プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

松原明夫

2015-06-13 19:37:59 | 日記
1968年

巨人は三十日午後三時から東京・銀座西の読売新聞社五階会議室で入団が内定していた鳥取西高、松原明夫(17)=180㌢、76.5㌔、右投右打=の入団を発表した。同投手は中国地区では屈指の本格派投手として注目を集めていた。先に巨人入りした新浦投手同様巨人、広島、大洋の争奪戦となったが、早くから伊藤スカウトが熱心に勧誘した誠意が実り、またしても自由競争に勝ったものである。松原投手は、元巨人の藤本英雄(現評論家)のフォームによく似ており、将来、巨人のエースとして嘱望されている。高校時代の主な戦績は二年秋の中国大会で、米子商業を相手にノーヒット・ノーランを演じたのをはじめ、今夏の県予選大会で準決勝まで進出している。松原は新浦とちがって、来春卒業後入団する。来春のベロビーチ・キャンプに参加させるかどうかは未定。背番号も未定。

正力オーナーの話 松原君は球が非常に速く、新浦君とともに将来巨人のエースとして楽しみの多い選手だ。これから大いに努力して、次代の投手陣をになってもらいたい。来春ベロビーチ・キャンプに派遣するかどうかはこれからいろいろ検討して決定する。

松原投手の話 これといった武器はないが、自分ではやはり速球を主体にして、力でぐいぐい押していくようなピッチングをしたい。新浦君のことはあまりよく知らないが…。彼に負けないようがんばりたい。

伊藤スカウトの話 一口でいえば、根性のある選手といえる。技術面では、球が速いのが大きな魅力になっている。力で押していって十分通用すると思う。投げ方も下半身が安定しているから楽しみの多い投手だ。
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徳久利明

2015-06-13 16:12:55 | 日記
1960年

高校球界の大物投手として去就を注目されていた高知商高の徳久利明投手(18)は、このほど近鉄バファローへの入団が確実視されるにいたった。同投手は今夏の全国高校野球選手権大会南四国予選で池田高に延長11回の末、2-1でやぶれ甲子園登場を逃がしたが、昨年控え投手として甲子園の土をふみ、山崎投手(現法大)卒業後同校エースとなり、昨秋からプロ球団各スカウトの注目の的となっていた。同投手には東映をのぞく11球団がはげしい争奪戦を行い、南海中原、大毎青木、阪急西村、西鉄中島、近鉄大西、根本、中日柴田、大洋江田、尾崎、巨人沢田、広島木庭の各氏がこもごも土佐詣でを重ねて熱心に勧誘をつづけたが、近鉄大西、根本スカウトの熱意が実を結び、九分どおり近鉄入りの線をうちだしたもの。身長一㍍八〇、体重七五㌔、右投げ右打ち。
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広野翼

2015-06-13 15:59:32 | 日記
1959年

広野選手は、身長1㍍78、体重75㌔と体格に恵まれた外野手で、昨夏の甲子園大会に出場、優勝戦で柳井高に敗れたが、三回戦の八女高で下川投手から右翼へホームランを記録するなど、そのすぐれた長打力はプロ球団スカウトの注目の的だった。高校時代の通算打率は三割六分。阪急では西村監督補佐、藤井スカウトが熱心に勧誘にあたり同選手の獲得に成功したもの。長距離打者の少ない阪急では広野選手の入団は大きなプラスで、その活躍が期待されている。なお広野選手は、発表後合宿入りし、十四日から二軍の練習に参加することになっている。趣味は軽音楽。昭和十五年十一月二十一日生まれ、右投左打。

広野選手の話 慶大を受験するつもりで予備校に通っていましたので、練習という練習はやっていません。だから一年間のブランクを一日も早く取り戻すため、十四日から練習に加わります。とにかく阪急には中田さんをはじめ、いい人が大勢おられますので、やり甲斐があります。みなさんのご期待にそえるよう頑張るつもりです。

母親恒子さんの話 高校のときから、いくら厳しい練習でも弱音を一つとして口にださないくらいの気の強い子です。だからプロの荒波にもまれても十分たえ抜いてくれるものと思っています。いいチームに入れて本当に喜んでいます。
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石井晶

2015-06-13 15:43:34 | 日記
1959年

昨春足立高から東鉄に入社、直ちに三番に抜てきされ、河野(現近鉄)とともに得点源として活躍。都市対抗予選では神宮球場で2本の本塁打をたたきこみ、が然注目された。そして鉄道大会でも首位打者となり、東鉄優勝の原動力となった。この強打をかつて国鉄が獲得にのり出したこともあった。今年は河野のあと釜として三塁から一塁に移り、不動の四番の位置を得、都市対抗予選で12打数4安打を放ったのをはじめつねにコンスタントな活躍をつづけている。打てる内野手を求めていた阪急がこの石井の獲得につとめ、かねて阪急のチーム・カラーに魅力を感じていた本人の気持ちをつかみ、今月中旬両者の間で具体的に話が決まったものである。正式契約は産業対抗野球大会終了後行われる。一㍍七六、七四㌔、右投右打。

東鉄・南コーチの話 まだ支部大会も産業対抗大会も残っているので、はっきりしたことはいえないが、阪急が好きだといっていたし、総ての日程が終ってからはっきりすると思う。体もあり、バッティングもいいから必ずものになる選手だと思う。
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藤井良一

2015-06-13 15:34:22 | 日記
1953年

同大野球部の藤井良一選手(21)はこのほど南海ホークスと契約した。同選手は大阪高出身、現在同大商科四年に在学中で、昭和二十六年秋の関西六大学リーグ戦には三割四分四厘の打率でリーディング・ヒッターの栄誉を担っている、右投右打。
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西三雄

2015-06-13 15:26:35 | 日記
1961年

大毎オリオンズでは十六日午後二時東京中央区京橋の大映本社六階会議室で、社会人野球丸善石油のエース西三雄投手(23)と正式入団の契約を行ったと発表した。同投手は和歌山大成高を卒業してすぐ丸善石油(松山)に入社、三十二年度産業野球大会で優勝投手となったのをはじめとして、三十四年の都市対抗野球大会には丸善優勝の原動力となって、最高殊勲選手にあたる橋戸賞を獲得した。三十五年には社会人全日本チームの一員に選ばれて米国遠征している。大毎球団では同日すぐ連盟に選手登録したが、二十一日の日生球場における対近鉄戦から出場できる。背番号は58、身長1㍍72、体重73㌔、右投げ右打ち。

西投手の話 大毎以外の球団からも入団の交渉を受けていたが私は当然プロ入りするならば働きやすい大毎と決めていた。それはバックがいいからで、あの強打線を背にして思い切り投げたい。これまでと遠いプロの打者はツボにきた球ならたたき込んでしまう力をもっているので、これからはコーナーをついてゆく投球を勉強していきたい。松山でキャンプした大毎をのぞいたこともあるし、気持ちよくプレーができるチームだと思っている。
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佐々木勝利

2015-06-13 15:10:25 | 日記
1959年

大毎オリオンズでは来シーズンのチーム強化に力をつくしているが、十七日午後三時、かねてから大毎入りの希望をよせていた東北高校球界随一の速球投手、岩手県宮古高の佐々木勝利投手(18)=右投右打=と正式入団の契約を行ったと、千代田区有楽町毎日会館内の球団事務所で和田代表から発表した。佐々木投手に対しては昨年秋から青木スカウトが岩手県下の宮古市におもむいて、同投手ならびに両親、学校関係者と折衝をつづけていたため他球団は完全に立ち遅れた。今春の東北六県大会で頭角を現した佐々木投手が、中央球界に東北に佐々木ありといわれ西鉄、近鉄、巨人、大洋などが積極的な交渉をもつようになり、夏の甲子園大会では、不幸にも初戦の静岡商に敗れはしたが、その投手としての素質は各球団スカウトに高く評価された。その後とくに西鉄、近鉄が熱心な勧誘をつづけたが、結局これら球団よりも一歩先んじた大毎に入団することになった。同投手は十六日夜、青木スカウトに伴われて両親の一郎氏(45)キヨさん(39)とともに上京、十七日午後一時正式契約に調印、来春卒業後オリオンズの一員として球界にデビューする。昭和十六年六月十五日生まれ、身長178㌢、体重75㌔、現住所は岩手県宮古市高浜。

佐々木投手の話 プロ野球はまだ一度もみたことはありませんが、新聞、ラジオ、テレビなどを通じて大毎のチーム・カラーが大好きでした。巨人、西鉄、近鉄、大洋などからさそってくれたのですが、やるからには好きなチームで…という気持が強かったので大毎入りを決心したのです。現在のボクのウイニング・ショットは外角への速い球(直球)とそれにカーブ、甲子園ではついアガってしまって内角へボールがいき打たれましたが、高校野球でもこうなんですからプロ野球ではさんざんでしょう。ボクの力がすぐ通用するわけないんですが、一刻も早く通用できるようにがんばりたいと思います。

和田代表の話 佐々木君は非常に立派なご両親のもとに育った精神的にもしっかりした青年なので、大毎入りしてからも心技両面にわたって伸長するだろうと期待している。大毎はかねてから投手の補強に力をいれており、東北高球界の№1投手といわれる佐々木君をむかえいれることができたのは心強いことだ。本人はとくに大毎に入りたくて入ったのだから、来シーズンの中途あたりから登板できるようになるかもしれない。
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権藤博

2015-06-13 14:53:50 | 日記
1960年

ノン・プロ九州地区で怪腕をほしいままにし、プロ球界からすいぜんの的になっていたBSタイヤの権藤博投手(21)=出身校鳥栖高、右投右打、身長一㍍七七、体重七〇㌔=はこのほど中日入りが決定した。権藤投手は今夏の都市対抗で日鉄二瀬の補強投手として出場、第一戦の対積水化学戦に六回から救援4安打に押え、二回戦の対住友金属戦にも救援して3イニングスを1安打と、ともに無得点に封じた本格派投手。長身を利しての快速球には定評があり、鋭いドロップと、外角への沈む球に威力がある。今春九州遠征を試みた日石、日立製作所の両チームをつぎつぎなぎ倒し株をあげた。
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大石弥太郎

2015-06-13 14:42:40 | 日記
1961年

九州高校球界の門岡(高田高)とともに本格派としてスカウトの注目を集めていた佐伯鶴城高の大石弥太郎投手(18)=右投、右打、1㍍79、70㌔がこのほど東映入りを表明した。同投手は今夏の予選では一次で早くも敗れたが、昨年十月の九州大会、東九州予選で中津東を相手に完全試合をなしとげている。長身からくり出す速球とカーブ、シュートには非凡なものがあり、交渉に当った東映瓜生スカウトも「球は速いし、将来性は十分にある」と太鼓判を押している。大石獲得には東映、阪急がせり合ったが、東映の積極的な勧誘が実を結んだもの。大石投手は打者としても優れた才能を持ち五番を打って投打の中心をなしていた。
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高木時夫

2015-06-13 11:03:25 | 日記
1960年

中日ドラゴンズでは十六日名古屋市中区西川端町同球団事務所で、かねてから入団が内定していた富士製鉄釜石の高木時夫捕手(24)=日大出=と正式契約した。同選手は身長1㍍75、体重70㌔、右投右打で日大時代は合田(中日)黒木(大洋)とともに日大の優勝に貢献した。黒木とは無二の親友でもある。釜石では三番を打ち、打率は3割1分5厘をマーク、特にインサイド・ワークのよい点では大学時代から定評があった。今夏の都市対抗野球大会では常盤炭鉱の補強選手に選ばれた。同大会前、突き指した右手小指の骨折もほとんど快ゆしている。これで今シーズン社会人野球から中日入りした選手は四人。背番号は「6」に決まった。なおいままで「6」の今津選手の背番号は「56」となった。

高田代表の話 打撃もよいが非常に頭脳的なプレヤーだから楽しみだ。捕手陣はご覧のように吉沢一人で手うすである。すぐにも練習に参加して登録が完了しだい第一線でやってもらうことになる。

高木選手の話 入団したからには一生けん命がん張る。打撃は当てる打法で大物はとばせないが肩には自信がある。右手の小指骨折ももう大丈夫です。
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