プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

倉高新始

2015-06-04 23:09:29 | 日記
1959年

大毎オリオンズではこのほど関西球界の大型サウスポー社会人野球辻和商店(京都)倉高新始投手(22)=同大野球部中退=の入団が確実となった。同投手は平安高から三十二年春に同大へ進み、昨秋まで第一線選手として活躍した強打・速球の長身投手、身長1㍍86、体重70㌔、左投げ左打ち。

倉高選手は三十一年夏の甲子園大会で優勝したときの平安高メンバーの一人で、三十二年同大へ入学一塁手として関西六大学リーグ戦で活躍。昨秋橋詰投手(現東映)の卒業で今シーズンの同大のエースと目されていたが、家業(染物屋)の都合から五月学校並びに野球部から退いて京都の辻和商店に勤務していた。昨年十一月大阪で行われた東西大学対抗戦で同投手は対早、明戦に登板健投したが、このころからプロ各球団スカウトが動きだし、五月中退と同時に阪神、大洋、東映のほか、とくに投手陣不振の巨人が宇野代表みずから西下して倉高獲得にほん走した。倉高選手は辻和商店に入社と同時に同社の野球部に入り、社会人野球協会へ登録されていた。このためシーズン中社会人選手のプロ入りは両社間の協定で禁止されているので、早急のプロ入りは難しかった、が同選手は家庭の特殊事情を理由に社会人野球協会に登録抹消の特別申請を行っていたところ。九日同協会審査室委員会は「極度の家業不振を立て直すため」ということでこれを承認した。これにともなって倉高選手はプロ野球コミッショナーあて社会人野球協会登録抹消の届と共に、自由選手となった旨の申請を即日行ったが、十一月コミッショナーから各球団へ同選手が自由選手となったことを公示した。公示期間は十五日間なので二十七日以降でないと球団は契約できないが、すでに倉高選手から「プロ入りするときは大毎へ入りたい」と希望を受け取っている大毎への入団が確実となった。

和田大毎代表の話 素質のある選手ときいている。相当な球威をもっているとのことだが、飯尾西田両君のカム・バックがあり、そこへ倉高君が入ってくれれば今後の見通しが非常に明るくなる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大土富雄

2015-06-04 22:11:50 | 日記
1960年

東映フライヤーズではかねてから打てる内野手を狙っていたがその条件がぴったりの修徳高大土富雄二塁手(19)の入団が決定的となった。同選手は初め投手をつとめ、足を痛めてから一塁手、外野手とポジションを変えたが、今春から二塁手となった。昨年秋からこれまでに3割8分、本塁打30本を打っており、今度の高校予選でも6打数2安打(2本とも三塁打)と大物ぶりを発揮している。守備も軽快百㍍11秒台と打守走そろった好選手である。身長1㍍76、70㌔、右投右打。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする