プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

石岡康三

2017-01-10 20:35:42 | 日記
1969年

投手がマウンドに立つ。まず規定投球練習する。その間に捕手はその投手の「きょうはどんなタマがいけるか」をまず感じでつかむ。そして、回を追って行くうちにその日の勝負ダマをきめて行く。この日の石岡は、右打者に対しての内角シュートがさえていた。捕手の加藤は、そのシュートをうまく配合した。五回表、1点を取られてなお無死満塁のピンチ。しかし、ここで打席に王を迎えたときの加藤は、ためらわずにシュートを多く要求した。0-3からストレート(ファウル)についでここぞと投げたシュート。王はファウルするのが精いっぱいとみると、内角ストレートで一塁フライにうち取った。つづいて長島には直球、シュート、そして高めのフォークボール。長島は3球ともファウルしたあとに、低めのフォークボールでから振りの三振。シュートファウルされるだけで威力は十分だった。「これでピンチは切り抜けた」と石岡自身も思ったという。ヤマ場はすぎた感じで、九回表二死まで進んで行った。しかし、八回を終わって141球も投げていた石岡。普通投手の限界は130球前後とされるが、その限界を越えてもなお投げつづけていたのは、五回の最大のピンチにONをうち取った自信があったからだろう。だが、そこで球威の減退をいち早く見取らなければならないのも、これまた当然捕手の役目である。九回二死から黒江を迎えても、加藤は初球カーブのあとの2球目をシュートでストライクを取ったものの、3球目のシュートははずれ、カーブ、ストレートと2球つづけてボールを投げ四球。王の初球に、いきなりストレートで向かって行ったとき、右前へはじき返されていた。二死一、三塁。別所監督がマウンドに飛び出した。「交代をさせるつもりで出たが、捕手もスピードは落ちていないというし、石岡自身もだいじょうぶといったので、続投させる気になった」という。だから、そこで長島に対する攻め方だけをバッテリーと打ち合わせたそうだ。石岡が改めてマウンドに立ったとき「内角にマトをしぼっている感じだったから、外角だけを攻めよう」と心にきめたという。いきなり、外角カーブでストライクを取ってからの石岡は、立てつづけにカーブの連発でカウント2-2までもっていった。そして5球目は「歩かせてもいいぞ」といっていた監督の言葉を思い出し「外角ややはずれたボールになるカーブ」を投げた。その瞬間、長島のバットは快音を残し打球は左中間の芝生にたたき込まれた。長島は「どんなタマだったかわからない」と興奮気味である。そして石岡は「ボールだったのに・・・」をくりかえす。別所監督に「石岡はだいじょうぶです」と進言した加藤捕手には「もっとはっきりいえばよかった」という気持ちとともに「それまでよかったシュートを投げさせれば・・・」という悔いが残ったかも知れない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島田源太郎

2017-01-10 20:03:53 | 日記
1968年

よみがえる熱球ー今の大洋・島田源太郎投手に与えるにふさわしい言葉だろう。昨年までの四年間はわずかに4勝(8敗)。さる三十五年、完全試合をふくむ19勝をマークした彼だが、島田という名は、ファンから忘れられかけていた。それがどうか。今シーズンは土つかずの7連勝。しかも二十八日現在の防御率も1・67と安仁屋(広島)に次いでセ・リーグ投手成績の第二位にがんばっているのだ。七回から平松にバトンタッチして引き揚げてきた島田が最初にいったのは「ツイてるだけ」だった。確かに二十六日の広島戦のように、わずかに1イニング投げて勝利がころがりこんできたこともあった。だが決してツキだけで勝てるわけはない。「投手のカムバックほどむずかしいものはない」といわれ、「完全試合をやるとあとが悪くなる」というジンクスもささやかれる。それを吹っ飛ばしたのは、人一倍慎重なピッチングから生まれる正確なコントロールだろう。やれチェンジ・アップだ、フォークボールだ、と新しい球種を追わなければいけないように思われがちな近ごろ、島田は十一年来、相も変わらず砲丸投げみたいなフォームで、ドロンと落ちる大きなカーブに直球をミックス、ときたまシュートを投げるピッチングを続けている。「球威や球種の多様さで勝負する投手じゃない」と彼自身もいうのだが、それだけにプロ入り十一年間という経験でつちかわれた制球力で、打者の弱点をついてゆくのだ。この日、一回一死満塁で長島を迎えたとき、外角そして内角へ、ずばり直球を配して2-0と追込み、さらに長島の裏をかいて外角いっぱいのカーブで三振に打取った投球。まさに「打者の心理まで読んだベテランの味」(土井捕手)があった。大胆さと緻密さを兼ねそなえた島田。69回2/3、二七五人の打者と対して被本塁打1という数字が彼の慎重さを裏書きしている。心配なのは、夏にかけて疲れから球速が落ちはしないか、ということ。別当大洋が首位争いに割りこめるかどうかは、島田の右腕にかかっているとさえいえそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ボレス

2017-01-10 16:59:51 | 日記
1966年

試合後ベンチでボレスは何度握手されたかわかならい。そのたびに黒い大きな汗だらけの手が忙しそうに動く。ボレスの豪打にナインは酔っている感じだ。主役のボレスとスペンサーがかわっただけで、近鉄ベンチの風景は昨年までの阪急ベンチと全く同じだ。野村を追いかけるスペンサーの長打を自慢していた阪急・岡野代表。「どうです。ボレスの打球はいま日本一でしょう」と近鉄・永江代表も満足そうに胸を張った。「これで野村を抜いた?並んだんですか」永江代表の興奮した口調にはいまに抜きますよといわんばかりの自信があふれていた。「はじめのはカーブ、二本目は速球だ」ボレスは静かな表情で球質を説明した。「これで野村と並んだが・・・」野村と聞くとすぐ首をすくめた。「野村を意識しても本塁打は打てないよ。本塁打を打つことよりチームが勝つことの方が先だ」ただいま二冠王(本塁打、打率)のボレスはまるで野村には気をつかっていないようすだ。神戸市岡本のスペンサーの家のすぐ近くにいるだけに来日してから何度もスペンサーをたずねた。先輩格のスペンサーにつれられて神戸にビフテキをたべにいくのもたのしみのひとつだが、まるでわからない日本の野球を説明してもらうのも目的のひとつだった。ボレスが野村の名をはじめてきいたのもスペンサーからだ。二年間野村と本塁打を争ってきたスペンサーの話でだれよりも野村の偉大さを知ったそうだ。変則投手の多い日本の投手にとまどったスペンサーの経験談もボレスはまじめにきいた。試合前のフリー・バッティングをみる阪急ベンチの話題はボレス。「足が速いだけに打率が急に落ちることはない。本塁打も野村はウカウカできないんじゃないか。リストの強さは外人ではナンバー・ワンだ」というのが大方の見方だ。野村には負けないといいつづけてきたスペンサーと控えめなボレスは全く対照的だ。ボレスにはそれだけ自信があるのかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅原紀元

2017-01-10 16:31:19 | 日記
1962年

菅原が投げると聞くと、ナインは大喜びする。理由はかんたん、守っている時間が短いからだ。スコアボールドのストライクとボールのランプもたいてい青(ストライク)の方が多い。「守る時間が長いほどやりきれないことはない。それもボール、ボールとづつくと疲れ方もだいぶ違う。菅原はコントロールがいいし、一生懸命投げるからなんとか点をとってやろうという気になる」とベテラン投手不信の田宮は菅原ファンを宣言する。坂井とならんで6勝。大毎投手のなかでは最高の勝ち星だ。サスペンデッド・ゲームになった前日の第二試合も、坂井があとをおさえれば勝利投手は菅原。一死一、二塁で菅原を救援した坂井は速い球をビュンビュン投げた。「菅原を救援するときは一番熱がはいる。あいつはほんとうにいいヤツだ」仲よしの菅原と坂井は遠征中はいつも同室。「坂井さんと勝ち星の競争です。坂井さんが一つリードするとおい、スガ、ついてこいというのではげみになります」とたがいにほめ合う。カンカン照りの中での連投にも菅原は「全然疲れなかった」といって山内をおどろかせた。「米田がだいぶタフだと思ったが、スガはもっとタフだな」そのタフさを買われて杉下コーチはキャンプから菅原をひと一倍きたえた。最初は好打者を迎えると、くらい負けしたり、九回になるとくずれたりした。「自分にまだ自信がないんだ。投げるだけで精いっぱいだもの」と菅原をかばっていた杉下は「尾崎と同じで自信を持ってきた。このごろは投げるのが楽しくてしようがないんじゃないか。余裕を持って投げている」と目を細める。色白の顔に玉の汗を流しながら菅原は「低目にさえ投げていれば真ん中にはいっても打たれるもんじゃない」といってのけた。「連投のきく菅原がきのう、きょうのようなピッチングをしてくれれば・・・」4連敗にうかぬ顔だった宇野監督はまた六月攻勢の進軍ラッパを鳴らしはじめた。勝利投手になった菅原はごきげんだ。「もうひとつごきげんなことがあるんですよ」とポケットから出したのは沖縄で買ったダンヒルのガス・ライター。パチッと一度で火をつけた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

井上善夫

2017-01-10 08:57:41 | 日記
1963年

ベンチの中は大騒ぎ。「はずせ、はずさんかいな」「ど真ん中へほうり込んでみろや」「まっすぐでいいんだぜ」「棒球投げるな」激励していることには違いないだろうが、まったく反対の言葉があちこちから同時に井上(善)にとぶのだからたいへんだ。隣の選手がなにをいってもおかまいなしだ。西鉄の悪口係は若生。「鶴さん、笑ってごらん」からはじまって、ピートには「古道具屋のご主人さま」井上(登)には「チキン・ライスいっちょう」これはいつも井上(登)が食堂で食べているからだそうだ。人一倍鋭い声は稲尾だ。「ヨシオ(井上善)腕だけにたよるな」「こいつは外角をねらうぞ」真剣で的確。四回ベンチ裏へ井上(善)は稲尾を呼んだ。「シュートが中へ中へとはいってしまうんだけど・・・」稲尾は足の下に線を一本引いて教えた。「ステップする右足を心もち内側に向けて、もっと腰を使ってみい」こうして井上(善)はみごとに今シーズン初めての完投シャットアウト。中西監督はうなずいてはゆっくりしゃべった。言葉をつけたつもりらしい。「よく投げたし、よく打った。一戦一戦勝とうという結果が3勝1分になったんですね。射程距離にはいった?それはみなさんで計算してください。ワシはこんごも予定表は作りません」岩本章良氏は闘志の勝利という。「井上(善)にそれがよく現れていた。緊張していたのは一回だけ。六、七回のピンチも、いままでの井上(善)には堪えられないほど打てるなら打ってみろという堂々たる態度だった。代える気配さえみせなかった西鉄ベンチの強気も、勝利に直結した原因だ」南海の本拠地、大阪球場の玄関前にできた黒山の人だかりから思いがけぬ声がとんだ。「西鉄、優勝せえよ」人だかりで前へ進めない中西監督と顔を合わせた井上(善)は、それを聞くとフーと大きく息をすっていった。「ぼくね、きょう誕生日なんです。たまにこういうこともせんと、もう二十二だもんね」中西監督は初めてしんみりした表情になった。「井上(善)が完投、田中(久)仰木、和田が活躍する。これがほんとうの西鉄なんだ。彼らが結局西鉄のバックボーンなんだ・・・」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする