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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

クロスワード334回

2014-10-13 23:25:50 | 日記
せっかく、毎週クロスワードを解いているので、それにちなんで、何かひとつくらい書こうかなと思います。
というのも、このブログには「クロスワード」の記事を求めて来て下さる人が結構いるようなんです。新しい記事を書かないと、古い内容しか読めないので、申し訳ないです。

今回のタテのカギ1は「10月8日に見えましたか?」というもので、答えは簡単「カイキゲッショク」でした。
ところが、自分の字がものすごく汚なかったので、「カイキゲンショウ」と書いてあるように見えてしまい、そのため、ヨコのカギを解くのに「あれっ」と思いました。
「カイキゲンショウ」なんて言葉書いたかな?と思ったら、「ツ」が「ン」に「ク」が「ウ」に見えちゃってる事がわかりました。

そういえば「皆既月食」と「怪奇現象」って言葉は、カタカナ表記がかなり似ているなあと気づきました。
意味を考えると、満月がいきなり欠け始めて、消えるかと思いきや、赤っぽい満月になり、その後また細い月となって、そして元の満月に戻るなんてのは、昔の人にとっては、「怪奇現象」だったかもしれないなあ、などとも思いました。

ところで、毎日新聞のクロスワードは、周囲を埋める単語の文字数が長いのが特徴ですね。
これらの言葉がわかると解きやすいです。

江戸時代に「士農工商」なんていう身分制度が無かったとは、驚きです。社会のテストには必ず出ていたものでした。

これまでにたくさんの修羅場をくぐってきたことを「百戦錬磨」っていうのか。
私は、「どんなことでもこなせる、すごいやり手の人」のことを言うんだと思っていました。
辞書によれば、[数々の実戦で鍛えられること。また、多くの経験を積んでいること。「百戦」は数多くの戦い。「錬磨」は練り磨くこと、よく鍛えること。多くの戦いにのぞんで武芸を鍛え磨くことをいう。]とのことです。
「あの人は百戦錬磨だ」なんて言いますが、転じて「たくみにやりこなせる人」ってことにもなるのかな。

「ちょっと太めの老人ではなく、日本の昔話」というヒントは面白いですね。
小太り爺さん→コブ取りじいさん

周囲の長い言葉は、その3つでした。
あとは、会社・裏山・先様・さらし粉と4文字の言葉でした。

漂白や殺菌の時に使うカルキのこと=「さらし粉」について調べました。

(bleaching powder)漂白粉,カルキともいう。
次亜塩素酸カルシウムを有効成分とする白色粉末で、アルコールや水によく溶ける。
塩素に似た刺激臭を放ち、次亜塩素酸ナトリウム、亜塩素酸ナトリウムなどとともに強い酸化漂白作用をもつ。
そのため、さらし粉は一般に漂白剤、殺菌剤として用いられる。
さらし粉の主成分の組成はCa(OCl) 2・CaCl2・2H2Oであり、この純粋な物質の酸化作用を営む有効な塩素量は48.9%であるが、実際の工業製品にはCa(OCl)2,CaCl2,Ca(ClO3)2,H2Oからなる固溶体と消石灰が含まれるため、有効塩素量は33~38%で、日本薬局方、食品添加物およびJIS1級では、30%以上含むことと規定されている。(世界大百科事典)

ところで、水道水やプールに使われているカルキは、「次亜塩素酸ナトリウム」のほうらしいです。次亜塩素酸ナトリウムのほうが水に溶けやすく安価なため、液体として多くでまわっているそうです。ハイターとかブリーチなどの市販の液体漂白剤もこれのようです。

さらし粉は「次亜塩素酸カルシウム」のことをいい、こちらは通常固体であり、次亜塩素酸ナトリウムよりも高価だそうです。次亜塩素酸カルシウムは、次亜塩素酸ナトリウムよりも水に溶かしにくいそうです。固体で長期間保存することができるのがメリットだそうです。

ということで、今回は、周囲の単語について書いてみました。


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公共の施設を作るということ

2014-10-13 00:38:41 | 日記
この間、公共の施設を作る説明会に参加する機会があった。
それを聴いていたら、設計者や施工者は、いろいろとアイデアを駆使して、気のきいたもの(担当者の判断で最適と思えるもの)を造る計画を、すでに完成させていた。
私が聴いていても、なるほど、そこに凝ったのか、なかなか贅沢だな、等と思った。到底貧乏人個人ではそういう設備やデザインを取り入れることはできないが、公共施設であれば、そういうことが可能である。高級感は我が家にはないが、公共施設に行って、さも自己財産のように、それを眺め楽しんだりする権利がある。なぜならば、それは税金で作られるからであり、公共施設は公共の財産だからだ。

ところが、それを聴いていた人の中には、その施設の設計が気に入らない人が複数いて、その建設計画がどうしようもないものであるかのような意見や感想が飛び交った。税金でそんなものを作ってどうするんだ、自己満足だ、ふざけんな、考え直してこい、のようなものである。これは、ある意味公務員イジメではないかと感じた。

それにしても、私は、最初の説明を聴いている段階で、設計者たちは、わが物のようにいろいろとデザインや配置や素材などを、考えたり、選べたりしていいなあと思った。予算も自分個人のものではないのだし、実際、結構な額があるのだろう。我家では、物品が老朽化してもそのまま使うし、何かを修理するにしても、財布と相談してあきらめたり、一番安いもので間に合わせたりするわけだが、それよりも高級なものを採用できそうな気がした。

私の場合、それについて、楽しそうだな~と思ったわけだが、逆に、それが気に入らない人々もいることがわかった。そのデザインや設計が自分の趣味や考えに合わなかったからでもあろう。「きっと気に入ってもらえますよ」と言ってプレゼントされたものについて「こんなものいらん」とつっかえすみたいなかんじだ。

公共物を作るのに、すべての人の満足が行くようには、到底できるわけがない。
あるものは高級感が欲しいというが、あるものはそういうものはいらないといい、あるものは年寄り向けにしろといい、あるものは子どものために作れと考える。景観を重視するのか、実用性を重視するのか、交通の便を重視するのか、優先したい要素は十人十色である。

それで、自分に気に食わないからと、設計者にダメ出しするというのもどうなんだろうか。

その後、公共物の設計について不明な部分があり、担当部署に聞きに行ってみたところ、当の設計者という若者が出てきて説明してくれた。
「自分が設計した本人なので、何でも聞いてください」という笑顔を見たとき、この人がどれだけ情熱を持って仕事に取り組んでいるかが肌に伝わってきた。
このように生身の人間を前にしたら、けっして頭ごなしにダメ出しなどできないのではないだろうか。

ただ、「模様のステキさに凝りました」「デザインをこういうイメージに」のような情熱に対して、いや、そりゃたしかにいいんだけど、これって不便じゃない?どうにかしてくれない?こんな素敵なデザインにしたところで、何ら根本問題は解決しないんだよねと言うのも現実で・・・。

いや、今書いていて支離滅裂ですが。
つまり、私はその公共施設について、いいんだかわるいんだか、自分でもよくわからなくなりました。きれいに整備されるのはいいことですし、有能な公務員の方々が、誠意を尽くして考えた結果の設計やデザインなのでしょう。しかし、多額の経費を使って作っても、多くの人が満足できるようなものではないのかもしれない。

公共施設というのは、だいたい何%の人が満足すれば成功と言えるのでしょうか。
年月が経ってみないとわからなことかもしれません。

どっちにしても、公共のものを作るということは難しいことだなあと思います。
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