山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

旅行ガイドブックについて

2024-10-17 18:22:06 | 読書

「東京の流儀」について書くのはいよいよこれでおしまいです。

最後は「ガイドブック」について書かれていました。福田和也氏は、日本の旅行ガイドブックは、飲食店や土産物のことばかり載っていて肝心な現地のことが紹介されていないと述べています。

これは全く同感です。

福田氏が言うには、海外のガイドブックは、ショッピング情報などはほとんど載っていなくて、その観光地の歴史などがしっかり記載されているとのことです。

外国人が作ったガイドブックはそうなのですが、日本人が作ったガイドブックはショッピング情報誌みたいになってしまい、読むところが何もないようなものになっている。

それはそれを利用する日本国民がそういうものを求めているからでもあるのだろうとのこと。

私は日本の出版社の作ったガイドブックしか見たことがないし、海外にもほとんど行かないので、最近は日本の観光地のガイドブックしか買ったことがないのですが、まったくショッピング情報しか載っていないのでがっかりします。

肝心な歴史的な見学場所については、ほんのわずかしか載っていません。

あとは美味しい食べ物の写真やそのお店ばかりがならんでいます。土産物もそうです。

それからテーマパークみたいな、後でできた商業施設的行楽地に関しては大きく取り上げられています。一昨年行った北海道のガイドブックがそんな感じでした。

これがなぜかと考えたことがあるのですが、結局、ガイドブックって商業施設の広告にしか過ぎないんだと思うのです。広告のページではないにしろ、なんかお金でももらっているんやないでしょうか?本の購入者から得られる書籍代よりも、記事にした商業施設からお金が流れてるんじゃなかろうかと思うほどです。今時、あんまり本も売れないですが、そうなっていれば売れなくても元は取れるし、そして最近は旅行のガイドブックに商業施設のクーポンなんかが付いているみたいですね。

まったく、中身の空っぽの日本人と日本人社会ですよね。

このあいだ、山形駅の周辺を観光したんですが、山形城と博物館と最上義光歴史館と旧山形県庁舎はすばらしいんですよ。そしてこれがほぼ無料なんですね。博物館だけ有料でしたけどすごく安いです。これらについては、パンフレットなどに、なぜかあまり詳しい案内がありません。結局、観光客が見学しても収入にはならないんでしょう。

一方、七日町の「御殿堰」や十日町の「紅の藏」は、なんかとても楽し気な観光スポットとして紹介されていました。でも行ってみたら、ただの商業施設だったんですね。

ランチを食べるという目的は達成できましたけど、それ以上にあちこちで飲食をする必要はないし、土産物を買う必要もなかったので、立ち寄る意味がありません。ただ小ぎれいに整備されて、それらしき雰囲気にこしらえてるっていうだけの場所なのです。でも、こういうところに観光客を呼び込まないと、収益があげられないのでしょう。

いやいや、山形城や旧県庁舎や最上義光歴史館は、見学料を払っても充分な価値があるものでした。でも、あれは税金で成り立っているっていうわけか。

まあ、そんなわけで、日本という国は、中身の空っぽな商業主義で成り立っている社会なのでしょう。

ただ、福田和也氏は、日本のガイドブックに折り込み地図が付いているのは不要だって書いてあったんですが、私は地図は大歓迎です。ガイドブックについている地図は本当に重宝します。グルメの記事なんかはあまり見なくても地図はよく利用します。

それについては、日本人の作るガイドブックは気が利いてるなと思いました。

福田和也氏は先月お亡くなりになってしまったんですが。最近のクーポンだのポイントだのってものに支配されているお店については、きっと嘆いていたんじゃないかと思います。

本当に価値のあるものを見極めて、きちんと対価を払って、目先の損得に振り回されることなく、落ち着いて生活したいものです。

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バーミヤンがイヤになる

2024-10-17 16:20:41 | 日記2024

愚痴です。

本日のランチは、バーミヤンで「あんかけ五目焼きそば」を食べたのですが、お料理はおいしいものの、とにかく様々なことで面倒くさくてイヤになっちゃいました。

まず、お店に入っていくと、これまでは店員さんが席を案内してくれたのですが、本日は「ご自由に空いている席にお座りください」と書いてあるんです。混んでいないからなんでしょうけど、パネルで注文して自分で水を持ってくるんで、客がどこに座ろうが店員さんが把握する必要がないんでしょうね。

で、入っていったんですが、空いている席はどこ~?と店の中をぐるぐるぐるぐる歩き回っちゃいました。1人なので、4人以上の席に座るのは悪いだろうと思うのですが、入り口の1~2人席は満席。
店の中を一巡した後、奥の方に行ったらやっと2人席の小さいテーブルが空いていたので座りました。

それからパネルであんかけ焼きそばを頼んだのです。そうして水やおしぼりは自分で持ってきます。

・・・

しばらくすると、テーブルのタッチパネルに、「まもなく料理が届きます。青く光っているトレーの料理をお取りください」という表示がでました。
すると、遠くから猫型ロボットが近づいてきたのですが、2mくらい離れたところで立ち往生しているみたいなのです。猫ロボットは「進路を譲ってくれにゃん」みたいなことを言っているのかな?と思いましたが、良く聴こえません。「通れないから、ここまで取りに来てくれにゃん」とか、まさか言ってないよね、と思いつつも、ずっとそこに止まっているので、近くまで歩いて行ってみました。

するとそこに私が注文した料理が載っていたので、これ取っていいんだよね、と思いつつ取り上げたんですが「もしかして私のじゃなかったらどうしよう?」と思い、また「目的位置に到着する前に取ってしまうと何か不具合が起きるかも?」などとも思い、どこかに店員さんがいないかな~と探して待っていました。「料理を取ったときは、どこかのボタンかなんかを押すんだっけ?」どこを押すのかわからないし、猫ロボットが狭い通路に詰まっているので、そのボタンみたいなものが見えない方向にあるものなのか、わからないのです。

「どうしたらよいかな~」と悩んでいると、店員さんが見えたので、聞いてみたら、「お客様は何番のテーブルですか_」などと聞かれ、いろいろ事情を説明したあと、ようやくわかりました。結局のところ、その料理は私へのものだったのですが、狭いところに乳幼児用の椅子が置いてあって、猫の配膳ロボットが通過できなくなっていたようです。

・・・

それから無事料理を食べ終え、そういえばバーミヤンって、すかいらーくのアプリを利用するんだっけ?と思いスマホを見てみました。

すると、なんと五目焼きそばのクーポンがあったじゃないですか。849円のものがクーポンを使うと829円になります。税込みでは934円のものが912円になるのですね。
これは使わなきゃ損だったわ、と思って店員さんに聞くと、会計のときに申し出れば訂正してくれるとのことでした。

で、会計に行ったんですが、ここもセルフレジになっているので、店員さんを呼んで定価になってた伝票をクーポンの値段に変えてもらうことができました。

でも、そのあと、支払いでわけがわからないのです。

まず、レシートのバーコードを読み込めというのですが、私がやっても全然反応なしです。店員さんがあきれてやり直してくれました。その後、今度は60才以上のプラチナパスポート(5%引き)をスマホで出し、それもバーコードを読み込ませます。これもわけがわからないので店員さんがやってくれました。

次に「ポイントを読み込みますか?」みたいなこを聞かれたので、「えっ?なんのこと?(何言ってるのかな?)」と何度も聞き直してしまいました。すると、それはすかいらーくポイントのことでスマホの会員証のバーコードを読み込むとポイントが加算されるらしいです。

読み込むか読み込まないか聞かれて、読み込みませんという客もいないと思うのですが、店員さんは、それを出すように促すためにそういう言い方をしたんでしょうけど、わけのわからない客でした。

そうして、その後に今度はV(T)ポイントかRポイントかdポイントカードを出してこれもバーコードを読み込み、それからバーミヤンが入っている商業施設のポイントカードも読み込ませ、そして今回は現金で精算機にお金を入れてお釣りを取り出し、ようやく終わったのです。

何個バーコードを読まないといけないんだ?

伝票・プラチナパスポート・すかいらーくポイント・dポイント・ビルのポイント 5個ですね。

ああ~~~、めんどくさ。

こんなことなら、値引きなんかしてくんなくて結構。ポイントも要らんわい、なんて思いたいのですが、

定価934円が結局クーポンやプラチナパスポートを使うと867円になるわけで、さらに色々ポイントもつくわけで、結局そんなものが欲しいあまりに、こんな面倒くさいことをやり続け、店員さんもゲンナリしながら、やってくれたというわけです。

この作業を1人でさっさかやれる客になれば、それで問題解決なんでしょうけど、できるようになる気がしません。

この頃バーミヤンが空いているのは、これが原因じゃないのか?と思ってしまいます。

 

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「東京の流儀」読中感

2024-10-16 21:16:54 | 読書

本を読み始めても、だいたい途中で投げ出してしまう私ですが「東京の流儀」はもう少しで読み終わります。先週は帰省の行き帰りに電車の中でも読みました。ざっと読み飛ばしていたので、途中で思ったことも書かずに進みました。

そこで、全体的に感じたことを書きたいと思います。最初に感じたように、この人は私とほぼ同じ年齢であり、しかもこの本は20年くらい前に書かれたものですから、40代の人間が書いたものなのに、妙に老成しているのです。

それゆえ、この人が保守派の論客と言われている理由がわかります。変化を好まない、昔ながらのものを愛する傾向なのでしょう。

その中で、新しい店が出来たら早速行ってみるとか、そういうことはしない方が良いというようなことが書いてありました。

人間も中年くらいになると、だいたいどの店が良い店なのか知っており、自分のお気に入りの行きつけの店というのがある。それはもう変化しない定着した安定した価値観の持てるお店なので、いまさら新しい未知の店ができたから行ってみようなんてのは、彼にとっては、ミーハーのやることなのでしょう。

それを考えると、私は今になって、色々な店に行ってみようと思うようになったばかりで、ずいぶんミーハーになったもんだと思います。むしろ子育てをしていたころは、そんなことをしていられないので、近くにあるファミレスみたいなお店にしか行かなかったのです。

自分で自由に動けるようになったのが、もう60代に近くなってからなんじゃないでしょうか。それでも、いまさら老舗みたいなところへは踏み込めないので、ちょっとしゃれたファミレス系カフェくらいしか行けません。寿司屋も洋食も和食も、すかいらーくグループばかりですね。あとはせいぜい星乃珈琲くらいです。

やっぱり、人間の程度が違うんでしょうね。食器も安物だし、伝統的に価値のあるものってのを、一生使わずに終わるのかな。

福田和也氏は、老舗の理容室で髪を切り、昭和天皇と同じメガネ屋でメガネを作り、そういうものにあこがれたのかな。それが保守派と言われる理由でしょう。
一方、多くの人は、古めかしい物よりも新しいものを求めるような気がします。

でも、確かに古くからずっと続いているものの良さっていうのは、否定できません。

私も還暦過ぎてから特に日本の伝統的な文化や歴史などが良い物だなあと思うようになりました。食べものも和食が良いし、昔の日本建築や庭なども素晴らしいと思います。

そうして、そういうものを安定して愛する人間には、それなりの人間の深みみたいなものがあるのですね。

ちょうど、先週の土曜日の朝、テレビを見ていたのですが、テレ朝で市川右團次さんが下田を歩いているのをやっていました。

この市川右團次さんって、私は名前も知らなかったのですが、すごい濃い立派な顔立ちで、それに日常的な立ち居振る舞いがサマになっていて、人とのやり取りや話し方もきちんとしているし、朗らかだし、板についているのです。一体この人はなんなんだろうと思ったら歌舞伎役者でした。

歌舞伎の人っていうのは、本当にそういうものなんですね。舞台ではあんなに大げさな演技をしているのに、テレビドラマに出ても自然な演技が普通にできるし、人との応対もいい感じなのです。

お寺の住職さんと話をしたり、神社や寺で神仏に手を合わせたりするのも、やはり格式がきちんとしとている。それから、中高の同級生が経営している海の見える素敵なホテルに寄ったのですが、そこでは元同級生と気楽に話して、あとビールのお店のマスターなどとも親しくやり取りをしている。誰に対してもきちんとした礼儀があり、それでも緊張はさせないで楽しくお話ができる。こういう人って、どこへ行っても気持ちよく、恥ずかしくない人ですね。

私なんか、無知で世間知らずでありながら、卑しい心を持っていて、あれが損しただのどうしただの、高すぎるだのなんだのと、どこへ行ってもそんなことを考えているし、神社でお参りをするにも、お辞儀ひとつまともにできません。本当に恥ずかしい人間です。

そうして、その番組の中で、昔からずっと続いていて変わらない昔建てられた建物や庭などは、やはり依然として素晴らしく揺るがない、と言うようなことを言っていました。それが文化であり伝統というものなのでしょう。

その思いは、まさしく福田和也氏が書いていることと一致していると感じました。
そうして、この市川右團次さんという人は、1963年生まれで、現在還暦なんですが、なんとこの人もまた慶應義塾大学の法学部政治学科を出ておられるとのこと。下田でホテルを経営している女性の友人の方も慶応の中高の同級生でした。

また、慶応繋がりか、福田和也氏と同じ大学だ、と驚いた次第です。

本を読んだ印象では、福田和也氏は、全体的に風流人っていうのか、まあテーマがテーマなだけに、東京に住む一流オジサンの随筆ってところかな。「男の隠れ家」「プレジデント」(歯医者さんでたまにちら読みしています)の世界かな~。

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ゼロエミポイントだって

2024-10-15 22:36:08 | 日記2024

先日、家電売り場に何気なく立ち寄ったら、東京ゼロエミポイントをまたやっていた。
何年か前もやっていて、その時はダイニングの蛍光灯をLEDに変更して、ポイントをもらったのだった。

その時は、省エネの電気器具を買ったあとで、古い器具と新しい器具を撮影し、その画像を用紙に貼って送ると、審査されてポイント(JCB商品券?)が3000円分くらいもらえたのだった。

その審査が終わるまでが、結構長い間(何か月?)待たされたと言う記憶がある。

・・・・

ところで、今度はそういう面倒な方法ではなく、省エネ器具を買ったときに、値下げしてくれるのだそうだ。

で、照明器具だと、4000円くらい安くなるとのこと。電気屋さんに取り付けてもらう場合は6000円安くなる、ということだ。

まあ、取り付けは自分でやるとすれば、4000円だ。

ところが・・・

そのためには、買いに行くときに、自宅の蛍光灯照明をスマホで撮影してお店に持っていって証明として見せないといけないのだそうだ。

だが、わが家は、これまで使っていた蛍光灯が突然壊れたので、応急的に、以前別の部屋で使っていたオンボロ不良品LED照明を現在使っているのである。

そうして、壊れた古い蛍光灯はさっさと捨ててしまったのだった。

えっ? なっ、なんたること、あれを撮影してないと、蛍光灯をLEDに買い替えたという証拠がないではないか。今現在のLEDからLEDはダメなんだって。

てなわけで、ゼロエミポイントもらえないじゃん~~~~

なんで、ぶっ壊れた蛍光灯をさっさと捨ててしまったんだよ~~

物事は急ぐこと無かれだね。

・・・

まあね、我が家には、もう1つ蛍光灯のシーリングライトがあるので、それを撮影しようかな。

私の部屋のLEDは、なかなかリモコンがきかない(毎回角度を3回くらい変えてスイッチ押し直す)ので、スイッチは紐&リモコン付属式のぶら下がる照明を買いたいなと思っている。

シーリングライトはワンパターンでキライ。
ペンダントライトもみんな同じ色と形でワンパターンなのであんまりおもしろくない。

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節約が激しい人

2024-10-15 17:29:47 | 日記2024

うちの母親は本当に節約姿勢が激しくて、私は実家に帰るたびにストレスを感じてしまう。

先日も、小葱(万能ねぎ)を料理に使うために細かい輪切りにしたんだけど、以前、母が「根っこを植えればまた芽が出てきて食べられる」というので、根元の白いところをちょっと長めに残して、根っこのほうを捨てずに取っておいた。

以前、根っこを1・5cmくらい切り落として捨てたら、「もう少し長く残せば芽がでるんだ」とのことだったから、今回は根から2.5cmくらい残し、これなら今回は怒られないだろうと思った。

ところが、今回は、そのネギは「根っこの生え方が少ないので、植えてもあんまり出てこないから、そういうのは植えずに根元ぎりぎりまで食べる」のだそうである。
根は出ていたので植えるんだろうと思ってしまったのだが、根の茂り方までは見なかったのだ。

そうしたら、私が切った根の方を母がもう一度取り出して、根っこギリギリ(たぶん5mmくらい?)のところまで輪切りにして、それを食べるほうに入れてるではないか。そこまでする?って感じ。

・・・

だいたいにして、干からび大根の切り口まで料理に使ってしまうという姿勢は、実家母と姉が同じ性質なのである。「大根は干して食べるものだから全然問題ない」そうだ。私は干からびた部分は切り落として捨てるタイプ。

母と姉は、節約のできる人間が価値のある人間だと思っているので、私に対する評価は低い。

その姉が、柚子白菜を食べたあと、漬け汁を残しておいて、そこに今度はキュウリを入れて漬けておいて食べるそうである。あの漬け汁はおいしいそうだ。

私も柚子白菜は好きなのだが、あれはもともとそんなに長い賞味期間ではなく、買ってから3日くらいしか持たないことが多い。ちょっとすぎるとなんか酸っぱいような風味になってくるので、私は白菜を正味期限までに食べ終わったら、さっさと残りの漬け汁を捨てるのである。

ところが、母と姉は、白菜の賞味期限がそれであって、漬け汁の賞味期限はまるでアタマにないようなのである。

で、姉は必ず白菜を食べ終えたあと、キュウリを漬けるのだそうだ。母もこれまではそんなことをしていた。

ところが今回は珍しく、母が「〇〇(姉)みたいにキュウリを漬けたりなんかしない」と言い出した。

なぜならば、最近はキュウリが高くて「なんで70円以上もするキュウリを漬けるの?あんな高いキュウリはもう買わない」というではないか。

はっ?確かに以前は50円くらいで買えたものが、現在は79円くらいして、消費税を入れると80円以上になる。でも、100円もしないんだよ。

「70円なんかそんなに高いもんじゃないでしょ。お金に困っているわけじゃないんだから、買えばいいじゃ」と私。

すると母は「高いからじゃなくて、私は年寄りでもうキュウリなんかいっぱい食べないからいらないんだよ」というではないか。

最近は、こうやって言うことがコロコロと変わっていくのだ。

「だったら、最初から『年取って、キュウリなんか食べきれなくなったから漬けない』って言えばいいのに・・・。『高いから買わない』って言ったよね」

「高いからじゃない、食べられないんだよ」と母が言い直すが・・・

これは絶対キュウリが70円より安かったら、賞味期限の切れた漬け汁にキュウリを入れてた食べる人間なのである。

それにしても、相当変な年寄りなんだけど、昭和一桁生まれの庶民の感覚はこんなもん。

70円のキュウリは高くて買えない。

ちなみに私は、キュウリ嫌いなので自分は食べないけど、夫のために、たまにキュウリを買ってる。

79円+消費税=85円なんか大したことないと思うけどね。

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新宿サザンテラス

2024-10-14 17:59:08 | 旅行・街歩き

昨日、実家から帰ってきたのですが、新宿南口のサザンテラス広場で「豆乳フェス」(10/11~10/14)をやっているということで、ちょっと立ち寄ってみました。

10月12日が豆乳の日なんだそうです。
10が「トー」というのはわかるのですが、2が「ニュー」ならば、10月2日では?と思うところ、10月の体育の日を兼ねて、身体の健康を考える日として同時期の12日(日付がトーニュー)にしたようです。

ロマンスカーで新宿に到着したのが6時頃でもう暗くなっていました。
サザンテラスってどっちだろうとニュウマンの裏のほうをウロウロしてしまったのですが、代々木に向かう方でした。

この辺は、ガラス張りのきれいな飲食店が目立ちます。若者たちが楽しんでいる様子です。

夜になると灯りがとてもきれいに見えるのではないでしょうか。

まだ、色々お店があったのですが、ピンボケになってしまったり、人が多くて写せませんでした。

豆乳フェス会場に着くと、もうこの日の山は越えてしまったのでしょう。キッチンカーで料理を買う人は、列に並ぶほどではありませんでした。飲み物のお店だけ、長い列ができていました。

私は本当は「明太子と豆乳のカルボナーラ」や「白味噌豆乳のタラコクリームスパゲッティ」や「コーンと豆乳のシチュー」なんかを食べてみたかったのですが、家に夫がいるので食べて帰るわけにはいかないのです。残念。

何か食べ物を買って帰りたいですが、料理で持ち帰れそうなものはありません。

はてさて何を買おうか?

家に持ち帰ることのできるものというと、パンみたいなものしかなさそうです。
台の上にはちょっとしかありませんが、「おからシュガー」と「ミルクチョコ」を1つずつ注文しました。1個280円って結構高いですよね。

帰り際に、近くの看板を写してきたら、他のメニューはほぼ売り切れで、豆乳ドーナツだけが残っていたことがわかりました。ここでは「おからシュガー」もSOLD OUTになっていますね。

豆乳フェスは退散することにします。

他に何か買って帰るものはないかな~(帰宅後に夕飯作るの面倒くさいし・・・)

こちらのお店はティム・ホー・ワンという香港の点心のお店らしい(今調べた)のですが、テイクアウトと書いてあるので、何か買ってみようかなと思いました。
ところが、なんか日本語が無いのです。アルファベットと漢字でわけがわかりません。
しかも、テイクアウトといっても、外のテーブルで食べるようになっていて、持って帰るようにはなっていないのかもしれません。
春巻きみたいなものを注文してみようかな?と思いましたがやめておきました。

すると、なんか宮崎のものを売っているアンテナショップみたいなのがあったので入ってみました。
色々なものが売っていました。
夕飯になるようなものは無かったのですが、宮崎の産物がたくさんあったので、いくつか買ってきました。

左から、マリネソース、日向夏のドレッシング、ゆず羊羹、たくあんの缶詰、日向夏漬(砂糖まぶしドライフルーツ)・へべすチーズ饅頭。

たくあんが缶詰めになっているってのは、初めてみました。梅の風味のたくあんにしました。

それから、こちらが豆乳フェスで買ってきた。チョコドーナツとおからシュガードーナツです。

そして、復刻デザインの調整豆乳は、来場者に無料で配っていて、いただきました。

ドーナツは今朝の朝ごはんにしましたが、これはお菓子ですね。かなり甘いです。
実は、ドーナツなのに、勝手にベーグルだと思い込んでいました。

それから、おやつに「へべすチーズ饅頭」と日向夏漬を食べました。
「へべす」とは「かぼす」みたいな柑橘類のことだそうです。

どれも美味しいですが、宮崎のお菓子も結構甘いものでした。

ドレッシングとマリネソースに期待しています。

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ロマンスカー車窓より

2024-10-14 08:03:08 | 日記2024

後部の車窓から、電車の先頭をカーブで写したいのですが、なかなか良い写真が撮れません。

新宿から小田原に行く途中のロマンスカーの車窓風景を撮ってみました。

このシャッターチャンスは、まず第一に、新宿を出発してすぐの右カーブであります。

今回はデジカメで写そうと思って、発車直前にカメラを取り出したところ、な、なんとカメラの中にメモリーカードが入っていなかったのでした。
前日にパソコンに画像を取り込むときに、カメラから取り出してパソコンに差し込んだままだったのでした。ということで、あわててスマホでの撮影です。

今回は、最後尾の車両からが写しやすいのではと思って、10号車の右側の席を自分で指定したのですが、ちょっと後ろすぎたようです。距離が長すぎて、カーブのところでは先頭が見えなくなってしまうのですね。

それに、最初に前方車両が見えたときは、先頭は空の下で明るいのですが、後方はガード下(上に甲州街道?)で暗く、車内の電気がガラスに反射しちゃってわけのわからない画像になってしまいます。

こんな感じ。これより前に写したのは、カバンなどがガラスに映ってしまい、めちゃくちゃです。

最初に載せた画像は、前方の踏切あたりで撮影したもので、ちょうど対向電車が来てすれ違ったときのものです。

この日の失敗は、乗ったのが16時発だったのですが、右側は夕日があたってこの先ずっと逆光が続いてしまったのでした。南に向かっていくので、右が西になってしまうのですね。富士山は見やすい方向ですが。

登戸付近の多摩川に掛かる水道橋です。
これも、電線やらなにやらでなかなかきれいに写りません。見苦しいものを極力削ってトリミングしてみました。実は、この場所は、電車の左側の多摩川の景色の方がきれいです。

かなり走って、山々が見えました。あの山は何山だろうか?
色々な山があるのですが、全然わかりません。

そうして、秦野をすぎてまた右カーブの撮影スポットがあるのですが、な、なんと・・・
寝ていました!

この辺りは寝ていることが多いのです。
あわてて起きたときは、ちょうどカーブだったのですが、撮影は間に合いませんでした。

それに、乗った時間もちょっと遅かったので、もう少し早い時間のほうがきれいに写るのでしょう。

そんなわけで、小田原で降りてから一枚撮影。

ロマンスカーEXEα はこね77号 
「ムーンライトシルバーとディープグレーメタリックの2色のボディーカラーに
パーミリオンオレンジのライン」 という車両デザインだそうです。

ここで6両目と7両目の間で切り離し作業をしています。前だけが箱根へ行きます。

私はここでJRに乗り換えです。

この上りエスカレーターは、このあいだまで工事中で使えなかったんですが、今回は直っていてよかったです。

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今日いち-2024年10月12日

2024-10-12 06:52:27 | 日記2024

小田急ロマンスカー
はこね77号 7号車

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菅直人さん引退

2024-10-10 22:49:37 | 日記2024

ユーチューブで、菅直人氏が今度の選挙には出馬せず国会議員を引退するという会見の動画を見た。
こじんまりとしたものだった。

菅さんは、自分の功績について、総理だったときの原発事故対応と、厚生大臣だったときの「らい予防法」廃止(国のハンセン病対策が間違っていたことを認めた)を上げた。

原発事故対応については、色々言われているが、あの未曾有の災難に対して、完璧な対応などできるわけもなく、その中で一生懸命行動してくれたと、私は思っている。

そして、国内の原発を一旦全部止めて、安全基準を厳しく見直す礎を作ってくれたと思っている。
たとえば、静岡県の場合は、浜岡原発が今も止まっているのは、菅さんのお陰だと思う。
日本は、地震が多く、放射性廃棄物を安全に廃棄する場所などないのだから、私は原発は反対だ。

しかし、そうかといって、山を切り開いて太陽光発電パネルを並べて大規模な自然破壊をし、土石流などの災害が起きたり、樹木を伐採することでますます二酸化炭素が増えるのは問題だ。エネルギー問題は、本当に難しい課題である。

・・・

話はそれたが、菅さんは私利私欲を求める人ではなく、国民のために行動する人だったと思う。

最近の菅さんは、ずいぶん年を取ったなあと思ったが、さすがに今日で78才というのだから、引退するのにはちょうど良い潮時なのだと思う。

自民党の年寄りなんかは、本当にさっさとやめてもらいたいものだ。
麻生太郎なんて84才だ。
菅さんと同じ漢字の菅義偉氏は75才らしいけど、体調が悪そう。大丈夫なんだろうか?
菅直人さんは、今年の春頃から、次の選挙には出馬しないと言っていた。

思えば、私は意外に菅さんの本を買ったり読んだりしていた。
左の「総理とお遍路」は最後まで読んだ。
右の「原発事故10年目の真実」は、最後まで読んでいないようだ。
途中まで読んで、いつのまにか続きを読むのを忘れていた。

この本は、菅さんのサインもあるのだ。

菅さんの本は、読みやすいと思う。

こうやってみると、私は菅さんのファンなのだろうか?
そういえば、政治家の中で一番関わってきたのは菅さんなのだろう。

これは、吉祥寺で2017年10月14日(?)に演説をしていたときの写真だ。
たまたま通りかかったら、演説していたような気がする。

枝野さんが立憲民主を立ち上げたとき、菅さんはいち早く枝野さんを応援し枝野さんの支えになったのだった。

枝野さんの本もアマゾンで買ったことがあるのだけど、中古で書き込みなしということだったのだが、線だの書き込みだのがいっぱいあってげんなりしてしまった。そのせいなのか、内容もあまり面白くなくて読むのをやめてしまった。

本を書くことに関しては、枝野さんより菅さんのほうがよさそうな気がする。

引退後はまた何か本でも出版してほしい。

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演劇に挫折したころ(短大時代)

2024-10-10 18:33:09 | 日記2024

「東京の流儀」を読んでいて、手繰り寄せられる同時期の自分の記憶。

前記事に続き、いよいよ短大に進学し東京に上京してからのことだ。
我が家は貧乏で、親は4年制大学に行くことには反対だった。しかし、無理やり4年制大学の文芸学部を第一志望とし、某短大を滑り止めとしたところ、当然のことながら、短大に進学することになった。とはいえ、そこでさえ、私には良い成績は納められなかったし、英語の授業は1日目にして脱落。なんとかフランス語の初歩で単位を取って卒業した。我が人生においては、英語が致命傷。

苦手な英語で挫折は当然のことながら、なんと短大では一生の道にしようと思った「演劇」に挫折してしまうのである。

ところで、以下は「東京の流儀」の中の「遊び人の六本木」での福田和也氏の記述である。

「トラボルタの夏だった。矢沢永吉の「時間よ止まれ」が始終かかっていた。渋谷でビールを飲んでから、ビージーズばかりがかかるディスコティックに行き、ぬるいジン・フィズをなめ、不器用にタバコを吸って、灰皿の周りを汚し、ほとんど踊らないで溜まっている。」

そうそう、あの頃は全くこんな世界だったのだ。福田氏は高校生だが、私は田舎から出て来た芋女子短大生。東京の世界は未知の世界だった。
ジョン・トラボルタの「サタデーナイトフィーバー」の世界で、矢沢永吉もそのとおりだ。

私は短大で、迷うことなく演劇部に入った。ところが、私が文学座・民藝・俳優座・青年座・前進座などの劇をイメージしていたのとは裏腹に、この部はブロードウェイミュージカルを目指していたのだった。そして、劇中の踊りがジョン・トラボルタであり、音楽がビージーズである。
演劇部員はディスコに通っていた。先輩がニューヨークを舞台にした脚本を書いて、それを上演するのだ。

演劇部の先輩に連れられて観に行ったのは、東京キッドブラザーズのミュージカルで、柴田恭兵・純アリスなどが出ていた。この部は、そういうものを目指していたのだ。
私にはどうもなじむことができなかった。

演劇部員は本当に普通じゃない。ビールは飲むは、煙草は吸うはである。18歳の女が2つの鼻の穴から2本のタバコの煙を吐く。妙にサマになっている。私には全然合わないタイプなのだけど、何かに向かって取り組んでいる人たちはキライではなかった。
私も一緒にビールを飲み、たまにタバコを勧められ、メンソールの入った“サムタイム”はそう悪くはないと思った。でも、やはりこの世界は私が求める空間とは違っていた。

私も劇に脇役で出演し、最後のフィナーレで全員ダンスの場面では、端っこの目立たない位置で踊ることになっていたんだけど、結局、あまりにも下手なので踊りの場面は出なくてよいということになったのだった。

私は1年の秋の学園祭公演を最初で最後にして、演劇部をやめた。

私はディスコには一度も行ったことがない。社会人になってからは「クラブ」というようになったが、それも行ったことがない。

ところで、トラボルタの「サタデー ナイト フィーバー」だが、これは当時、演劇部で踊りを踊るために、どんなものか見なくてはと思い、1人で映画を観にいったのだ。渋谷か新宿だったと思う。演劇部の仲間はもうとっくに見た後だったので、今さら見る人はいない。

一方、いつも一緒に授業を受けている仲間は居たのだが、その人たちはこれまた正反対のタイプだった。昼休みに一緒にラーメン屋に行っても、テーブルの下にある少年マガジンをそれぞれに読みふけるような人たちで、私も仕方なく少年漫画を読んだ。

彼女たちは、ジョン・トラボルタやディスコには全く興味がなかった。

映画館は、当時は自由席で、いつ入っていつ出ても良いのだった。
私は映画館になんかほとんど入ったこともないので、チケットを買って適当に入っていったら、映画の途中で終わりころだった。満席で座れなかったので立ってみていた。
それから一旦終わって、次の回が始まったので最初から見た。一通り見たので、どんなもんかわかった気がした。

後日、近所のアパートに住む別の友人と話した。その友人はまたちょっと違うタイプで別のクラスである。部活はやっていなくてバイトをしている。地方出身者だ。
ダンスと酒とたばこが好きで、その人のクラスの友達とディスコに入り浸っている。
彼女の話によれば、私は「サタデー ナイト フィーバー」の本質・言わんとしていることを全然理解していないらしい。英語字幕版だし、慣れない映画館で緊張して見ていたせいもあり、確かにトラボルタの人間像とか、この映画の主題などを理解するどころではなかったに違いない。
一応「文芸」を志すものとして、文学や演劇に関して、自分は人にはわからない感性と分析力を持っていると自負していたのだが、映画作品に関しては全く理解できていないと指摘されて不本意であったが、その通りだろう。

今はアマゾンプライムで観ることができるので、このあいだちょっと見てみようかと思ったが、数分で面倒くさくてやめてしまった。過去の記憶も全然なし。
トラボルタの片手を上げて踊っている当時のポスターだけが記憶に残っている。

授業では「演劇論」は取っていた。2年からは演劇のゼミに入りたかったのだけど、そのゼミを選ぶことのできるクラスに入れなかった。また入れたとしても、ゼミ選択の希望も通るとは限らない。そうやって、人間は思わぬ方向に流されて行く。

短大はたったの2年間で短い。これが4年制大学だったら、その倍はあったのだから、もっと何かできたかもしれない。
短大は2年になると、すぐに就職を考えなければならなかった。

せめて出版社に入ろうとしたが、就職したのは印刷会社のような出版社だった。そこで編集を希望するが、校正部へ配属され、つまらない文書をひたすら点検する毎日。
その後、人を相手にする別の職業に就くも、能力が足りず長続きしなかった。やはり黙々と書類に向かって働く“陰キャラ”が、自分にお似合いの仕事らしい。

ところで、福田氏は「東京の流儀」で、六本木の飲食店や書店についても書いているが、私には全然わからない店ばかりだ。
六本木は、学生時代は全然行ったことが無かったと思う。

その後は、六本木ヒルズ、ミッドタウン・森美術館・テレビ朝日・毛利庭園・国立新美術館くらいは行ったことがあるけど、滅多に行かないし、行くのは昼間。あまりなじみのない地域である。

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演劇を目指したころ(高校時代)

2024-10-09 22:58:49 | 日記2024

本日読んだ「東京の流儀」は、「遊び人の六本木」である。
著者、福田和也は日吉にある慶応高校に通っており、距離は結構あると思うのだが、本人も周囲の同級生もみんな遊び人で、六本木に行っていたそうだ。

彼は高校時代演劇部で脚本を書いていて、参宮橋にある「劇団四季」を訪ねて、高校の先輩である浅利慶太から照明器具を借りたこともあるそうだ。浅利慶太と日下武史は高校時代に劇団四季を立ち上げたのだそうだ。

これ以降を読むにつけ、私は本当に福田和也氏と同世代だなと思う一方で、都会の人間や慶應義塾なんていうエスカレーター式エリート校の世界には到底太刀打ちできないなと感じるばかりだった。

私は福田氏と同じ1960年生まれだが、早生まれであるため、1学年上になる。

高校の時は演劇部で、文学座にあこがれていた。高2のときだったか、当時地元で上演されたのは、高橋悦史と太地喜和子主演の「飢餓海峡」だった。私は市民劇場で当日裏方のお手伝いをするので、劇が見られないため、前もって東京の公演を無料で見に行けたのだった。そうしたら、すぐそばの席に原作者の水上勉氏が座っていて、親友と一緒に驚いた。
また、地元の公演では楽屋で太地喜和子さんに会って感動した。
あの頃は、水上勉は全盛期だったのかな。八千草薫出演の「越前竹人形」も見た。

自分たちも部活で、学校行事や地域の演劇発表会で上演していた。体育館で自主公演もした。しかし、演劇活動は2年の文化祭までにした。将来演劇の道に進むためには、大学受験をして東京に行かなくてはならないのだ。今、演劇にのめりこんでいては進学できないと思った。

それまでは、毎日遅くまで部活をして、部活のあと喫茶店でまた友人たちとしゃべり続けることもあった。帰宅してからは、徹夜で小道具なんかを作っていたのである。深夜に演技の振りを試行錯誤したり、セリフを繰り返したりすることもあった。しかし、そんなことをしているどころではないのだ。

いよいよ受験勉強しなくては、と思ったときには、既に英語の落ちこぼれになっていた。高校に入ってからというもの、授業の予習復習もせず、単語を覚えたことがなかったからだ。そしてそのまま勉強はあまりしなかった。

演劇の部活動をしなくなってからは、親友と一緒に同人誌を作ろうと考えていた。私は「テアトロ泥子」というペンネームで太地喜和子について文を書いた。「テアトロ」は当時読んでいた演劇雑誌である。自分は泥にまみれたような混沌とした人間だ。
そして親友の文と合わせて編集してお粗末な雑誌(表紙をつけて、紙をホチキスで留める程度)を数冊作り、それを校内で無料配布するようなことを考えていたのだ。当時はガリ版だから、手書きである。しかし、結局実現しないまま終わった。

高校の時の記憶がよみがえってきたが、本当は上京後のことを書くつもりだったので、ひとまず終わりにする。

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靖国神社について

2024-10-08 22:51:02 | 日記2024

福田和也氏の「東京の流儀」を、かろうじてぼちぼち読み進んでいる。
だんだん失速気味なのだが、朝起きて、せめて1つのかたまりくらいは読もうとしている。

それで、今朝読んだところは靖国神社に関することだった。

私は、東京に45年以上住んでいるが、靖国神社には入ったことがない。
意図せず、気づいたら靖国神社の入り口のところにいたことがあり、ああ、ここが靖国神社なのか、と思ったが、敷地内に入る気にはなれなかった。それは、軍国主義というイメージを強く持っていたからである。

でも、中がどうなっているのか、実際に入ったら、どういう印象を受けるのか、それは体験してみなくてはわからないことだ。だからいつかは入ってみるべきなのだろう。

・・・

今日、読んだところは、ちょっと目からうろこの部分があった。

というのは、靖国神社に祀られている戦死者たちは、その魂が一体となって1つの神になっているということらしいのだ。

もはや、1人1人の死者である人間ではないし、1人1人の神でもないようである。
神社で、そういう儀式を行い、死者の魂が、もはや生きている人間には手の届かないものになり、それらが集合して何か一体の神になっている、ということらしい。

一方、世間や中国・韓国・朝鮮などでは、靖国神社にA級戦犯が祀られていることが問題視されている。だったら、そのA級戦犯だけを、排除すれば解決するなどと考える人もいる。

それをしない理由、できない理由は、A級戦犯の家族に申し訳ないから、とか、今さら分けるのも永眠している死者が気の毒、などという理由かと思っていたのだが、いやそういう次元のものではないようなのである。

つまり、もう人々の魂は、合わせて一体の神になっており、それは人間を超越したものなのだから、今さらA級戦犯の人たちの魂だけをより分けて、元に戻したり、別のところに移動したりすることは不可なのである、あり得ないことである、ということなのではないか?

そうなるとA級戦犯を分けるなんていうことは、神道としては全く解決手段とはなり得ない次元の違う発想ということになる。

実は、私自身、A級戦犯だけ分ければいいじゃん、それをしないのは、やっぱり遺族が傷つくからかな?なんて思っていたのだったけど、そんなことができない理由はわかるのだった。

不特定多数の人の魂が集まってできた神なので、お参りするときも、そういう神に祈りをささげているのである。なるほど・・・

・・・

しかし、生きていた時の名前も刻まれているようだし、個々の戦没者に思いを馳せてお参りする人も確かにいるわけなんだろうし、多くの魂が一体となり、もはや人間とはかけ離れた存在ということを認識している人はあまりいないのではなかろうか。

あるいは、多くの人はもう何も考えないで、花見をしたり、お祭りの縁日を楽しんだりもしているらしく、それはそれで、本当に何のわだかまりもない庶民の神社になっているということなのか。

書いているうちに、ますますわけがわからなくなってきた。

 

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山形新幹線つばさ

2024-10-08 00:18:55 | 旅行・街歩き

これは、先月山形に行ったときに、山形城のお堀のところで撮影した山形新幹線です。

ここは、撮影スポットになっているようで、春ならば桜が咲き、お堀と桜と新幹線というすばらしい写真が撮れるので、ポスターにもなっています。

私が撮ったのは、スマホなので、あんまりよく撮れませんでした。
夏なので、桜も緑、お堀の水も緑でした。

でも、ラッキーだったのは、
山形城の見学を終えて出てきて、お堀と線路が見えたとき、ああ、ここが例の撮影スポットなんだね、とすぐにわかったんです。

で、スマホで新幹線の時刻表を調べました。

そうしたら、山形駅12時32分発の下り新幹線があることがわかったんです。

私たちは、ここまで山形駅から歩いて来たんですから、新幹線だったら1分もかからないんじゃないんでしょうか。

その時、あと7~8分というところだったので、ちょっと待つことにしました。

そうしたら、本当に右側から、山形新幹線つばさがやってきました。

何枚か撮ったのですが、これは最後にシャッターを切ったもので、電車の後ろが写っているものです。

山形新幹線の色って不思議で、濃い青(紺)とオレンジだと思うのですが、写真に写すと反射しているからか、青い部分が薄い色に写ることがありますね。

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夫のLEDライトまた失敗

2024-10-07 22:41:54 | 日記2024

夫は数年前に買ったアイリスオーヤマのLEDのシーリングライトが気に入らなくて、1年くらい前に新しいのを買ってきた。

これは家電のお店に行って実物を見て買ったのだ。その時に、黄色っぽい色調にしたり白っぽい色調にしたりできるということを店員さんに聞き、それはいいなということで選んだのだった。

光の色分けは、電球色・温白色・昼白色・昼光色などというらしいのだが、この言葉だと何がなんだか意味不明である。イメージが合わないのだが、昼光色が一番青白っぽいものらしい。

で、その時の気分によって、温かい感じの黄色にしたり、さわやかな白にしたりすればいいとおもったわけだったのだが・・・

この夏、やたらに暑いので、夫は白っぽい照明にしたいと思ったらしい。
そして、夫の部屋は、壁がクリーム色っぽいのである。
なので、照明が電球色のように黄色っぽいと、部屋全体の黄色っぽさが強くなって、なにやら、さらに暑苦しく感じるのである。

で、夫は青白い色にしようとしたのだが、そうするとなぜか暗くなってしまうのだった。

青白くかつ明るくしたいのだが、できない。何故なんだ~~~とイラつく夫。

夫が調べたところ、黄色っぽい場合は、点いている電球の数が多い。
白っぽくすると、要するに黄色い球が消えるので、白っぽくなると言うことが分かったのであった。

えっ、そういう仕組みなの???

お店の人は、白くすると暗くなるなんて言ってなかったじゃないか。

そんなわけで、夫は黄色っぽいのがイヤだ~、しかし、白にすると暗いから嫌だ~
どうしたらいいんだ~と、どうにもこうにも気に入らないのであった。

また、別のものを買って来ようか、などと言う始末だ。

それで、私の部屋の昔ながらの蛍光灯を見て、白くて明るくていいなあ~と言っていた。
私の部屋は壁も白いのである。

今は、蛍光灯が壊れたので、夫が以前使っていたへんてこなLEDシーリングライトにしているが、これは古いせいか、あまり明るくはない。

でも、在宅で仕事をするときや読み書きをするときは、スタンドがあるので、特に不便はしていない。

スタンドは、子供が小学生の頃に買った蛍光灯で30年くらいは経っている。
本当に長持ちするものである。

今後、照明については、よくよく調べてから買わないとダメだなと思う。

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蛍光灯との別れ

2024-10-06 08:16:16 | 日記2024

備忘のために書いておきます。

9月の初めころ、私の部屋の蛍光灯が突然壊れました。
これは、15年前に現在の家に引っ越してくる前から使っていたもので、その前も10年以上使っていたかもしれません。

元は和室に使っていて、天井からぶら下がる透明に近い丸い傘で、蛍光灯は大小のリング型、それと小さな豆電球。スイッチは紐でひっぱるタイプでした。

それを洋室に使っていたので、壁にもスイッチがあり、部屋の出入時には壁のスイッチを使い、室内にいるときは紐を引っ張っていました。

その紐が急に引っ張れなくなってしまったのです。穴の中にあるバネが壊れたようでした。
適当に紐を動かしたり穴の中をいじってみたら、なんと奥の金具からポロリと取れてしまい、操作ができなくなってしまいました。

蛍光灯の電球は、確か1年くらい前に切れたときに新しいのに交換したばかりだったのでもったいないです。でも本体がダメになってしまったのだし、今の時代は蛍光灯の時代ではないので、LEDに変える選択肢しかありません。

電灯は1日もなしでは不便です。
たまたま、中古のLEDの電気器具が戸棚にしまってあったので、応急的にそれをつけることにしました。

このLED器具は、現在一般的な天井貼りつき型の円盤みたいな形のものです。
最近は味も素っ気もないようなデザインが多く、どの部屋の天井もそんなものが貼りつくようになってしまいました。

この中古LEDは、夫の部屋で以前使っていたもので、明るさが足りない、スイッチの感度が悪いなどの理由で、別のLEDに買い替えたものでした。

これはアイ〇スオー△マの通販で買ったもので、安価かつ初期のLEDであるため、性能が良いとは言えないのです。特にスイッチが、電灯についているセンサーの穴に向かってリモコンを至近距離から操作しないと全く反応しません。

リモコンスイッチが壊れているのかと思ったほどで、私の部屋の天井につけてからも、色々な位置から試行錯誤して頑張ったところ、ようやくコツがわかりました。

以前の蛍光灯では紐を引っ張っていたので、その代わりにリモコンを電灯の穴に1mくらい近づけて、しかも一定の角度で操作すれば、点けるのと消すのはできます。しかし調光と常夜灯は反応なしです。

かなりのポンコツでデザインも気に入らないため、とりあえずの間に合わせとして設置し、すぐに新しいのを買いに行こうと思っていました。
でも、これでも使えないことはないし、新調すると出費もかさむので、もうこれを使い続けることにしました。

・・・

それにしても思うことは、リモコンの場合は電池が必要なのです。昔の紐の場合は不要です。

また昔の蛍光灯は、球がきれたら電球を買ってくれば千何百円くらいで交換すればよかったです。
本体は何十年ももちました。

しかし、LEDの電気器具は、だんだん劣化してくると明るさが暗くなってきて、ある日突然パッと切れると、電気器具を本体ごと買い替えないといけないのです。その場合1万円くらいします。

以前、実家の電気がそのようになり、買い替えることになりました。
蛍光灯の電球の場合は、1人暮らしの老人や女でも交換できますが、天井のLED器具を丸ごと交換するのは無理です。電気屋さんか便利屋さんに頼まないといけません。

そうして、不要になったLEDの器具はとても大きくて廃棄するのは粗大ごみになりますが、なんか資源の無駄という感じです。

LEDは蛍光灯に比べて省エネで電気代もかからないそうですが、そんなに長持ちするものでもなく、かえって不経済な気もするのでした。

・・・

蛍光灯は、電球もだんだん製造しなくなるとのことで、なんか寂しいものです。(廃棄した蛍光灯器具本体は「昭和レトロ照明」ということで、まだ買うことはできるみたいですが、今さら時代遅れのものを買ってもしょうがないです。)

昔から、新しい家に住んだりするときに、蛍光灯の傘のデザインや色などを選ぶのは楽しいものでしたが、今は皆同じようなシンプルなデザインになってしまい、実用性だけで面白くもなんともないです。

壊れて捨ててしまった蛍光灯は、シンプルながらきれいな傘でよかったなあと思うのですが、電気って撮影はしてないんですよね。

電化製品を買い替える時、以前使っていたものをきれいに掃除して、記念撮影をしてから捨てるのですが、いきなり夜に壊れたので、暗いところで記念撮影もできず、取り外して交換し、さっさと捨ててしまいました。

傘は軽いプラスチックで、中央はほぼ金属ですが、金属部分はそんなに大きくないので、燃えないゴミとして廃棄。

電球はまだ使えるので一応保存してはありますが、今後は器具もないのでいずれは捨てることになります。実家にも、もうリングの蛍光灯は無いそうです。

さようなら蛍光灯。

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