プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

マンコビッチ

2017-01-26 23:09:37 | 日記
1962年

大毎・阪急戦で、二十六日契約したばかりの大毎マニー投手が初登板した。四回三浦に代わって出た同投手はレインズを三振させたあと中田に初球を左翼席ホーマー、太田にも左翼線二塁打された。七回まで四イニングを投げたが、毎回走者を出すピッチングだった。奇跡を呼ぶ男(永田オーナー)にしては、たよりないというのがスタンドのおおかたの声だった。

マニー投手「第一ゲームなので思うように投げられなかった。こんどはもっといいピッチングをお見せする。中田に打たれたのは高目にはいったスライダーだ。スライダーのほかにはシンカーとナチュラルにシュートする球を投げた。阪急はいいチームだ」

杉下コーチ「まだ完調ではない。調子がよくないので第一ゲームでアガったなんていってるんだろう。しかしもう少しスピードはある投手だ。シンカーと自然にシュートする球が武器だ」
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堀本律雄

2017-01-26 21:55:40 | 日記
1963年

堀本が投げると奇妙に大毎は点をとらない。「タイムリー・エラーはでるし、小野が投げるとよく点をとる。ワシのときはどうして点をとってくれへんのやろ、と堀本は泣いとったよ」試合前こういっていた本堂監督は二回にイヤな予感がしたそうだ。一回三安打しながら無得点。そしてすぐ高井良のエラーがでた。堀本がチラリとベンチをのぞきこんだときやはり同じ予感があったそうだ。「堀本がワシの顔みたのは知っていた。だからすぐ高井良をかえた」本堂監督のこの心づかいを堀本もよく知っている。最後の打者張本から二つ目の三振をとってベンチに戻ってきた堀本は本堂監督に「ありがとうございます」まるでルーキーのようにていねいにお礼の言葉をのべた。ていねいな言葉といえば堀本は報道陣に対しても妙にルーキーくさい応対ぶり。「四回張本を歩かせたときは1点差ですし、最初から勝負するつもりはなかった。前半はラクに投げられた。七回が苦しかったけれど・・・。張本を三振させた球?内角の直球です。きょうは球に伸びがあったですね。吉田(勝)を三振させたのはドロップ。きょうの東映はどうもおかしかったですね。迫力がなかった」こんなぐあいである。堀本らしい威勢のいい言葉がでてこない。試合前もいまはまだ使っていない酸素ボンベのそばにボンヤリすわっていた。ロッカー・ルームでもほとんど仲間としゃべらない。「いま何時?」六時過ぎとこたえるとグローブをもってだまってブルペンへいった。堀本の負けずぎらいは南海戦でしたたか打たれたとき「こんどはハドリや野村の顔にぶつけたるワ」と真っ赤な顔で語ったことでもわかる。堀本がいまでも酒をたちつづけ、練習が休みでも東京球場でひとり汗を流していることは「なんとか早く5、6点とってやりたい」というナインの声を生んだ。勝ちたい気持ちが堀本を無口にしたようだ。だから、こんどは東映が好調のときに勝ってやる?という質問がでたとき「なんでも勝ちゃええやないか」堀本は大きな目玉をむいてこう答えた。佐々木信也氏は「巨人と一昨年ベロビーチにいったとき、堀本の内角球をド軍のオルストン監督はスニーキー(すうっとしのびこんでくる球)で打ちにくいといっていたが、東映打者はこのスニーキーにやられた。しかし伸びがあった。カーブもコースいっぱいにコントロールされていた」と95点の採点。本堂監督は「2ストライクとってからのピッチングに不安がない。実にうまい。堀本のツメのアカでものませてあの投球術を若生や西の身につけさせたい」とベタぼめ。もうひとつ、ゴンドラ・シートで観戦の永田会長は大きくうなずいたり、白い歯をみせたり忙しいことだった。
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鈴木隆

2017-01-26 20:46:38 | 日記
1960年

開幕以来不調に悩んでいた鈴木が今季初の1勝を巨人からおさめた。投げては5安打散発に押えてシャットアウト、打っては先制打と追加点のホームラン、投打にわたる大活躍だった。五回右翼席に打ち込んだホームランはプロ入り三年目の鈴木自身の初ホーマーであった。巨人はこの鈴木一人に振り回された形で、三塁にまで走者を送れなかった。三原監督の喜びはひとしおであった。ただひとこと「鈴木がよくやった」というだけ。風向きを考えてカーブをよく使った。それにうまくタイミングをはずしたというのが成功した原因だそうだ。女房役の土井は鈴木は三回まであまりよくなかった。四回あたりからよくなった。八、九回ちょっとへばったようだが、なかなかよかったとそのピッチングをほめていた。巨人戦になると土井さんとピッタリ息が合うのですよ。あの人の思うとおりに投げていれば、間違いないですねとことばもはずむ。そしてここまで投げたのは自信ですよ。ぼくは巨人には絶対の自信をもっていますからね。まったく鈴木の巨人に対する自信というものは恐ろしいほどだ。鈴木の異名は「巨人ごろし」まったくこの日の鈴木にとっては得意の日であった。
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小畑正治

2017-01-26 20:07:02 | 日記
1955年

反撃を期する南海の先陣となった小畑は強打の巨人を相手に実にあっぱれの快投をやってのけた。八回半ばで中村の救援を受けはしたが打撃の虫川上を始め、ひとくせも、ふたくせもある巨人の打者をして困惑焦燥に追い込んで一歩も寄せつけなかった。でかしたり小畑。冒頭南村に四球を与えて前途多難を思わせたが、平井を投ゴロに打ち取って1-6-3の併殺に退けた。小畑にとってこれが唯一つのピンチだった。二回先頭の川上を三振に切って落としたのに勇気百倍、以後中村と交代するまで与えた安打わずかに2本、与えた安打わずかに2本、与えた四球こそ五つで、やや多きを数えたが、この適度の荒れがかえって打気満々の巨人打者の呼吸を乱す要因ともなった。ことにもっとも効果的であったのは内角に鋭く落ちるシュートで、これには巨人はほとほと音をあげたようである。外角を襲った鋭角的なドロップの切れも申し分なかった。ボディ・スウィングから投球完了までが鋭く速いという独自のフォームが成功の一因ともなった。この点、フォームは異なるが阪神の西村とよく似ている。ただこの一投のみをもって今後のゲームに絶対安全のレッテルをはるのは危険であろう。この日は荒れが成功したが、これがいつも通用すると思うのは早計だ。きょうはのびのびと投げられた。監督からは楽な気持ちで投げろといわれた意外は別に特別の指示はなかったと記者連中にもみくちゃにされながらぼつぼつと語る彼はまだ紅潮の少年。
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小川康雄

2017-01-26 19:45:26 | 日記
1961年

香椎で行われている西鉄の練習に、小川康雄捕手=(19)=が加わっている。小川捕手は昨年菊池内野手とともに東北高から入団した二年生だが、昨年秋の健康診断で肺浸潤と診断され、昨年十二月からことしの四月まで専大国立病院に入院していた。そのご自宅療養にきりかえ静養していたところ、完全に回復したのでかけつけたもの。一年前とは見違えるばかりにふとり、元気をとりもどしている。聞いてみると当時は66㌔、いまは77㌔もあるそうだ。「もう飛んでもはねてもなんともない」という同選手は、他の選手たちと同じような練習。むしろ「オレはいまチームでビリケツです。十カ月間のブランクは大きい」と人並み以上に真剣な表情でボールを追い、バットを振っている。
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高山邦男

2017-01-26 19:21:51 | 日記
1955年

両チームを合わせて10本の長打が飛出すという打撃戦に終始した。このゲームも長打力の上回った中日が、後半大洋を大きく引き離してこの対戦18連勝を飾った。初回二死後西沢、杉山の連続二塁打で1点、二回には牧野が中堅左を破る二塁打を放ったあと河合の遊撃ゴロの後逸で1点を追加した。大洋の先発大石はスピードもなくいずれもボールが高目に入り過ぎていた。大洋は高山の外角低目に決るシンカー気味のボールと手元に食い込むシュートに手をやいて一、二回は凡退、三回一死後、引地死球のあと友川が内角球を右翼線に二塁打、そのあと目時の遊撃内野安打でこの回2点を返し試合を選出しに戻した。しかし中日は五回本多が中日五本目の二塁打を右翼線に放ったあと杉山が2-1後外角寄りの高目の好球を中堅越しスコアボードに直接当てる三百八十フィートの大本塁打を放ち2点六回には2四球と井上の中堅二塁打を含む3長短打を続投の大石に浴びせて決定的な4点をあげ試合を決めた。大洋は五回二塁打の友川を目時の左前打で還し1点を加点したのみで、六回から石川緑に切りかえられ連敗した。
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