プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

土屋正孝

2017-01-15 21:23:06 | 日記
1961年

開幕第一日の巨人ー中日戦で中日の与那嶺がやった対巨人報復? ホームランの第二号を今度は国鉄の土屋がやった。第二戦の四回裏、堀本からたたいた右越へ勝ちこし2ランだ。いつものポーカー・フェース、土屋はゆっくりホームインした。肉がついて巨人時代より一まわり大きくなった感じだ。「ホリさん(堀本のこと)に打たせてもらったようなものですよ。真ん中からやや外角より、ベルトのあたりの直球だった。ホリさんはスピードはあったが本調子じゃないようですね。普通ならあんなものじゃないですよ」土屋は巨人の選手のことは決して悪くいわない。「巨人の選手とはいまでも仲がよいですよ。上の人(幹部)とも悪いということはありませんがね。ぼくは別に巨人にいるときエライ人に話をしかけなかったものだから、変にとられちゃったんですよ。しかし巨人とゲームをするのはイヤですね。紅白試合というより、なにか同士うちをしているようなぐあいでね。きょうのホームランも打ったのはうれしいが、ホリさんから打ったというのはどうも・・・」と複雑な表情。土屋と堀本はたいへん仲がよく、敵、味方になったいまでもいっしょに出かけたりしているのだからなおさら後味がよくないらしい。昨年暮れ土居との交換トレードで国鉄に移った。巨人が土屋のあとの穴うめに悩みぬいている。この日は広岡を二塁、宮本を三塁、長島を遊撃にまわすといった苦しい内野を編成しているとき、土屋は国鉄の二塁を楽々とこなし三割五分六厘の高打率でベストテンの上位にすわっているのは皮肉な話だ。「川上さんに復しゅうしたいなんて気持ちで打ったんじゃないですよ」土屋は何度目か言葉をくり返してフロにはいりにいった。
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大和田明

2017-01-15 20:40:39 | 日記
1966年

豪放な外観に似合わず、神経はこまかい。悪くいえば気が小さいともいえる。前日(二十五日)九回二死満塁の逆転機にそれがでた。2-2からの高めのとんでもないボールをかる振り。電気にでもかかったようにコチコチで顔はそう白だった。一番を打っているせいもあるが、四ホーマーで6打点しかあげていないのは、チャンスに弱い証拠。「きのうは勝たねばいかんという気持ちだけが先走って、あんなボール球を振ってしまった。自分でも恥ずかしかった。きょうはもうどうにでもなれとやけくそだった。それがよかったんだ。四回のヒット、六回のホームランはどちらもシュートだった」四回は2点につながる口火の右前安打。六回の左越本塁打はダメ押し。今季初の二試合連続ホーマーだった。「それにしても六回の河村はいい球を投げてくれたもんだ。切れのよくないシュートがスーッとインコースにはいってきた。シュートをねらっていたかって?いまのオレはねらって打てる状態じゃないよ」六回、打席にはいる前、ウインドブレーカーのポケットからメモ用紙をそっととり出し、目を通した。-中日・河村、武器・カーブ、シュート。メモ用紙には全球団の投手のクセや球種が書き込んである。「メモは別にどうってことないんだ。忘れっぽいぼくだからあんなものをもっているが、記憶力のいい人にはいらないものだ」もともと中日には強い。昨年の打率三割二分一厘はチーム一。ことしも二十七打数十安打と四割近いアベレージをマークしている。「ことしはなんとしても三割をマークしないとね。昨年みたいに前半よくてもしりすぼみじゃつまらん(二割三分八厘)七日に父親大吉さんが老衰でなくなるという不幸があり、この間の欠場が好調のバッティングをくずした。四割台をマークしていた打率もグングンさがって現在三割一分九厘。「ことしはチームの調子もいいし、なんとかしてこのまま突っ走りAクラス入りを果たしたい」バット・ケースを右肩にかけてバスに急ぐ大和田にファンの声がとんだ。「いいぞ、よくやった」大和田は手をあげてこたえた。大吉さんがなくなって以来初めて見せた笑顔だった。
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若生智男

2017-01-15 20:26:19 | 日記
1961年

7-3で迎えた九回裏、大洋は一死満塁で近藤(和)。スタンドは「ホームラン、ホームラン」と大騒ぎだ。若生はそれまで四回から3安打しか与えていない。9球目、近藤(和)の一打は若生のホオをかすめて中前へとんだ。「いかん、いかん。ぜんぜんいかん」試合後若生は「すごく速かったぞ」と僚友に肩をたたかれてもニキビ顔をふせて「いかん」を連発した。「小学生のときから世の中で一番きらいなのが勉強だった」という若生、ことしのキャンプでは「勉強、勉強」とはりきっていた。「これから勉強しなければならないのはテクニックと投手守備の練習。これはただからだを動かすだけでなく、頭を使わなくちゃダメだもんね」というわけだ。六回にも一ー遊ー投とみごとな併殺をみせ、その勉強ぶりの一端をみせたが、まずかったのが最後の場面。「投手ライナー、とれんことないのにな」と打たれたことより、とれなかったことが残念そう。「いかん、いかん」のもう一つの理由は「きょうは直球ばかりでどれくらいいけるかやってみたんだ。だけど八、九回になったらくたびれてしまって・・・。つくづくカーブをまじえなければいかんと思ったよ」ということだ。すぐとなりで「風が強すぎて若生君の一番いいところをみせられなかったね」と田中コーチが同情しても、さかんに「直球で最後まで押し通せなかったのは残念だ」とくやしがる。若生はオープン戦でチーム一の最多登板数(10試合)最多勝利数(6勝)それでも「いくらオープン戦で調子がよくたってなんにもならない。あと一週間でどう調子が変わるかだれもわかっちゃいないんだから」と別にうれしそうな顔もみせなかった。
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中村稔

2017-01-15 17:36:16 | 日記
1961年

別所コーチにだきかかえられるようにしてベンチにひきあげてきた中村(稔)はメガネをはずしごきげんだ。「先発ですか? 久しぶりですね。それはリリーフより先発の方がいいですよ。でもきょうは大事な試合だから慎重に投げました」-シャットアウトおしかったね。「河野、中には真ん中にはいって打たれてしまいました。9回投げるうちにそんなこともありますよ。いつもいいコースにボールがいくとは限りませんからね」大してくやしそうでもない。-中日からはじめての勝ち星だね。「みっともないから中日から初白星なんて大きく書かないでくださいよ。別にニガ手というんじゃないけど、ただなんとなく・・・」あとは口の中で消えてしまった。別所コーチに中村(稔)のピッチングについて聞いてみると「中村(稔)が好投できたのはシュートがよかったからですな。どうも中日が外角球をねらってきているようなので途中から森にいってピッチングをかえさせました。連投ですか。いやあれは少々のことではバテんです。みかけよりシンはしっかりしておりますよ。昔、マラソンの選手だったくらいだから。それでは・・・」と報道陣を軽くかわしてフロ場に向かった。
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近藤和彦

2017-01-15 17:34:33 | 日記
1966年

逆転とダメ押しの2ラン。これを半分いねむりしながら? 打った。「ダメだね。デー・ゲームってヤツは。すっかりナイター用になってしまったからだが、どうしてもうまく動かないんだ。試合は終わったけど、オレの目はまださめてないよ」大洋の宿舎は下関からまたバスで一時間近くかかる川棚温泉にある。当然それだけ球場への出発も早くなり、いつまでもフトンにしがみついている選手はたたき起こされることになる。この日のヒーローの口から真っ先にとび出した言葉が「眠たいよ」というのもうなずける。しかし、これはテレ屋の近藤和らしい冗談。ホームランはねらって打ったと、はっきりいった。「一本目は内角高めのまっすぐ。とにかく引っぱってやろうと思い切り振ったんだ。二本目はもっとねらったね。低めのボールだったが案外とんではいっちゃった」八回のダメ押し2ランはたしかにストライクではなかった。捕手の久保があきれたように目を丸くしていたのがなによりの証拠。珍しく強引な近藤和の勝利だった。しかし、六回の逆転ホームランは捕手の田中とちょっとしたかけひきがあったそうだ。右翼へ引っぱろうとしているのをみぬいた田中が「右翼へ打つんだね」ときいたとき、近藤和は「打たせてどっちへとぶかしらべてみろよ」といいながら「これは内角へ投げてファウルか、つまった当たりにとる気だな」と敵の手をよみかえしたそうだ。さる十日の阪神戦(川崎)ではタイムがかかった直後に左翼の金網に当る流し打ち。サヨナラ・ホームランの大殊勲をわずかな差で逃がしている。「きょうはそのウップンばらし?」ときかれると「あのときはあのとき。もうすっかり忘れてしまったね」とサバサバした口調でいった。過去八シーズンでベスト・テンに六度もはいっているがちょっと意外なことが二つある。それは広島戦で案外打っていないことと、ホームランが毎年ひとケタ(昨年は九本)であることだ。だが、ことしはホームランもすでに四本、それも全部広島戦でとばした。打率も広島戦はこれまでは八試合で四十打数十二安打(四割)だ。「ことしは全チームからかせがしてもらってひと旗あげにゃ」と笑う近藤和は、明るい日ざしがまぶしそうだった。
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山崎正之

2017-01-15 16:34:15 | 日記
1961年

「ピッチャー山崎、背番号17あのアナウンス、なんともいえないね。なんど聞いてもいいよ。とくにランナーをおいてのリリーフ。これもゴキゲンだね」前夜はイニングのはじめの出番だったが、この夜は一回無死で走者は三塁。「スタンドの視線はみんなボクに集まっている。あの感じいいですね。男の花道ですよ」役者のような顔で山崎は出番の感想をいう。「しかしまずかったですよ。きょうはいきなりガチンでしょう」ガチンとは森にくった左中間ホーマー。プロのユニホームを着てはじめて経験したホーマーの洗礼だ。「別にどうということないね。全力投球した球じゃないもの。スライダーのすっぽぬけだ。きょうはすっぽぬけが五個くらいあったかな。まあ打ってあたりまえといえばそれまでだけどそれじゃあ森さんに失礼だ。すっぽぬけを五度投げたのにホームランしたのは森さんだけだものね。やはりすごいよ、あの人は」六大学の先輩をほめたようなけなしたような妙な口っぷりだ。ロッカーへもどると江戸っ子らしく着がえは早い。そのまま帰るのかと思ったらパンツひとつでしばらく休憩。一点差で中村(稔)にバトンタッチしたゲームの結果を気にしているようだった。しかし山崎の口からとび出したことばはまるで逆。「ゲーム?別に。もうぼくは全力をつくして投げたんだからあとはなりゆきまかせ」それでもときどき遠くに聞こえるスタンドのさわめきに耳をすます。ほとんどが一塁側の拍手ばかりだったので山崎はゆうゆうとしていた。ゲームが終る。山崎は急にソワソワし出した。ナインがロッカーへ引きあげてくるとパンツひとつであちこちを歩く。「ナイス・ピッチング」といわれるたびにからだをちぢめ両手で顔をかかえるようにして逃げまわった。前夜につづいてリリーフでサッと二勝をあげたのがてれくさかったらしい。巨人の放言屋堀本第二世などと心臓男のようにいわれている山崎だが、意外にてれ屋のようだ。
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平岩嗣朗

2017-01-15 15:10:59 | 日記
1961年

「おいヒラ、一発ねらえよ」九回表この回に代わった秋山から鵜飼が四球を選ぶと二塁コーチス・ボックスから砂押監督がとんできて平岩に耳うちした。「秋山さんは2球つづけてカーブを投げてきたから、こんどはシュートだろうと思った。カウントも1-1だし、低目をねらっていたんです。バットを短くもって外角球はすてて近い球だけを持っていたらと思うとおり真ん中にきましたよ。カーブでしたがね」と今季はじめてのホームランを説明した。根来が負傷するまではそのかげにかくれていつもブルペン捕手だった。目をつぶっていても投手の球がとれるまでに球質をおぼえた平岩には強みがある。だから森滝にしても北川にしても信頼してサインはすべて平岩まかせだそうだ。立命大時代には難波(巨人)とホームランを争ったこともあるロング・ヒッター。「とにかく一発が勝負ですからね。ここいらで一本ホームランでもしておかないと実績がつきませんよ、いまのチャンスになんとかできるかぎりのことをやってみたいと思っている」という平岩をバンザイで迎えた平岩をバンザイで迎えた小坂マネが「ふだんの努力が実った、実った」と目をほそめて喜んでいた。
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ディサ

2017-01-15 13:58:39 | 日記
1961年

「ベリー・タイヤード(大変疲れた)」しかしニコニコあいそのいい顔は疲れたようすもみえない。濃い太いマユ、ホリの深い目。鼻のあたまがニキビでちょっと赤くなっている。「今夜のピッチングはいままでのなかでいちばんいい出来だったと思う。速球がよかった」そこへ通訳もかねる田中コーチが「速球にコントロールがあったのがよかったですね。それにいままではあまりついてなかった。今夜はその点よかったですよ。ヒット何本打たれました?」「五本です」それを田中コーチの口からきくよりはやく、ディサは「打たれた安打の数より勝ったことがいちばん大事です」これには田中コーチも「なるほど、なるほど」一本とられた形。愛称ディック。醍醐はディックのピッチングについて「ブルペンでは非常にいいピッチングをするんですよ。ところがシーズンはじめはマウンドへ上がると、ブルペンの調子の半分も出なかった。最近だいぶ落ちついてきて、今夜は内外角のいいところへ球がきまったけれど本調子にはあと一息ですね」そして田中コーチは今夜のディサにこんな注文をしていた。「とにかく自信をもつことですよ。ディサはとてもいいシュートをもっているんです。そりゃすごいですよ。ところが試合になって右打者が出るとぶっつけるんじゃないかとこわくてほうれないらしい。それが惜しいです」シーズンはじめは西田の家に下宿していた。その後西田の家の近くのアパートに移ったが、まだなにかと西田の世話になっている。この二十三日が誕生日。あと一週間で二十歳になる。

投球数118。いままで四球を出して自滅していたディサにしては少ない。ストレートのコントロールがよくコーナーにきまった。売りものの速球もたしかに速く、重い。ただしカーブはブレーキがあまく、コントロールもよくない。まだ若いんだし、暑いところで育った投手だから夏場にむかいゲームになれればなれるほど大毎の戦力となるだろう。
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ワード

2017-01-15 13:17:39 | 日記
1966年

最近のワードはすっかり明るくなった。開幕から調子が出ず低打率に悩んでいたころとは、気持ちのうえでもずいぶん違ってきた。「日本の野球に慣れていないのでオドオドしていたんだ。もう打席にはいっても精神的にずっと余裕が出てきた」のが好調の原因。きっかけは二十五日の対大洋戦だった。この日の4打数2安打を入れて17打数8安打、打率四割七分で一気にアベレージを二割五分一厘に引きあげた。「いままでいろんなことをいわれたが、いまに投手に慣れてくれば絶対に打てるという自信はあった」Dクラスのネプラスカに入団した九年前に、満塁ホーマーを二度打ってから、毎年一本はたいていいるという。「いぜんは少し打てないとすぐかえられた。だが最近はよく試合に出してくれるので、投手の球種を覚えられる。バットを振るのがたのしみなんだ。満塁になったときもただヒットだけをねらっていた。一発をねらうとすぐヘッドアップして、肩が早く開いてしまうので頭の中でヒットを打つんだといいきかせていたのがよかったね。打ったのはシュートだ」打たれた竜も、ワードのバッティングがよくなったのにはびっくりしていた。「雨が指がすべって、スライダーが真ん中にはいってしまった。それにしてもよくバットが振れているね。開幕のころとは雲泥の差だ」とシタをまいた。打った方はシュートといい、打たれた竜はスライダーという。全く逆なのは妙だが、これまでワードの打った9ホーマーはほとんどがストレート。シュートや変化の大きいカーブなどは打っていない。きゃしゃなからだが、力は抜群。わずか二ヶ月で10ホーマー。マーシャルのもつ31号に挑戦するのも夢ではなさそうだが、ワードは本塁打のことをあまり問題にしていない。「本塁打はらくな気持ちでミートすれば必ず出る。それよりヒットを打って打率を二割八分ぐらいまでにもっていかないと出場できなくなるからね」これまでのヒットは六、七番の気楽な打順で打っている。五番をまかされた四試合では12打数ノーヒットで打てないとかえられるといった気持ちがわざわいしていた。この日は五番での初安打。「どこを打ってもさしてかわりはないが、いままではかたくなりすぎた。ちょうどウチの選手が対巨人戦になると気持ちが萎縮するのと同じだ。こんどの巨人戦は大きなヤマだね。堀内、城之内らが好調らしいけど、こんごは必ず打ってみせる」巨人戦は、開幕直後の一、二回戦で五番にあげられながら無安打に終わったため先発からはずされた、うらみ重なるカードだ。
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伊藤芳明

2017-01-15 12:48:53 | 日記
1963年

首すじにたまった汗がカクテル光線にキラキラ光った。4勝目、二試合連続で今シーズン三度目の完封勝ち(リーグ最高)した伊藤は差し出される何本もの太い腕の中で笑っていた。「調子がよかったものね。三振も初めからずいぶんとったけど、五回にあきらめちゃったよ。北さん(北川)に注意されたんだ。ガラじゃないし、年を考えろだってさ。ごもっともさまで・・・」底抜けに明るい。好調伊藤は、ここでも自分のペースで話を進める。聞かれるままに自分のピッチングもていねいに解剖してみせた。「このごろコントロールが非常にいいんだ。それにスピードがある。それも投げれば投げるほど出るといったぐあい。金沢(十五日、広島戦)のとき最高だったと思ったけど、きょうの方がもっとよかったものね。それにカーブやドロップがストライクかボールかというきわどいコースへきまっているのもいいんじゃないかな。落ちるシュートだってそうだ。だから打たれたってそうはとばないよ。でもいまの阪神は元気がなさすぎるね」自分の左腕をすっかり信頼し切っている。「この自信こそオッチャン(伊藤)好調の秘密だ」といいきる人もある。ピッチング担当の中尾コーチだ。「たしかにオッチャンはスピードが一段とついたし、カーブやドロップのコントロールがとてもよくなっている。しかしそんなことよりいざマウンドを頼んたときにこれならいける。絶対もらったという気持ちに心のそこからなれるということが大きいのだ。それにローテーションどおりに使えばオッチャンほど調子のもっていき方のうまい投手はみあたらないよ」ピッチング・コーチに真顔でほめられた伊藤はこんなことをいってテレた。「調子をくずさないのは規則正しい生活をしているからでしょう。エッ?もちろん結婚してからですよ。へへへ」しかし好調の原因はほかにもある、といった。それは馬皮ボールだ。「いままでの牛皮だとどんなに砂をこねつけてすべっちゃうんだけど、馬皮はその点実にしっくりいくんだ。みんななんとかいっているけど、ぼくは馬皮がすきだよ。採用してくださったコミッショナーさまさまですよ」馬皮ボールはよくとぶこんな定評があるのも調子のいい伊藤には少しも気にならないようだ。女房役の盛りも快調をすなおに認め「このごろではあまりよすぎてリードも定石どおりでOK。ぜんぜん頭をつかわせてくれないんだ」とボヤいていた。オッチャンは見方まで悩ませているらしい。
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バウアー

2017-01-15 12:34:46 | 日記
1961年

「バウアーはへばってきたので・・」と水原監督がいっている前をバウアーはケロリとした表情で通りベンチを出た。ネット裏の通路で待っていたファンにサイン帳を突きつけられたバウアーはごきげんでサインしたあと「まだ日本の野球になれていないせいか調子が出ない。ただ相手がボトラだったし、第一試合ミケンズに負けているだけに、ぼくは敗戦投手になりたくなかった」陸軍でアメリカン・フットボールをやっていたので肩幅がいやに広い。「完投したかったのだが思うようにはいかないものだ。こんど投げるときにはもっていいところをみせるよ」とくぼんだ目をパチパチ。「ホームランした球は?」「真ん中のスローボールだ。軽く振ったらはいってしまった。ボトラがぼくの打力を知らないはずがない。あんな球を投げたら、だれでも本塁打するよ」得意そうな表情でまくしたてる。初白星より第1号ホーマーの方がうれしそうだ。ロッカーでハナ歌を歌いながらユニホームを着がえた。目下、武井のアパートに同居しているが「家かアパートをさがしているんだ。七月中旬か八月にはアリーシャ(夫人)が日本へくるのでね。もちろん子どもも一緒さ。子どもは男の子だとワイフから知らせてきた。(バウアーが来日後出産)メイバウアー・ジュニアだよ」と胸を張り、日本語で「パパさんうれしいね」とつけ加えた。1㍍83、81㌔、26歳、背番号66、右投右打。
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加藤斌

2017-01-15 12:01:10 | 日記
1963年

真っ黒に日焼けした加藤が不満顔でこういった。「入団する前は研修制度ができて時間的な余裕がもてるとよろこんでいたんですが、どうも長すぎますね」一軍出場の資格が取れるのは九月。こんなつまらない束縛はないそうだ。というのも最近ピッチングに自信をつけたからだ。中日ではシーズンはじめから一軍のふんい気を味あわせるため、新人を交代で一軍の遠征につれて歩いている。加藤も後楽園や川崎にいってきた。試合前のフリー・バッティング投手をつとめ、背広姿せゲームをみてきた。だがもう一軍のお手伝い旅行はできなくなった。杉浦監督から命令が出たからだ。「研修あけしだい、一軍で使える状態にしておくようにと、大仕事を請け負ったんですよ」と杉山二軍監督はいった。ファームの主力投手であった竹中、野口の両投手が肩を故障したこともその登板数をふやす結果になった。「このところほとんど毎試合登板で疲れると思う。しかし、試合と試合との間隔がかなりあり、休養も取れる。暑いうちにスタミナをつけさせれば秋口にはいって調整はかんたんだ」杉山二軍監督は懸命だが、本人は案外気楽なもの。「この前(十七日)の対阪急戦で九回に一、三塁のピンチがあったんです。代打に一軍の石井(晶)さんが出て、ベンチでは敬遠しろといったんですが、ぼくは強引に勝負してサヨナラ・ヒットを打たれちゃった」とニヤニヤ笑った。このときはよほどしかられたらしい。シュートをきめ球に、沈む球も覚えた。だが「ウイニング・ショットを早く使いすぎて勝負球につまるんだ」(土屋コーチ)というのが現状。「一時間があがってきて持ち味が薄くなったのを、五月になってまたなおしたんだ。だからいまは腕が少し縮んでいるが、これぐらいならまずいいだろう」義兄である土屋コーチも人一倍の気づかい方だ。午前十一時起床、練習を終わると合宿のホールで一日中ブラブラすごす。杉山二軍監督のきびしい育成にまいるということもないようだ。勝ち星の内容もいい。5勝中四試合完投で、そのうちシャットアウト勝ちが三つ。「いままではバックがエラーしたり、ボーン・ヘッドが出て点をとられたりするとカッとなった。しかしもうそんなことより、つぎの打者をいかに料理するかに全力をあげます」という。それも捕手のサインにしたがって自分でくふうしていくそうだ。中日にとって加藤は終盤の追い込みにぜひ必要な投手である。
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高野一彦

2017-01-15 11:46:01 | 日記
1961年

七回を投げ終えると高野は合宿へ帰った。スタンドの歓声は東映の追加点を物語っている。一年と二か月ぶりの勝利を心ゆくまで味わうため、高野はグラウンドをとび出したのかもしれない。うつむいたまま合宿にはった高野の前によく冷えた2本のビールが出された。「おめでとう」合宿のおばさんの言葉にはじめて笑顔をみせた高野は、食堂のイスにどっかと腰をおろし、ビンごとそのビールを流し込んだ。「ほんとうは、おとといの阪急戦に投げる予定だったのですが二日ほどくずれてしまって」吹き出る汗をぬぐいもせず、食堂のすみに置かれたテレビに視線を向ける。テレビが「高野はよくがんばりましたね。なにしろ一時は再起不能なんていわれてましたが・・・」と放送するのをきいている彼の表情は複雑だ。「立ち上がりはやはり苦しかったですよ。マウンドでどうしようかと思いました。しかし勝てば一年二ヶ月の苦労も長いようには感じません」ビール1本がみごとにからになった。「早くおフロにはいって・・・。肩をひやしてはダメですよ」合宿のおばさんのことばにうなずきながら「中盤から速球がよかったでしょう。あとはどうもよくなかった。球が全然生きないんですよ。登板がきまっていたので、試合前十二分にトレーニングをしておいたんだが」と首をかしげる。それでもうれしさに笑いをかくし切れないのか、すぐ目を細めて「ほんとうはこの前(27日の対大毎戦)に勝ちたかったのだが、今夜はバックがよく打って助けてくれましたからね。でも勝ちは勝ちですよ」としゃべりつづけた。春の伊東キャンプで肩を痛め「野球から足を洗おう」と深刻な表情をしていたときとは別人のような高野だ。再起の足がかりとして、いままで住んでいた駒沢近くの下宿をはなれ、再び合宿住まいにもどっている高野は鼻ウタを歌いながら自室にもどるとタオルを腰に巻きつけ、一目散にフロ場へとび込んでいった。
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ミケンズ

2017-01-15 11:45:03 | 日記
1961年

珍しく主審に文句をつけなかったミケンズが、十回裏一死後代打荒川が四球に出ると最後の外角きわどい球に対して猛烈にくってかかった。ホームベースの外角へんをスパイクでおさえて「ここに球が通った」とものすごいけんまく。マウンドにもどるとブルームが寄ってきて、2人でガムをクチャクチャかみながらわめきちらす。まるでプロレスの悪役コンビという感じだ。だが田宮を二ゴロにしとめてベンチに帰るとうってかわって上きげん。効果的だったのは「シンカー」とちょうど五日前のオールスター戦で優秀投手に選ばれたときと同じ答え。大毎のわずかなチャンス、八回の無死一塁も、十回の二死一、二塁もともに打者は田宮だった。オールスターでの殊勲選手同士の顔合わせ。「田宮?にが手じゃない。アメリカにはあれぐらいの打者たくさんいる」とミケンズは大みえを切った。それでも悪いと思ったのか、こんどはパ・リーグをほめだした。「いま日本でいいバッターと思うのはセではたった3人しかいない。長島と近藤(和)ソロムコだ。パには10人もいる。その中に大毎の選手が3人いる。だから強い」ミケンズはリリーフをいやがる。しかしこの日は去年まで「あいつの救援はいやだ」といって話題をまいたボトラのリリーフ。ミケンズはそれをきかれると、からだに似合わぬ小さな目をまるくして両肩をすくめ「オー」といったきりだったが、ベンチに残っていた千葉監督が助太刀した。「もう古い話はやめとけよ。それよりワシからミケンズにいってあるんだ。これから近鉄のスパートがはじまる。少しぐらい酷使するかもしれんからなって」
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山崎正之

2017-01-15 09:27:42 | 日記
1961年

ベンチ裏の通路。グラウンドでは国鉄のシート・ノックが始まったばかり。一服つけている山崎の肩を別所コーチがたたいた。「きょうは腕のみせどころだな。国鉄の三、四番はお前と同期生じゃないか。クセは十分知っているだろう。思いきっていけよ」山崎はテレくさそうに帽子に手をやりながら「はあ、はあ」とうなずく。「きょう負けたらお前の責任だぞ」ともう一度別所コーチにポンと肩をたたかれた山崎は「わかってます。あの二人だけは・・・」ここまでいってブルペンへ走った。

「山崎の身上はコントロールと心臓」という佐々木信也氏に六回クリーン・アップをかんたんに料理したところを中心に解剖してもらおう。

杉本 4球で三振。杉本はどちらかといえば内角が強いから、まず外角でストライクをとり、次にシュートを内角低目へきめて、から振りさせてから外角へ得意のスライダーを二つ。三振させた最後の球はプレートいっぱいにスライダーをきめた。バッターはプレートの左端をふんでサイドから投げられるとどうしても腰がひけがちになるものだ。

徳武 5球で三振。外角のストレートとスライダーで2-1としてから外角へスライダーのボールを投げておいてインコースの落ちるシュートで三振させた。

町田 5球で二飛。外角のストレート、外角カーブで泳がせてから内角シュートでとった。この夜はカーブにしてもシュートにしても1球もど真ん中へ投げていない。球威はそれほどないのでストレートばかり投げたのでは打たれる。だから適当にボールをまぜているが、そのまぜ方が非常にうまい。これは森の好リードによるものだろう。

最後の打者平岩を三振にとってベンチへ引きあげてきた山崎を、二十名近い報道陣がワッととりこんだ。マイクに押されてあとずさりしながら「きょうはいままででいちばんスピードがありました。でも最初は高目へ浮いてちょっと苦しかったですが・・・。後半は低目へきまりましたから」少しどもり気味、口からはアワが吹き出る。「この前の阪神戦のこと(九回にくずれる)を意識しなかった」ときかれた山崎は「ええ、すこしね。だから九回は1球1球に力がはいりました。採点ですか?夢中で投げましたからわかりません。別所さんか森さんにしてもらってください」ここではじめてタオルで汗をぬぐった。報道陣の質問は杉本、徳武のことばかり。-二人をだいぶ意識していたようだね。「いやあ・・・。二人のクセはそりゃあよく知っていますけどこちらだってそれだけ知られていますからね」-六回、杉本、徳武を三振させた球は?「・・それだけはかんべんしてください。それだけは・・・」この球がどうやら山崎の秘密兵器らしい。佐々木信也氏は「スライダーだ」といっていたが・・・。
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