**2013年8月某日**
大石ダム湖畔県民休養地をさらに奥へ進むと、大石ダムがあります。
大石ダムは車の通行が禁止のため、駐車場に車を停めるとあとは徒歩となります。
遊歩道をひたすら上ると、やっとダムを見渡せる場所にでました。
高さ87m、幅243.5m、貯水量2,280万m3のダムです。
やれやれこんなところにきてしまったと思いきや、なんと変わったトンネルがあるではありませんか!
トンネルから頭を出しているのは「大したもん蛇まつり」のシンボルである大蛇です。
大蛇のトンネルをくぐってみましょう。
トンネルを抜けると、ただの林道に出ました。
さてこの大蛇にまつわる伝説が関川村に残っています。
(大石ダム湖畔県民休養地の展示室より)
これは、むがしがら関川村に伝わる話だど。
女川の蛇喰(じゃばみ)に、忠蔵(ちゅうぞう)、おりの夫婦ど波(なみ)という娘の3人が、仲よう暮らしていだどさぁ。
「桂(かつら)の阿古屋谷(あこやだに)は大蛇がいるでのに、あそごのおっとはおっかのがらねで炭焼ぎしてるがねぇー」
そんな村のしょの話が聞けねんだが、その日も山へ行って炭焼ぎしていだどさ。
ひるのまま食べで寝でいるど・・・。
「 ? 」
なにか変な音がしてね、目さめでみだら、大蛇が忠蔵ば食べろどしていだんだど。
大きだ口がら、まっ赤な舌をペロペロと出してさ。
「ウッー」
忠蔵はおどろいだが、脇にあったよぎで大蛇にかがっていって、やっとのこどで大蛇ばしとめだど。
しばらぐ、ボーっとして気がついでがら、始末をどうしょばど、いろいろ考えで、結局みそ漬けにするごどにしだどさ。
ちょうどいい大きさに大蛇ば切ってカマスに入れで、ウンコラ、ウンコラうぢへ運んで来だど。
うぢはるすでさぁー。
納屋がら樽(たる)を出してきて、つぎつぎにみそ漬けにしたでがねぇー。
みんな漬けでがら、樽をかんじょしたら、13樽ど半分あったど。
「この樽の中は、決して見んなよ。おれが良いどいうまで、だめだぞ。」
忠蔵は、おっかあのおりのど、娘の波によう言うで、炭焼ぎに行っていだど。
「おっとは見んなで言うだども、だいぶ日もたったし・・・、ちっと見でみようが。ほんのちょっとだば・・・。」
樽のふたを、ちっと取って見だら・・・、うすまっ赤だ肉が、うまそうにみそ漬けになっていたど。
「うまそだのー。ひと串焼いで食べでみろが・・・。」
おりのていうおっかは、火の端(はだ)で焼いで食べてみだら
「おやおや、なんと・・・うめごど。おら、今までにこだうめもの食べだごどねンガー。」
「もうひと串・・・。」
そだごど言いながら、みんな食べてしもだど。
夕方になって、忠蔵が帰ってきたら、
「おっか、いのなったぁー。」
「なだや、おっか、いねや!」
「アーン、アーン、アーン」
忠蔵は、樽がからになっていたので、大蛇を喰ってしもだな、と思い、波と2人で女川の上流まで探しに行ったど。
したども、いねがったど。
それがら、何年も何年もたって。
ある日、米沢街道、今の国道みでだもんだ。
そごをの、一人の座頭(ざとう)が歩いでいだど。
座頭は、まなごがめね人で、蔵市(くらのいち)という人であったど。
この人は、蒲原(かんばら)の方の赤塚(あかつか)で生まれだ人で、検校(けんぎょう)の位を受げだので、ふるさとへ帰る途中であったど。
秋が近い夏の夜だったので、風もひんやりとしでいで、とっても気もぢのいい日であったど。
大里峠で夜になってしもだので、祠(ほこら)の前の石に腰かげで、琵琶(びわ)をひぎはじめだど。
琵琶をひぎながら、うっとりしていだら、
「法師様(ほうしさま)、法師様、もう1曲聞かせでくださえんし。」
ま夜中に、女ごの声がしたど。
声だけで、とってもきれいな人だなぁーと思だど。
そして、たのまれるままに、まだ、ひぎはじめだどさ。
それから何時(なんどき)がたって、語り終わってがら、女ごの人に身のうえを聞えでみだら・・・。
「法師様、おどろがれるがもしれねどもねんし。実は、おれは人間ではないんでござんす。」
「前には、おっとも、娘もあったんだどもねんし。いろいろわげがあって、大蛇になってしもだんです。」
「いま、こんだに体がおっきょなったら住むどごがせもなってしもだので、近ぐ貝附(かいづけ)のせばとをせきとめ、荒川や女川一帯を大きな湖にして、住家にしょうど思でいやんす。」
「このこどは、だれにも言わのでくたえんし。もし言うだどぎは、法師様の命はねえものど思でくたせんし。一時も早よう、安全な場所へ移った方がようござんす。」
そう言うと、その女ごの人は生ぐさえ風と一緒ょに、どっかへ行ってしもだど。
座頭は、
「これは大変だ。早よう下関(しもせき)に行かなければ。」
と夜道を急いだど。
下関の三左エ門様で、その座頭はの、峠でのこどをみんな話したど。
話が終わったどぎには、もは息していねがったどさ。
琵琶と杖(つえ)だげが残ったんさぁ。
大庄屋の三左エ門様ではの、村のおもだちしょに集まってもろで、どうしたらいいが相談したどさぁ。
座頭がしまいに、
「・・・大蛇は、鉄がとてもきらいです。」
と言っていだので、村中の鉄と名のつぐものみんな集めで、大っきなくぎをいっぱいつぐったど。
そして、みんなで鉄くぎをかづいで大里峠まで行って、あだり一面に打ったどさぁ。
そしたばのー、大蛇せづながって騒いだど。
まるで地獄みだいであったそうだ。
村のしょは、その騒いだ7日7晩、ひとねむりもしんねで、どうなるのだが心配していだど。
そして、とうとう大蛇は死んでしもだどさぁ。
「ばんざぁーい、ばんざぁーい。」
村のしょは、みんなせで外へ出での村の無事を喜んだどさぁ。
そして、自分の命を捨てで、村を助けだ座頭を、神様どしてまづるこどにしたんだどさ。
今でも、下関の大蔵様には、この琵琶を、神宝どしてまづられでいるがねぇ。
こうして「大したもん蛇祭り」は、昭和42年8月28日に発生した羽越大水害と村に伝わる「大里峠(おおりとうげ)」という大蛇伝説をテーマに、昭和63年から村民のまつりとして行われています。
メインイベントの大蛇パレードに登場する長さ82.8m、重さ2tの大蛇は村民の手作りで、竹とワラで作った世界一長い蛇としてギネスブックに認定されているそうです。