プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

佐藤玖光

2017-01-24 22:27:43 | 日記
1970年

昨年暮れの第一次、第二次テストで、ともにトップの好成績。「あのテスト生は見どころがある」と、審査員の意見が一致して採用と決まった。新人とはいえ社会人生活五年を経験している。「いまさらという気もしましたが・・・何もかも清算して人生プロ野球に徹するの強い信念で西鉄入りを決意した」そうだ。だが、ポッと出のテスト生というわけではない。その素質は高校時代にも芽をもたげていた。三十八年夏の高校野球「九州工は左腕佐藤投手を擁して福岡県北予選を勝ち進む。南北のベスト8が争う県大会に出場。あと一押しで甲子園。だが、クジ運に恵まれなかった。八回まで0-0、その九回表に橋本に打たれて決勝の1点を奪われた」-相手は博多工の好投手橋本(近鉄)「橋本は近鉄でくすぶっている。できれば彼よりも早くプロで1勝したい」と佐藤は反骨精神をむき出しにする。西鉄入りまでの五年間、佐藤は東京で腕をみがいていた。ノンプロ丸井クレジットでは東映の大杉とプレーをしたこともある。林建設に移ってからは、エースとして真価を発揮した。昨年夏の都市対抗では三回戦で電電関東に惜敗したが林建設に佐藤ありの印象を強めている。「プロで投げてみたい、そう思った瞬間、西鉄のテストを受けようと決心した。このツキを逃がしたくない。ぼくにとっては死活問題です」こう言い切るプロ野球選手は、ざらにはいない。昭和二十年生まれ、二十四歳だ。
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佐藤玖光・阪口忠昭

2017-01-24 21:31:51 | 日記
1971年

三輪が左ヒザ負傷、河原は二軍落ちと、西鉄は主力投手を欠いて、ただでさえ苦しい台所はこのところの火の車。そういった中で起用された佐藤、阪口という二年目の新鋭投手が第一試合で好投。沈滞ムードの中に光明をもたらした。佐藤は7試合目の登板だったが、この日がプロ入り初の先発。三回まで好調に三人ずつで片づけたが、四回、3安打を浴びて2点を取られ降板。この日、球場入りしてから先発をいわれたという佐藤は「何回でも行けるところまで行けといわれた。三回まではカーブと落ちるシュートがよく決まったが、四回、有藤に内野安打されて力んでしまった」貴重な左腕投手だけにこれからも登板の機会はふえるだろう。「カーブなら絶対ストライクを取る自信がある。与えられたチャンスは何とか生かしたいですね」といっていた。この佐藤を救援したのが阪口。佐藤は一軍入りして一か月以上になるが、阪口は今月上旬の東京遠征のときファームから引き上げられたばかり。登板数もこの日で5試合目。4イニング投げたのは初めてのことだった。六回、バックのエラーがからんで2点を取られたが、自責点はゼロ。「打たれたのはど真ん中にはいったタマでどうも真っすぐのコントロールがよくない」といいながら「きょうのようなピッチングなら自分でも納得がいきました」181㌢81㌔という長身投手の阪口だが「ぶっつけるのがこわくてシュートを投げるのにびびってしまう」というところを見ると、気が強い方でもなさそうだ。ウエスタンリーグで4勝1敗の好成績をあげたのが認められて一軍入りしたが「やはり一軍で投げるのは楽しい。しかし一発があるだけに恐ろしい気もします」これからの課題を「下半身を鍛えることと、ストレートのコントロールをつけること」というが、将来が楽しみな本格派投手である。
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