1962年
大毎・阪急戦で、二十六日契約したばかりの大毎マニー投手が初登板した。四回三浦に代わって出た同投手はレインズを三振させたあと中田に初球を左翼席ホーマー、太田にも左翼線二塁打された。七回まで四イニングを投げたが、毎回走者を出すピッチングだった。奇跡を呼ぶ男(永田オーナー)にしては、たよりないというのがスタンドのおおかたの声だった。
マニー投手「第一ゲームなので思うように投げられなかった。こんどはもっといいピッチングをお見せする。中田に打たれたのは高目にはいったスライダーだ。スライダーのほかにはシンカーとナチュラルにシュートする球を投げた。阪急はいいチームだ」
杉下コーチ「まだ完調ではない。調子がよくないので第一ゲームでアガったなんていってるんだろう。しかしもう少しスピードはある投手だ。シンカーと自然にシュートする球が武器だ」
大毎・阪急戦で、二十六日契約したばかりの大毎マニー投手が初登板した。四回三浦に代わって出た同投手はレインズを三振させたあと中田に初球を左翼席ホーマー、太田にも左翼線二塁打された。七回まで四イニングを投げたが、毎回走者を出すピッチングだった。奇跡を呼ぶ男(永田オーナー)にしては、たよりないというのがスタンドのおおかたの声だった。
マニー投手「第一ゲームなので思うように投げられなかった。こんどはもっといいピッチングをお見せする。中田に打たれたのは高目にはいったスライダーだ。スライダーのほかにはシンカーとナチュラルにシュートする球を投げた。阪急はいいチームだ」
杉下コーチ「まだ完調ではない。調子がよくないので第一ゲームでアガったなんていってるんだろう。しかしもう少しスピードはある投手だ。シンカーと自然にシュートする球が武器だ」