟と責任を持っているのだろう。

東京オリンピックの話にもどると、この大会の陸上競技でメダルをとったのはマラソンの円谷選手の銅メダルひとつだったそうだ。この時のマラソン金メダルはエチオピアのアベベ選手であり、円谷は2位を走っていたが、ゴール間近でイギリスの選手に抜かされてしまったそうだ。私が小学生のときに、このときのことを書いた文章が国語の教科書に載っていたのを覚えている。円谷選手はその数年後に挫折が続き、自殺したという。残念な結末となってしまった。とても真面目な人だったようだ。
このオリンピックでは、銅メダルの円谷選手と、大空に五輪を描いたブルーインパルスの隊員たちが防衛庁長官から表彰を受けたそうである。円谷も自衛隊の所属だったらしい。この時の防衛庁長官は、元総理小泉純一郎氏の父、小泉純也だったそうだ。

いろんなことが、現代につながって面白い。
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ブルーインパルスのこと 1

2012-11-17 18:06:33 | 読書
このあいだ、入間基地の航空祭に行ってから、ブルーインパルスについていろいろと知りたくなった。このあいだの11月3日は、バードストライク(鳥が2番機にぶつかって機体の一部が破損した)によって、ショーが中断されてしまった。それまでに、アクロバット飛行の素晴らしさは充分に堪能できたが、その素晴らしさと同居する一種の危うさ、はかなさのようなものが伝わってきた。

そして、私が今回の航空祭の数日前に、夫にブルーインパルスを見に行くと言われて、まず「いやだ」と言ったのは、ほかでもない、「飛行機が、見物しているところに落ちてきたらどうするの」という理由だったのだ。私には、何年か前にブルーインパルスが航空ショーの本番で墜落したことがあるという記憶があったのだった。
まさか、そのたびに落ちたりはしないだろうが、会場に行けばそういう危険性がゼロではない。行かなければそんな危険に遭遇することはないだろう。

今回のバードストライクの件で、いったい何が起こったのだろうとネットの記事を探して読んでいると、1982年に浜松基地で起きた、ブルーインパルスの悲惨な事故のニュース記事がいくつも出てきた。
以前は「戦闘機が墜落炎上した」という物体の破壊だけがアタマにあったが、今回、実際にアクロバット飛行を見て、そのパイロットってすごいなあ、みんな優秀なひとたちなんだろうなあ、と感心するばかりだったので、その事故機に乗っていたパイロットはどうなったのか、どういう人だったのか、とそのことがとても気になってきた。ネットの記事から、亡くなったのは高嶋潔、一等空尉、30歳、ということがわかった。
今現在、航空ショーが毎年続けられているけれど、家族の人や知人はいったいどんな気持ちなんだろうかと思った。
そして、何が原因だったのかというところで、機体の問題や人的ミス、それから、パイロットが少しでも他への被害を食い止めるために、自分は脱出しないで飛行機の行き先をコントロールした状況など記載されている記事もあった。

もっと詳しいことが知りたいと思った。もし街中に突っ込んだりしたら、それこそ大変なことになっていたが、自衛隊の人たちは、常日頃から、まず民間に迷惑をかけないことを考えて行動しているそうだ。それで、最悪の事態にも被害は最小限に抑えられたのかもしれない。でも、パイロット以外にも重傷を負った一般人がいて、また車や家屋などにもたくさんの被害が出たそうだ。ネットの掲示板などを読んでいると、この事故の事やブルーインパルスの歴史について詳しく書かれている本があることが紹介されていた。

それが「ブルーインパルス~大空を駆けるサムライたち~」(武田頼政)(文藝春秋社 2011年6月発行)である。



この本を迷わず買うことにした。そして、今読んでいるところだ。

この、武田頼政という著者は、元は航空専門誌の記者だったが、その後フリーになって、坂本弁護士一家殺害事件や、朝青龍の八百長を告発する記事なども書いた人のようである。

「ブルーインパルス」を読んだ感想については、これからいろいろ書いて行きたいと思う。
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何度も往復

2012-11-17 02:02:12 | 日記
やっと週末になった。

今週は、ジムには2回しか行かなかった。
入会したのは仕事がヒマな時期だったし、会社の帰りに寄ろうと思っていたのだけど、実際には一旦家に帰ってから行くようになり、そのためには、全く定時に会社を出ないと間に合わないのだ。私の行っているジムは午後6時に終了するのである。普通のジムだと夜間もやっているけど、逆に夕方の4時から6時くらいはやっていないことが多いので、夜まで時間をつぶさなくちゃいけないし、料金も高いから私には時間帯が合わないのだ。でも、6時に終わっちゃうというのも結構不便だし、土曜の午後と日曜もやっていない。主婦向けだなと思う。そんなわけで、年末に近づくと仕事が忙しくなってきて、残業まではいかなくても30分近く遅く退社することが日常的になる。そうなるともう時間はギリギリだ。夕飯の材料を買ったりする時間もないし、帰宅すると6時はとうに過ぎているので、それから料理をするのも面倒くさくなる。それにお腹が空いているので、夕飯を作る前に、目の前にあるものをバクバクたべてしまう。

運動をすると、汗をかいて、血行がよくなり、身体が温まる。それは健康に良さそうなのだけど、額にかいた汗は、夜の冷気にさらされると結構冷える。アタマが寒いことに気がついた。もしかして風邪をひいてしまうかもしれないので、帽子があったほうがいいかもしれないと思った。

夕飯を食べ終えてから、また職場近くのコンビニに行った。通販で物を注文してあったのだが、それが届いたからだった。平日に受け取るつもりで職場近くに指定したら、週末になってしまったから意味がない。実際には今日の昼間届いていたらしいが、その連絡を見たのが帰宅後だった。こんなことなら自宅に配達してもらえばよかった。月曜日まで待つのもいやなので、3度目の往復だ。いつも昼ごはんを買っているコンビニだが、夜行くと店員さんが全然違うメンバーで驚いた。たしかに、同じ店員さんが24時間働いているわけがないけど、全員違うもんなんだな~と改めて気がついた。

3回も会社近くに往復したので、結構運動になったはずだ。
それにしても、今日は久々に胃が痛いし、胃液が逆流してきそうだ。昨日のストレスが今になって胃に影響しているらしい。ちょっと職場でまた、すっきりしない状況なのだ。昨年もそうだったけど、パートタイマーの契約更新時は全くストレスだ。
実際、上の方がどういう方針で進めようとしているのかよくわからない状況で、まずこちらの意向を聞く形で始まるものの、数日後になって、いつも後だしじゃんけんみたいにとんでもない条件を提示してくるから、気が気ではない。
まずは、こっちの手のうちを見てから、敵は作戦を考えるってわけだ。あなたがこういったので、こうしましたってのが、全く受け取り方が違ったりするわけだ。

そんなこと、会社に限らずなんでもそうで、最初の話にはなかった悪条件を後で出してくるようなことが、最近、他のことでもいろいろあって、実際まいっちゃってる。弱者は言いなりになるしかないし、結局そこでゴネてると物事が進まないし、進まないことによって結局はそれ以上の損失を被るから、多少卑怯なことをされても、我慢して受け入れるしか仕方がないということが多発しているのだ。予期せぬマイナス面を差し引いても、全体がわずかでもプラスになることであれば、受け入れるしかないという割り切りが必要だ。先方は、こちらがそういう判断をするしかないということを知っているので、強気である。こっちは、しぶしぶ承諾だ。

さて、明日はお天気は下り坂らしい。やらなくてはならない家事もたまっているけれど、どうやって過ごそうかな。



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