プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

永田善一

2015-06-01 23:39:18 | 日記
1961年

大毎オリオンズでは二十七日午後三時東京都中央区京橋の大映本社六階会議室で鎌倉学園高のエース永田善一投手(17)の正式入団契約の発表を行った。同投手は今年の春の選抜大会で準々決勝まで進出、また夏の全国高校野球大会神奈川県予選では決勝戦で慶応高に惜敗したが、シュートを武器とした本格派投手。今年の優勝チーム作新学院とは二度対戦し、八木沢投手と投げ合って二度とも勝っている。大毎では同日すぐに連盟に選手登録した。背番号は57、身長1㍍74、体重72㌔、右投右打。

永田投手の話 甲子園の予選が終ったとき、熊谷組からお話があり、お世話になるつもりでいたが、大毎からぜひということで熊谷組に了承を得て二十日前にプロ入りに踏み切った。大毎の試合はあまりみていないが、シュート、コントロールには自信はあるのでなんとか試合に出られるようになりたい。

永田大毎会長の話 大毎はとくに投手陣の補強が重要であり、さきに西投手、今度永田と、私のマークした投手の80~90%は獲得できるメドはついた。永田君は私と一字しか違わない(雅一と善一)し、名前からしても大物になる素質がある。作新にも勝っているというし、体も大きいので近い将来大毎を背負ってくれる投手になってくれるだろう。
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栗本光明

2015-06-01 21:38:28 | 日記
1960年

栗本投手は身長一㍍七五、体重六四㌔で、倉レのエースとして32年から36年まで五年連続後楽園に出場、その間34年は準々決勝、また同年の産業別大会には優勝。35年はノンプロの台湾遠征の一員に選ばれている。36年の成績は15試合で10勝無敗、98イニングスで自責点12、防御率1・10とすぐれたもの。大毎では昨年からこの栗本投手をマークしていたが都市対抗に敗れて帰郷していた同投手と、七日午後二時大映関西支社で、倉レ森谷野球部長と青木大毎チーフ・マネージャー立ち会いで契約をかわしただちに発表した。福山工ー倉レ岡山、昭和11年3月13日生まれ、背番号57。

栗本投手の話 大毎のゲームは5試合ぐらいしかみていませんが、前々からあのすぐれたバックで投げてみたいと思っていました。武器は外角一パイをつくカーブですが、コントロールには自信があります。

青木チーフ・マネの話 そんなにスピードはないが、ピッチングが非常にていねいでうまい。今年の成績でも四球が6個しかないのだ。ウチとしては昨年から目をつけていた投手で、入団が一年おくれたことになる。カーブが非常によくバッティングもいいものをもっている。本人は練習をしていないので、練習をやりたいといっているが、監督がきょう来阪するので相談して決めるつもりだ。
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松浦弘宣

2015-06-01 20:48:44 | 日記
1960年

大毎オリオンズではこのほど島根球界で未完の大器といわれ将来大きな期待のかけられている松浦弘宣外野手(17)=浜田高=の獲得に成功、近日中に正式発表されることになった。松浦外野手は今夏の島根県予選準決勝の対大社高(3-1で負け)を最後に家庭の事情で野球部を退部、学校も中退していたものだが、将来性のある選手だけにその去就が注目されていた。大毎のほか大洋、巨人、広島なども勧誘にのり出していたが、大毎のチーム・カラーにあこがれて今月はじめ大毎入りを決意した。なお同選手は平田中学時代からすでにプロ球団スカウトのリストにあげられていたほどの大型選手で今春浜田高へ入るなりクリン・アップの一角である五番を常時打ち夏の予選の5試合で3ホーマーを放っているほどの強打者。文字どおりチームの重鎮をなしていた。バッティング自体はまだまだ甘さは残っているが、腕力のある上にファイターなので、地元でも「将来はきっとすごい打者になる」と折り紙をつけている。1㍍72、67・5㌔、左投左打。
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今村正博

2015-06-01 20:22:42 | 日記
1959年

松阪商の鈴木遊撃手、和歌山商の山本三塁手と素質のあるプレイヤーを獲得した南海ホークスでは、さらにもう一名奈良県下屈指の遊撃手といわれる田原本高の今村正博選手(18)=右投右打=の入団を内定した。同選手は身長1㍍76、体重68㌔で、一年生からトップ打者として活躍、チームのけん引車となっていた。三年間の打率は三割、ベース1周14秒という脚力の持ち主で、その堅実な守備とともに注目されていた。今春の近畿大会で松井スカウトの目にとまり、ノン・プロ大和証券への就職をとりやめて南海入りとなったもの。

田原本高・東野球部長の話 はじめプロから勧誘されたとき本人の実力を疑問に思って少しとまどったが、どうせ野球をやるならプロで思いきってやりたいという本人の希望に賛成した。父親はいないが、一人息子のため内向性の点もみられるが、土性骨があるので安心している。バッティングはシュアで守備もうまく、脚力があるので南海型の選手として大いに期待している。本校ではじめてだから、なおさら応援もしたくなる。

今村選手の話 同じやるならプロでやりたいと大和証券の就職をやめて南海を選びました。チームとして非常にまとまりがあり鶴岡監督もいい人だときいています。打撃はクロス・スタンスのせいか右中間方面によくとびますが、入学以来ちょうど三割をマークしています。ホームラン7本。守備は三遊間寄りをもう少し練習しなくてはと思っています。正式契約は十一月の予定です。
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阿部澄男

2015-06-01 06:52:08 | 日記
1960年

投手陣の補強に力コブを入れる南海ホークスでは、このほど福岡地区で好投手といわれていた八幡工の阿部澄男投手(18)=右投右打=を獲得した。同投手は1㍍77、70㌔、中央球界では無名だが正統派投手としてその将来性をもち、石川スカウトが早くから注目していたが、去る十一日正式南海入りを決定したもの。
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岩本泰英

2015-06-01 06:48:19 | 日記
1960年

長崎市の南山高校野球部岩本泰英投手(18)は大洋ホエールズに入団することがほぼきまった。岩本投手は1㍍80、72㌔の恵まれた体から投げおろす速球を得意とする本格派。長崎県西彼杵郡の香焼中三年のとき投手をやりはじめた。でかい体の投手がいるという話から清水南山高監督が目をつけ、同校野球部に入れた。はじめ投手として西鉄にいる杉町のカゲにかくれて目立たず、昨年春の甲子園大会では一塁手で八番を打っていた。しかし昨年秋の新人戦から同校のエースとしてマウンドを踏み、四十三試合のうち二十三試合に登板、19勝4敗の成績をあげ、九州大会、全国高校野球西九州大会に出場した。杉町ほど球質は重くないが、手首が強く体もやわらかであり、ドロップも投げ、外角の球はスライドする。性格は明るいが、ちょっと気分屋。正式に入団交渉があったのは大洋と東映だけだが、大洋の三原監督の人柄にひかれて入団を決意した。

岩本投手の話 プロには小さいときからあこがれていた。入ったら早く試合に出られるようにがんばりたい。

清水同校監督の話 体がやわらかですなおな性格であり、もっとコントロールをつけ、自分の思うところへ投げられるようになれば十分働いてくれると思う。
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