1960年
大毎は投手陣強化をはかって東映から西田の移籍補強に成功した。ところが首、足の故障から二軍生活を続け、もっぱら治療に専念していた。その西田が二年ぶりにマウンドに立った。試合前ブルペンのピッチングに目をやってみると、ゆっくりとしたペースで、長い時間(およそ二十分)をかけウオームアップしていた。普通の投手なら十ー十五分くらいのところである。本来のピッチングを考え出しながら、やっているようにもみえた。速い球はほとんど投げてなく、もっぱらコーナーにボールを集め、肩をあたためているふうであった。プレーボールとなったが、案にたがわずスピードボールはなかった。ところが打者一巡の三回まで1本外飛があっただけで、あとはみな内野ゴロであった。カーブ、シュート、シンカーとことごとくボールを低目に集めコーナーをうまくついていた。とくにカーブを内外角にうまくコントロールしていたのが目立った。速球がないためチェンジアップを勝負に使って打者のタイミングをはずしていた。四、五、七、八回安打を許したが、走者を出してからのピッチングが実にうまかった。間の取り方、打者とのかけ引きもなかなか堂にいっていた。二年間もマウンドを離れるとカンを取り戻すのに相当苦労するものだが、西田の場合、立派に元に戻っていた。前半、味方の5点リードで楽な気持ちで投げられたのも好投できた原因の一つだが、終始慎重に自己のペースで投げたことが完投できた最大の原因だと思う。いま一つスピードが身につけばオニに金棒となる。投球数109球だったが、九回完投では普通だと思う。
今季初登板のビル西田が完投勝利を飾った。報道陣に「おめでとうだネ」と自分から話しだし「シュートとスロードロップがよかった。きのう登板を命じられたが完投できるとは思わなかった。四、五回なら押えられると思っていたが・・・。後半は疲れた」と、かたことの日本語でたて続けにしゃべる。大毎の安部社長、和田代表もわざわざダッグアウトまできて握手するという喜び方。
大毎は投手陣強化をはかって東映から西田の移籍補強に成功した。ところが首、足の故障から二軍生活を続け、もっぱら治療に専念していた。その西田が二年ぶりにマウンドに立った。試合前ブルペンのピッチングに目をやってみると、ゆっくりとしたペースで、長い時間(およそ二十分)をかけウオームアップしていた。普通の投手なら十ー十五分くらいのところである。本来のピッチングを考え出しながら、やっているようにもみえた。速い球はほとんど投げてなく、もっぱらコーナーにボールを集め、肩をあたためているふうであった。プレーボールとなったが、案にたがわずスピードボールはなかった。ところが打者一巡の三回まで1本外飛があっただけで、あとはみな内野ゴロであった。カーブ、シュート、シンカーとことごとくボールを低目に集めコーナーをうまくついていた。とくにカーブを内外角にうまくコントロールしていたのが目立った。速球がないためチェンジアップを勝負に使って打者のタイミングをはずしていた。四、五、七、八回安打を許したが、走者を出してからのピッチングが実にうまかった。間の取り方、打者とのかけ引きもなかなか堂にいっていた。二年間もマウンドを離れるとカンを取り戻すのに相当苦労するものだが、西田の場合、立派に元に戻っていた。前半、味方の5点リードで楽な気持ちで投げられたのも好投できた原因の一つだが、終始慎重に自己のペースで投げたことが完投できた最大の原因だと思う。いま一つスピードが身につけばオニに金棒となる。投球数109球だったが、九回完投では普通だと思う。
今季初登板のビル西田が完投勝利を飾った。報道陣に「おめでとうだネ」と自分から話しだし「シュートとスロードロップがよかった。きのう登板を命じられたが完投できるとは思わなかった。四、五回なら押えられると思っていたが・・・。後半は疲れた」と、かたことの日本語でたて続けにしゃべる。大毎の安部社長、和田代表もわざわざダッグアウトまできて握手するという喜び方。