プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

伊藤幸男

2017-01-19 22:09:03 | 日記
1971年

散発の三安打と、また巨人を手玉にとった伊藤は、十五日の十六回戦(後楽園)につづく巨人戦連続完封勝利。「ことしで十年目になるけど、巨人戦どころか連続完封なんておぼえがない。最後まで息が抜けなかったから、心身ともにくたくたで・・・」と、いまにもグラウンドにすわり込みそうな顔だった。これで巨人戦はことしまだ1点もとられずに二十一回三分の一を無失点。「先発は四日前にいわれた。ちょっぴり緊張したけど、いざとなったら腹がすわった。カーブがよかった?いや、真っすぐですよ、七回のピンチに高田を三振にしとめたのもど真ん中の真っすぐだった」新しい巨人キラーは鼻高々だった。

伊藤に二試合連続完封でひねられた巨人バッターのなかで、ただ一人気をはいていたのが長島。この日も三打数二安打と絶好調のバッティング。打率をグンとあげ、三打数無安打の王との差を一気につめた。「いやあ、打てば打率があがるのは当たり前ですよ」とさかんに首位打者争いには煙幕。「それより伊藤がよかった。落ちる球を多投し、いいところにきまっていた」と長島は王との争いよりも、伊藤のピッチングをほめていた。
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伊藤幸男

2017-01-19 22:00:41 | 日記
1962年

近鉄は十六日午後、大阪阿倍野の球団事務所でノンプロ積水化学伊藤幸男投手(19)=大鉄高出、1㍍79、75㌔、右投右打=の入団を発表した。背番号62。同投手は大鉄高時代、近鉄・土井外野手とともに三十五年の選抜大会に出場。三十六年積水化学に入社。三十六年、七年の都市対抗野球大会(三十七年は日本新薬の補強選手)に出場している。速球が武器で、東映、大毎、広島、大洋もねらっていた。
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榎本直樹

2017-01-19 21:35:56 | 日記
1970年

大洋に六位で指名された中京大の榎本直樹投手(22)=1㍍78、70㌔、左投左打=は十日の神宮野球大会(神宮)決勝戦が終ったあと「プロでやってみたい」とプロ入りの意思を表明した。十一日、名古屋へ帰ったあと中京大・滝野部長(監督兼任)母校の三重高・梅村校長、三重県南牟婁郡御浜町に住む両親と相談したうえで最終的な態度をきめる。なお、大洋は森代表と宮崎スカウト部長が試合前、中京大・滝監督に指名のあいさつ。滝監督には「拓殖銀行に就職が内定しているので」と断られたが「本人はプロでやりたい気持ちがあるようだ」とあくまで獲得に全力をつくすことになった。
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