プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

安藤治久

2017-04-14 23:22:59 | 日記
1959年

肩ハバの広いガッチリした体。かなり色が黒い。右のひざを地面につけての力投だった。白いユニホームのひざから下が砂でよごれている。安藤の力投が阪急の本拠地での初勝利の原動力であった。もちろんプロ入りはじめての1勝だ。「全然ダメでした。ストレートがうまくきまらないんですから。やはり西鉄はこわい。とくに大下、豊田さん名前に押されてしまって・・・。プロ入りはじめての勝ちが西鉄とは申し分ないと思うんですが、リリーフされて勝ったのではね。どうも割り切れない感じが残ります」盛んに完投できなかったことを残念がっている。平和台での西鉄三回戦ではリリーフに出されてストライクが全然入らず、打者二人を連続歩かせてすぐ交代させられたニガイ経験がある。「あのときよりはよかった。カーブが入っただけでもね・・・」沼津市商ー大昭和。1㍍76、69㌔、右投右打。

まだまだ一本調子だ。球質は重くていいが、シュートとカーブをただ組み合わせるのに精いっぱいの感じを受けた。カーブは真ん中から外角へきまるのと内角から真ん中へ入るものを使っていた。しかし真ん中から外角へのカーブはきめ球として通用しても、内角から真ん中のものは絶対ダメだ。高倉に二安打されているが、曲りきらないうちにたたかれた。カウントをかせぐ場合にはこのカーブを投げ、勝負するときには外角からボールになるくらいのカーブを生かすべきだ。近ごろの若い投手はすべてといっていいほど、このカーブの使い方を知らない。研究してほしい。
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升井真喜人

2017-04-14 22:46:19 | 日記
1960年

升井は今まで三回登板しておりシリあがりの好調さをみせていた。西鉄の目に余る不元気さもてつだって完投勝利をにぎった。立ち上がりは若いだけにかたさをみせ、完投できるとはとても思えなかったが、速球とカーブ、スライダーを中心に低目に球を集めていた。上体のかえしが鋭く腕の使い方が非常に大きく一応ムリのないフォームだが、ときどき高目に投げ、前半は打ちくずされる危険を感じた。二回先頭の豊田に安打され、投球数も多くなり動揺していた。このときは井上とのエンド・ランでサインを見そこなった豊田が二封されるプレーに助けられた。しかし五回にも和田、稲尾に連安打され、高倉四球で二死満塁のピンチをまねいたが、このとき鶴岡監督の時宣を得たはげましに難をのがれた。つまり西鉄の不元気な打撃ぶりに助けられ、大量得点に思いきったピッチングをした事が好投の原因だったわけである。とはいうものの、完投できたことはこんご打者との勝負に大きな自信となってあらわれるだろう。投手不足に悩む南海にとっては明るい升井の1勝といえよう。西鉄はこの升井に牛耳られたが、たのみとする稲尾が打たれて先取点をとられたことが精神的に大きな影響を与えていたからで、升井の前に完全に屈したというほど力のおちた西鉄ではないはずである。

升井投手の話「一昨年、リリーフで勝ったことがあるが、完投勝利は五年目ではじめてなのでうれしい。こんなに投げられるとは思わなかった。五回くらいのつもりだった。監督さんからもそういわれていた。前半はカーブを多く投げた。後半は球になれられるので少しでもスピードがなければいけないと思って、シュートに切りかえた。これがよかったようだ。四月二十九日に杉浦さんをリリーフ(大毎戦)したときにもよかったのでやっと自信がついた」
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飯尾為男

2017-04-14 22:20:12 | 日記
1960年

今シーズン初登板で、しかも二イニングしか投げなかった飯尾のピッチングを批評するのは危険だが、正直なところ昨年ほどの球威は感じられなかった。九人の打者に対し、まん中の球はひとつも投げず、内外角へボールを散らしていたが、九回河野に内角のシュートを投げて右前へヒットを打たれた。昨年の好調時の彼ならば、あの球はまずヒットされることはなかった。まだ本調子でない証拠。飯尾の投球を見てるとそれほど打ちにくそうな感じはしない。だが、バッター・ボックスに入っていざ打ってみるとなかなかタイミングが合わない。十年間の経験が大きくモノをいっているといえよう。飯尾のもっとも得意の球は外角低目にコントロールされたカーブとスライダー。この外角球が実に微妙なコースをつき、しかもブレーキがいいので、内角の鋭いシュートが生きてくるのだ。きょうの飯尾のカーブはあまかった。うまみとコントロールだけでは押えきれるものではない。球威の回復こそ先決問題だ。
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植木一智

2017-04-14 21:57:54 | 日記
1973年

阪神は二十六日、植木一智投手(27)を任意引退選手にすると発表した。同投手は四十四年のドラフト一位指名で竜谷大から阪神入り、四十六年に初勝利をあげたがこの年1勝1敗の成績で、プロ入り通算2勝とふるわず、自信をなくしていた。こんごはサラリーマン生活に入る予定。

植木投手「阪神で五年間お世話になったが、何の未練もない。もうユニホームを着ることはないだろうし、どこの球団から誘われてもいく気はない。これからは就職先を見つけます」
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滝田政治

2017-04-14 20:49:03 | 日記
1962年

阪神の滝田政治外野手(36)は二十一日午後一時、大阪・梅田の球団事務所に戸沢代表をたずね、体力の限界を理由に現役引退の申し出をした。滝田は十九日に藤本監督と話し合いその旨を伝えており、この日戸沢代表も引退を了承した。退団後は東京で家業(四谷の料理屋、飛鳥)に専念する。
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