1959年
藤田二世とこの春のキャンプで騒がれいざ公式戦になると姿を消していた黒田が、この一年間の精進を物語る好投を演じた。黒田は騒がれながらことし一年悲運に甘んじたのは北見北斗高出身で野球そのものになじんでいなかったのと、ピッチング全般に不安定なものを持っていたからだ。フォームはもとより高校時代速球だけで相手の打者を牛耳れた球威の弱さからカーブについては全くシロウトだったのである。しかしその天分を巨人首脳はこの春から十分認めていた。二軍戦で他の投手よりも多くの登板の機会を与えられたのもそのためだ。一年の努力をテストされるこの試合で黒田は六回まで国鉄を5安打の1点に押えた。「80点はやれる」という中尾コーチの採点に「この分なら来シーズンは楽しめる」という水原監督の言葉、まず黒田はこのテストに合格したといってもいいだろう。合格点は黒田の直球に与えられたものだ。三回赤木を内角速球、外角のシュート、そして三球目内角低目の直球とスピードボールを続けて投げて三振にしとめたピッチングがそれを代表する場面。国鉄打者が三本のバットを折ったシュートはこの秋にヒントを得て投げはじめたものということから、そののみ込みの早さからいって速球は文句なしの成績である。しかし黒田がこのまま公式戦に臨んでも完投はできない。それはカーブが甘いからだ。この試合でカーブは六球しか投げなかったのにうち二つを痛打されている。「腕を上に上げてカーブに鋭さを持つこと」この中尾コーチの指示を忠実に守り、そのうえ、軸足の堅さをとることに課題がある。北国人の粘り強い努力を今後とも期待したい。そこにはじめて黒田の素質が生かされるだろう。
藤田二世とこの春のキャンプで騒がれいざ公式戦になると姿を消していた黒田が、この一年間の精進を物語る好投を演じた。黒田は騒がれながらことし一年悲運に甘んじたのは北見北斗高出身で野球そのものになじんでいなかったのと、ピッチング全般に不安定なものを持っていたからだ。フォームはもとより高校時代速球だけで相手の打者を牛耳れた球威の弱さからカーブについては全くシロウトだったのである。しかしその天分を巨人首脳はこの春から十分認めていた。二軍戦で他の投手よりも多くの登板の機会を与えられたのもそのためだ。一年の努力をテストされるこの試合で黒田は六回まで国鉄を5安打の1点に押えた。「80点はやれる」という中尾コーチの採点に「この分なら来シーズンは楽しめる」という水原監督の言葉、まず黒田はこのテストに合格したといってもいいだろう。合格点は黒田の直球に与えられたものだ。三回赤木を内角速球、外角のシュート、そして三球目内角低目の直球とスピードボールを続けて投げて三振にしとめたピッチングがそれを代表する場面。国鉄打者が三本のバットを折ったシュートはこの秋にヒントを得て投げはじめたものということから、そののみ込みの早さからいって速球は文句なしの成績である。しかし黒田がこのまま公式戦に臨んでも完投はできない。それはカーブが甘いからだ。この試合でカーブは六球しか投げなかったのにうち二つを痛打されている。「腕を上に上げてカーブに鋭さを持つこと」この中尾コーチの指示を忠実に守り、そのうえ、軸足の堅さをとることに課題がある。北国人の粘り強い努力を今後とも期待したい。そこにはじめて黒田の素質が生かされるだろう。