結構分厚い文庫本でしたが、順調に読み終えました。
普段は、パソコンを立ち上げる合間に読んでいました。私のパソコンは、最近立ち上がるのがすごく遅いので5分くらいは待ってなきゃならないのです。その間、読書をしてました。
それから、実家への往復に電車の中で、読みました。車を運転して帰ろうかと思いましたが、やはり勇気がなく、電車にしたおかげで、読書の時間が取れました。
それから、実家の布団の中で読みました。これは不思議な感覚がよみがえりました。
子供のころから高校生まで、自分の部屋で読書をしていた時の感覚です。その部屋は読書に向いている、と思います。あの家に住んでいたときは、私は読書家だったのでした。
「ひまわり事件」を読み終えたのは、帰りのロマンスカーの中でした。
・・・・・・・・・・・・
一番先に思ったことは、晴也たち4人組が13年後にヒマワリを蒔きに行ったとき、そこに現れた年寄りは、寿司辰だけでしたが、どうしてそういうストーリーにしたのだろうか?ということでした。
願わくば、「晴也」と一番交流の深かった「誠次」が来て再会するのが自然な形式なように思うのでした。この2人が中心人物だったでしょう。
読者は、きっと「誠次」が現れると思って読んでいます。
しかし、「誠次」は2年前に亡くなったそうです。(あっけなく明かされます。)
最後のメンバーは、誠次と聖也ではなく、4人と寿司辰が描かれていました。
それが現実というもの?でも、「寿司辰」と4人の再会は良かったです。悲しいけどよかったと思えます。胸が痛みつつも温かい気分になります。
そして、人間ってそういうものなんだと、ふと思いました。
自分の蒔いた種(働きかけたこと)が、自分に戻ってくるわけではなく、ある人がしたことが、未来には別の人にも影響していくということです。たとえ自分が死んでも。
また、けっして1人の人が、たった1人の人に影響を与えるのはなく、複数の人々がかかわりを持っているということではないのか?
そして、それが価値のあることなのかもしれない。
それから、人をあっといわせるようなひと踏ん張りをしてみたり、何かのたくらみや、仕掛けをすることを、人は生きる上で忘れてはいけないような気がする。
晴也たちの幼児期の体験が、13年後の「ヒマワリ事件」につながっていくのだ。
事無かれ主義とか、自分のその場の都合ではなく、自分が正しいと思うことに思い切って突き進む勇気と手間を惜しんではならない。
長いものに巻かれない。自分の信念を貫くことだ。
荻原さんの小説は、本当に痛快だ。ここまでやっちゃう?と思う展開。
でも、胸キュンである。人生の哀愁。人々の自分の生きざまへのこだわり。
(この小説には、複数の重要人物が登場し、各世代の生きざまや人生が描かれていて、書きたいことは多々ありますが、ここでは割愛します。)
人はいろんなものを背負って生きている。子供は成長し、いずれは老いてこの世を去る。
その中で、やはりどうやって生きて行くべきなのか?
自分の生きざま、やり残したことをやり遂げること。
いろいろ考えさせられ、感じさせられた「ドラマ」だったなあ。
・・・・・・・・・・・
riceの「ひまわり」つながりで、この小説を選んだけど、読んで良かったです。
普段は、パソコンを立ち上げる合間に読んでいました。私のパソコンは、最近立ち上がるのがすごく遅いので5分くらいは待ってなきゃならないのです。その間、読書をしてました。
それから、実家への往復に電車の中で、読みました。車を運転して帰ろうかと思いましたが、やはり勇気がなく、電車にしたおかげで、読書の時間が取れました。
それから、実家の布団の中で読みました。これは不思議な感覚がよみがえりました。
子供のころから高校生まで、自分の部屋で読書をしていた時の感覚です。その部屋は読書に向いている、と思います。あの家に住んでいたときは、私は読書家だったのでした。
「ひまわり事件」を読み終えたのは、帰りのロマンスカーの中でした。
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一番先に思ったことは、晴也たち4人組が13年後にヒマワリを蒔きに行ったとき、そこに現れた年寄りは、寿司辰だけでしたが、どうしてそういうストーリーにしたのだろうか?ということでした。
願わくば、「晴也」と一番交流の深かった「誠次」が来て再会するのが自然な形式なように思うのでした。この2人が中心人物だったでしょう。
読者は、きっと「誠次」が現れると思って読んでいます。
しかし、「誠次」は2年前に亡くなったそうです。(あっけなく明かされます。)
最後のメンバーは、誠次と聖也ではなく、4人と寿司辰が描かれていました。
それが現実というもの?でも、「寿司辰」と4人の再会は良かったです。悲しいけどよかったと思えます。胸が痛みつつも温かい気分になります。
そして、人間ってそういうものなんだと、ふと思いました。
自分の蒔いた種(働きかけたこと)が、自分に戻ってくるわけではなく、ある人がしたことが、未来には別の人にも影響していくということです。たとえ自分が死んでも。
また、けっして1人の人が、たった1人の人に影響を与えるのはなく、複数の人々がかかわりを持っているということではないのか?
そして、それが価値のあることなのかもしれない。
それから、人をあっといわせるようなひと踏ん張りをしてみたり、何かのたくらみや、仕掛けをすることを、人は生きる上で忘れてはいけないような気がする。
晴也たちの幼児期の体験が、13年後の「ヒマワリ事件」につながっていくのだ。
事無かれ主義とか、自分のその場の都合ではなく、自分が正しいと思うことに思い切って突き進む勇気と手間を惜しんではならない。
長いものに巻かれない。自分の信念を貫くことだ。
荻原さんの小説は、本当に痛快だ。ここまでやっちゃう?と思う展開。
でも、胸キュンである。人生の哀愁。人々の自分の生きざまへのこだわり。
(この小説には、複数の重要人物が登場し、各世代の生きざまや人生が描かれていて、書きたいことは多々ありますが、ここでは割愛します。)
人はいろんなものを背負って生きている。子供は成長し、いずれは老いてこの世を去る。
その中で、やはりどうやって生きて行くべきなのか?
自分の生きざま、やり残したことをやり遂げること。
いろいろ考えさせられ、感じさせられた「ドラマ」だったなあ。
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riceの「ひまわり」つながりで、この小説を選んだけど、読んで良かったです。