プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

舟渡光政

2015-06-28 22:25:29 | 日記
1962年

兵庫県でA級の強打者といわれていた鳴尾高舟渡光政中堅手(18)はこのほど東映入りが決まった。舟渡は早くからウワサのあった強打者で、体格もよく、大もの打ち。同校の監督がもと近鉄の日下外野手のところから近鉄、南海、阪神の在阪球団と交渉を行っていたが、在阪球団との話し合いがスムーズに進まなかった。その問題をぬって東映が早急に交渉をまとめたもの。1㍍81、76・5㌔、右投右打。
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マンコビッチ

2015-06-28 21:01:34 | 日記
1962年

大毎オリオンズ入団が正式決定した元2A級リトル・ロックにいたフランク・マンコビッチ投手(25)の契約は、二十六日午前東京都荒川区南千住の東京スタジアム内大毎球団事務所で松浦代表との間に行われた。大毎では契約終了後ただちに連盟に選手登録、同投手はあす二十八日からの東映戦より試合出場が認められた。大毎では同投手を「マニー」と呼ぶことにしているが、背番号は「13」1937年3月12日生まれ。米国ペンシルバニア州ユニオン・タウンのノース・ユニオン・ハイスクール出身。アメリカ・プロ野球界には五年在籍した。身長1㍍81、体重81・6㌔、右投げ右打ち。

マンコビッチ投手の話 来日(十三日)以来ずっとオリオンズとともに練習をしてきたのでたとえ二十八日に先発登板を命ぜられても投げ切れるコンディションにある。ストライク・ゾーンの相違で苦労しないかといわれるが、私は大丈夫だ。武器は速球、それにスライダー、カーブも投げる。併殺を狙うときにはシンカーを使うようにしている。今シーズンどれだけ働けるかははっきりいえんが、10勝できる自信はある。
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古田忠士

2015-06-28 19:12:12 | 日記
1964年

今夏の全国高校野球選手権大会準優勝校早鞆高主将古田忠士遊撃手(18)=1㍍72、63㌔、右投右打=は「大学進学かプロ入りか」でその去就が注目されていたが、このほど「プロ入り」と踏み切り大洋入団が決まった。なお正式契約はあす二十八日下関市内で行われる。同選手は今夏の予選で打倒池永の立役者として活躍、主将の重責をになって三番を打ちチームの要として甲子園出場の原動力となった。甲子園大会でもそのシャープなバッティングと軽快なフィールディングで「高校球界屈指の遊撃手」として脚光をあびスカウトの目にとまった。ところが同選手は大学進学か社会人野球を強く希望しプロ入りについては消極的だった。地元の大洋は予選中すでに同選手を高く評価し、引地スカウトが勧誘に乗り出していた。同スカウトは自宅が同選手の実家(下関市貴船町)の近くでもあったことから大会終了後も連日熱心に足を運んだ。ところが同選手は聖火リレーの正走者に決まっていたため、その意思表示は十八日以降とみられ、一時交渉が中断されていた。その間同選手は「同じ野球をやるならプロで」に気がかわり、すでに早鞆高のエース亀井投手も大洋へ入団したこともあって熱心に勧誘をつづける大洋入りの意思を堅くしていったようだ。十八日以後は再三にわらり家族会議が開かれ、その去就について話し合いがなされたが、父親一男さんをはじめ家族は「プロでやるにしろ大学進学にしろ、すべて本人の意思通り」という結論に、同選手は石井早鞆高監督らと協議の末、プロ入りに踏み切り大洋入団が決定した。
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竹屋三郎

2015-06-28 18:42:39 | 日記
1961年

中日をはじめ阪神、東映、西鉄、南海、阪急など8球団からプロ入りを勧誘されていた、社会人野球協和発酵防府の左腕竹屋三郎投手(20)=福山工高出=は、三日中日ドラゴンズ入りの意思表示をした。同投手は左投げ、左打ち、身長1㍍78、体重75㌔で、中日の権藤投手を左にかえたようなタイプの本格派投手である。左腕にしては珍しくコントロールがあり、右打者のひざもとに食いこむ速球と、落差の大きいドロップが武器である。同投手を一番最初に見出したのは水原監督で、すでに三年前から誘っていたといわれる。中日もやはり柴田チーフ・マネが三年前からマークしていたが、当時は「自信がない」という理由で、プロ入りの決意を得るにいたらなかった。一時は阪神が有力で契約寸前までいっていたが、中日のまき返しが成功した。左腕投手が皆無の状態にある中日投手陣にとって、竹屋は貴重な存在となるにちがいない。なお正式契約は、七日球団事務所で行われる。

柴田チーフ・マネの話 三年ほど前からマークしていたが、本人が「自信がない」というのでのびのびになっていた。やっと交渉が実ってうれしい。左投手だが四球を出すことはまれにしかない。コントロールがあるが、なによりスピードが威力だ。きっと働いてくれると思う。
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神谷雅己

2015-06-28 17:24:29 | 日記
1960年

大毎オリオンズ入りのきまっていたハワイ朝日軍の大型捕手リチャード神谷捕手(23)=日本名は雅己=が二十日午後四時十分羽田空港着のPAA機で来日した。顔なじみのカイザー田中コーチ、西田、ディサ両投手の出迎えを受け、にっこり笑った神谷捕手は疲れの色もみられなかった。すぐに空港ロビーで別掲のような記者会見を行ったが、同選手は昭和十三年七月十五日生まれ、マッキンレー高校時代にハワイ高校選抜チームの一員で来日、今春は朝日軍の主力選手で二度目の日本遠征をしている。正式契約は後日松浦代表が帰京次第行われるが、二年契約の模様。背番号は本人の希望を入れて「46」きょう正午から駒沢球場で初練習をする予定である。1㍍78、81㌔。なおエイ子夫人と二人の子どもは同選手の実姉とともに二十三日来日する。
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石田卓司

2015-06-28 16:57:36 | 日記
1965年

国鉄スワローズは五日、石田卓司投手(18)=下田北高出、右投右打、身長181㌢、体重80㌔=の入団発表を行った。石田投手は三日から横浜市大倉山の国鉄グラウンドでの練習に参加していたが、このほどテストに合格し、五日契約をかわした。
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丸山隆男

2015-06-28 16:47:24 | 日記
1963年

北信越球界での本格派投手として今夏の甲子園大会でも注目された富山商の丸山隆男投手(18)=1㍍82、73㌔、右投右打=は、このほど巨人入りが決まった模様。同投手は二年生の昨年から将来をしょく望された好投手で、ことしはフォームを変えたが、カーブと速球を武器に今夏の甲子園大会では一回戦で下関商の池永と投げ合い、惜しくも敗れはしたが、その好投が買われて大会終了後ハワイへ遠征する選抜チームの候補にあげられている。だがこのため巨人との間には正式契約はまだ終わっていない。しかし本人をはじめ家族も巨人入りを希望、富山が読売新聞正力社主の出身地ということもあって、巨人入りは確実とみられている。
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作道烝

2015-06-28 16:09:39 | 日記
1963年

日立製作所野球部の作道烝(すすむ)捕手(20)=新田学園出身、右投右打、身長1㍍78、体重75㌔=はかねてから、東映、大洋、国鉄、近鉄などから、勧誘を受けていたが、二十五日の都市対抗野球で、同選手が補強で加わった日鉱日立が敗れたため、近日中に日立製作所を退社、東映の誘いに応じることになった。同選手は高校卒業と同時に地元丸善石油に入社したが、同社の野球部解散にともない、岡田監督(現在丸井監督)の紹介で三十七年日立製作所に転籍、持ち前の長打力をいかんなく発揮して活躍をつづけた。そのすぐれた素質に目をつけた各球団が獲得に乗り出した。出足の最も早かった東映は、荒井スカウトが岡田氏を通じて交渉に当り、熱心な勧誘を続けた結果獲得に成功したもので、東映としては捕手よりもむしろ打力を生かしての一塁手転用を希望しているようである。北関東予選で3ホーマーを記録した同選手は、続く関東予選でも神宮球場でホームランを放っている。
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辻佳久

2015-06-28 15:43:33 | 日記
1964年

春の選抜高校野球以来注目されていた金沢高辻佳久投手(18)=1㍍83、75㌔、左投左打=は二十日小松市平面町の自宅で父親三次氏、同校駒谷監督、巨人青木スカウトの三者で話し合った結果、巨人入りを決めた。また同校で三番を打ち、辻投手と三年間コンビをくんでいた竹内洋捕手(18)=1㍍78、73㌔、右投右打=の中日入りも決まった。辻投手は春の甲子園で一躍スカウト連の注目を集め、選抜終了後中日、巨人、大洋、国鉄などの間で激しい争奪戦が演じられていた。そして金沢を親会社中日新聞が地盤としていることなどから一時は中日入りが濃厚といわれていたが、中日が条件的に難色を示している間に、巨人青木スカウトが最近読売新聞正力社主の至上命令をうけて獲得に乗り出し、中日をはるかに上まわる一千五百万円の条件を提示して、逆転に成功したもの。同投手は左の本格派投手として春の甲子園でも金田二世といわれたほどの好投手である。
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阿部成行

2015-06-28 15:27:01 | 日記
1964年

十四日甲子園球場で行われた高校野球選手権大会二回戦で惜敗した花巻商のエース阿部成行投手(17)=1㍍72、69㌔、左投左打=は、同日試合後神戸市内の宿舎で「プロが誘ってくれるなら野球をつづけたい」とプロ入りを表明、かねてから交渉のあった大洋入りが決定的となった。阿部投手は本格派サウスポーの少ない本大会でただ一人の好投手と折り紙がつけられ、左腕からくり出す速球と緩急二種類のカーブで一回戦の玉竜を完封、予選でも七試合で四試合完封、失点もわずかに3と安定したピッチングは早くからスカウトに注目されていた。同投手獲得にのり出していたのは大洋と、次兄が近鉄にいる関係から近鉄の2チームだが、これは大洋藤井スカウトが、夏の予選前から常に長兄誠佑氏(26)に食い込み他のチームにつけ入るスキを与えなかった。近鉄は次兄雄厚さん(22=同校出身)の線で押していたが、近鉄はやや乗り気うす。兄弟関係の強いルートを持ちながら大洋の実家攻勢が実り、大洋の優位は動かず、近鉄は手を引いた模様であるので、同投手の大洋入りは決定的となったもの。

阿部投手の話 今後のことは郷里に帰ってすべてをまかせる長兄によく相談して決めますが進学の意思はありません。できることなら野球をつづけたいし、プロから誘いがあれば入って自分の力を試したいと思います。長兄からはいまのところ大洋から話があると聞いています。大洋の藤井さんとは予選の前に会いましたが、ピッチングを見てもらっただけのことです。
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松浦信吉

2015-06-28 15:03:32 | 日記
1964年

近鉄入りした博多工の橋本投手とともに、九州高校球界屈指の好投手としてプロ入りをうわさされていた小倉工松浦信吉投手(18)=1㍍83、74㌔、右投右打、三年生=は、きのう二十九日中途退学して南海入りすることになった。正式契約は近日中に行われる模様。また南海入りが決定的だった同校の投手兼内野手村松選手は大学進学に踏み切った。松浦投手は恵まれた体から投げおろす本格派投手として、一年生のころから脚光をあび、春の選抜大会(昭和37年)に出場、スカウトの目にとまった。その後一時腰を痛めて精彩をかいたが、今春から完全に立ち直り、今夏の甲子園出場の原動力となった。松浦獲得に乗り出した球団は、地元西鉄をはじめ南海、近鉄、東映などだったが、中でもいち早く同投手に目をつけた南海は、石川スカウトが実家(直方市内)に日参して精力的な獲得交渉にあたった。また松浦自身も小倉工の同僚で、四番を打つ村松選手の実兄、先輩の太田選手らが南海にいる関係で南海に愛着をもっていたため、交渉はスムーズに進み、南海が西鉄近鉄を終始リードして独走に終わった。同投手は二十七日中途退学に踏みきり、退学届を提出した。学校側は「あと半年」の在学で高校卒業ができるため卒業ープロ入りということで、沼津同校野球部長らが説得にあたったのだが、家族、本人の意思は堅くきのう二十九日午前十時池田同校校長、白石同校後援会長の立ち会いで正式に中途退学届を受理し南海入りが決定した。
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石原碩夫

2015-06-28 14:25:10 | 日記
1960年

東映フライヤーズは十四日午後三時、京橋の球団事務所で石原碩夫投手(21)の入団を発表した。同投手は岡山東高から三十四年四月東洋紡岩国に入社、この間三十四年夏の都市対抗に出場している。右投(アンダー・スロー)右打、身長1㍍77、体重77㌔、背番号65。

石原投手の話 自分の力を試したいと思って入団した。プロ野球はあまりみていないが、パ・リーグのファンとして東映に関心はあった。一生けん命やりたい。先輩には秋山さん(大洋)といういい人がいるので…。

石原代表の話 シーズン途中に入るのは気苦労も多いと思うがそれだけに本人も一生懸命やってくれると思う。社会人からプロに入団する以上はそれだけの心構えがいるわけだ。ちょうど都市対抗の予選も終わったので正式に退社入団してもらった。十四日コミッショナーに届け出たから、これが受理され次第出したい。

宮沢スカウトの話 私が目につけたのはことしの二月ごろだった。下半身が強く、体も柔軟性があるので将来性は大いにあると思う。少しもまれればスピードはもっと威力を増そう。楽しみな選手だ。
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交告弘利

2015-06-28 14:15:03 | 日記
1962年

東海地方で本格派の速球投手ナンバー・ワンの折紙をつけられている岐阜短大付属高二年生、交告(ごうけつ)弘利投手(17)は、地元中日をはじめ、近鉄、阪急、南海、大洋から誘われていたが「中退ープロ入り」に踏み切り、このほど家族会議の結果、阪神入りときめた。同投手は二年生ながら、上背があり、左腕から投げおろす速球は超高校級の球威をもっている。今春近鉄がいちはやく目をつけ、岐阜県中津川の自宅を訪ねた。その後、中日、阪神、南海、大洋が名のり出て激しい争奪戦となった。今夏の予選前まで中退する考えはもっていなかったが、予選後中日の攻勢が激しくなり、中日は本多スカウトが連日自宅参りして口説いたため、中退に傾いた。中退に踏み切った七月二十日すぎごろには、スタートの早かった近鉄と、地元の中日が有力だった。とくに巻きかえしの強かった中日に傾きかけたが、家族の「地元ではあまりに身近すぎるので遠い球団の方が本人に独立性がもてる」という意向から中日の縁はうすくなった。近鉄江田スカウトが都市対抗野球で東京に出かけたスキに阪神が強力に話を進め、三十日夜自宅を訪ねた中日本多スカウトに父親が「阪神入り」の意思を明らかにしたもの。1㍍80、75㌔、左投左打。
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福浦健次

2015-06-28 13:04:48 | 日記
1960年

今夏の東京都高校野球予選で本格派第一人者の折り紙をつけられた中央商の福浦健次投手(18)=1㍍81、75㌔=は今春来プロ球団の注目の的となっていたが、去る二十六日日大二高に敗れて以来各球団スカウトが殺到、活発な争奪戦が展開されたが、このほど福浦家と学校側の意見一致を見、阪神入りが内定した。同投手に対しては阪神、大毎が早くから触手を伸ばしたのをはじめ阪急、中日、巨人、広島、大洋などが獲得につとめた。ことに同校敗戦の翌二十七日はスカウトが福浦家ではち合わせするなど、争奪戦は表面化したが、同投手自身は阪神入りを希望し、このほど内定の運びにいたったものである。同投手は現在長野で行われている中央商新チームの練習に参加しているが、父親与七氏の語るところによれば同投手の阪神を希望した理由は、阪神は高校生を主体にしているチームだから働きよいことと、同校清水野球部長のすすめもあったと語っている。阪神佐川スカウトが今春亀戸で行われていた同校野球部の練習を見に行った際、その将来性に太鼓判を押し、学校側にぬかりなく手を打ち、福浦家とも接触をもって父親と本人を説得、獲得にこぎつけたものである。なお今夏の都予選の成績は井草、昭和一商、立正、日大二の四試合に投球回数24回1/3、自責点3、安打12、三振34、防御率1.08の好記録を残している。

父親与七氏の話 私は野球はよく知らないのだが、日大二高に負けてから各球団の肩が昨夜おいでになって入団をすすめられた。学校側とも相談した結果、本人が望む球団に行かせるのが最もいい方法だと思って健次の意思を尊重した他球団はすでにおことわりし、きょう(四日)佐川さんに連絡したので翌朝(五日)には再びみえると思う。そのときにお世話になる旨を伝えようと思っている。
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江田昌司

2015-06-28 12:40:26 | 日記
1962年

二十六日、千葉県で習志野高校と並んで優勝候補の筆頭にあげられていた千葉商は、千葉敬愛に5-4で惜敗したため、同校野球部江田昌司遊撃手の阪神入りが決定的となった。同選手は上尾高の山崎遊撃手とともに関東高校野球界きっての大型内野手との評判があり、今春五月千葉で行われた関東大会で強打を振るい、一試合の2打席連続本塁打をふくめ大会を通じて3本塁打を放った。この活躍によって江田株は急上昇、早くから交渉を進めていた阪神はじめ巨人、大毎、大洋などが獲得に乗り出した。だが最も早く交渉に入り、終始積極的に勧誘した阪神の独走の形となり、他球団のくい込む余地はなかった。千葉商の敗戦によってスケジュールを終えた同選手は、近日中に阪神佐川スカウトと最終的な話し合いを行い、入団決定の運びになるものと思われる。同選手は外野手から内野手に転向今春二塁から遊撃に回ったものである。1㍍79、78㌔の恵まれた体の持ち主。守備に堅さがあり打撃もラフなところはあるが、内角球にはめっぽう強く、ツボにくれば外野席にたたき込む長打力を持っている。関東大会で記録した3本塁打はいずれも左翼スタンドにたたき込んだ豪快なものであった。

河西スカウトの話 一度東京へ行って江田君を見たことはあるが、その後の交渉は東京駐在の佐川さんがやっているはずだから、くわしいことはわからない。
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