プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

中暁生

2017-01-16 21:04:46 | 日記
1966年

綿密な中らしい計算が生んだ一撃だった。石川にパーフェクトに押えられていた前の三打席は、とにかくヒットを打つことだけを考えた。245匁(919)のバットで合わせるバッティング。「振り回してはいけない。重いバットでジャスト・ミートしなければ完全試合をやられてしまう」七回の第三打席は石川の右を抜き、右前へ抜けそうないい当たりだった。一枝の初安打でヒットを打たなければならない責任感から解放された第四打席のバットは242匁(908㌘)の軽いのに変わっていた。「ねらっていいケースだからね。でもよくとびました。ストレートかシンカーだったと思う」いつもと変わらない口調。「修平(一枝)、おまえのヒットが勝因だ。おまえのがなかったらこっちのホームランは出てこなかったんだから」と一枝をたてた。3号ホーマーは四月十九日に同じ石川から甲子園で打った。それから4号(五月二十六日)が出るまで一ケ月半近くもホームランのブランクがつづいた。右足のヒザを痛め、完調にはほど遠いコンディションだったのだ。その故障もほとんどなおり「ホームランが打てるようになったことより、足が軽くなったのがうれしい」という。「サヨナラは二本目、ミドリさん(石川)からは通算三本目」と、これまでの自分の記録がスラスラとでてくる。阪神の杉下監督は、試合前こんなことをいっていた。「中と高木守には痛い目にあわされている。きょうは高木守がケガで出ないらしいね」いやがっていた一人が欠けた分を、もう一人が十分に補う活躍を見せられた杉下監督としては、たまらない気持ちだったに違いない。
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杉山光平

2017-01-16 20:17:23 | 日記
1966年

柔和な顔、やさしい話し方。杉山光平は長いプロ野球生活からにじみ出た落ちつきにつつまれているようにみえる。だが、これほどの熱血漢はいない。ベンチからのヤジは痛烈。不本意な判定へ抗議はまるでケンカである。そんな激しい気性の男だ。九日前、田中勉にやられた完全試合の最後の打者だったことのくやしさを忘れるはずがない。2-1からの平凡な二ゴロ。杉山がそれを打った瞬間、南海にとってまたとない不名誉な記録がつくられた。この日も初打席はまた見送りの三振。だが杉山は三振を宣告されたとき「打てる」と確信したという。「田中勉はまるで別人のようだった。スピードがない。三振はボールだと思って見送っただけの話さ」サラッといってのけた。「田中勉を打つ研究?そんなことよりオレの三振のあとブルームが打った。野村が死球、そのときオレだけでなくナイン全部がくずせると思ったはずだ。ホームランは内角ベルトへんの棒球。あれなら打てるよ」先発メンバーにはいったのはこれで九度目。「ほんとうをいうと、オレなんか代打でいい。もっと若いひとにどんどん出てもらいたいんだ」キャンプでもバッティング練習の時間を若手にゆずり、オープン戦間近になってやっと自分の練習をはじめた。だが一か月前、新しいグローブを買い入れるという新鮮な野球への情熱。「先も長くないのにいまさら新しいグローブなんて・・・」という若手のひやかしを、ニヤニヤ笑ってききながら、毎日念入りにそのグローブの手入れに夢中になっている。ヤジは痛烈だが、絶対私生活のことは口にしない。だから若い選手の非礼なヤジをきくと真っ赤になっておこりつける。失われつつあるいい意味での古風さを守りつづける男。「中西はもっともっと出なければいかんよ」いつもそういいつづける三十八歳の現役最古参は、あすも黙ってグローブの手入れをつづけるだろう。
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興津立雄

2017-01-16 20:03:31 | 日記
1966年

強いチームにいたらもっと人気の出る選手だ。1㍍81の長身に男らしいマスクがのっている。成績の方も毎年のようにベスト・テンに顔を出す。三十八年前半には桑田とホームラン王を争ったほどだ。だがその年の後半、元横綱の朝潮やタクシーの運転手がよくかかる脊ツイ分離症にかかりドロ沼に落ち込んだ。一時は再起もあやぶまれたくらいだった。だから寒さがにが手だ。五月とはいえ新潟地方はまだキャンプのような寒さ。市内の宿舎を出るとき、興津はスタイルのことはかまわずモモヒキをはいて防寒対策を怠らなかった。試合後はコートのエリを立てていたが、決勝2ランの話になるとニッコリ。「二球カーブできたのでこんどはシュートでくるやろうと思っていた。ヤマが当たったね。真ん中から外角へ沈むようなシュートやった。風を計算して、うまく打ちあげばはいるとは思っていた」地方球場での試合には公式戦用球場にはない色々な条件がからまる。産経もこの風を考えていなかったわけではない。試合前の打撃練習で岡本らが左翼席へたてつづけにたたき込むのを見た飯田監督は「この風が勝負をきめるな」といった。その予測が広島の二本の二ランにつながってしまったのは皮肉だった。「去年も金沢(対巨人戦)でよく打ったし、ワシはどうもドサ回りに強いらしいな。調子?まだ本物じゃない。腰の方はもうだいぶいいんだが、寒いとやはりこたえるね。早くモモヒキなどはかずに野球ができるような季節になってくれればいいんだがな」最後にバスへ乗り込む興津を初めて見た新潟の女性ファンが「ハンサムね」とささやいた。
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