プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

牧勝彦

2017-04-24 22:03:37 | 日記
1962年

ことしは本間に代わって二年生の牧が台頭して来た。現在もっとも早く仕上がっている。タマも速いし、カーブの切れもいい。去年はわずかであったが、公式戦のマウンドを踏んだことが彼も成長に大きく役立っているようで、紅白戦で投げていても自信にみちていた。だが低めのコントロールがもう少しほしいところだ。

1963年

阪神は2安打のうち三回辻四球で歩いた二死後三宅が左翼ぎりぎりに放った戦列復帰後初ホーマーが決勝点となった。池田はタマがいま一つきわどいところにきまらう、三宅秀には0-2後タイミングをはずしたスローカーブを投げた。内角だったが三宅のうまいとらえ方はやはり年期を思わせた。一方牧はその裏11球ボールを続ける突発的乱調による満塁、七回は藤井の二塁打による二、三塁のピンチを招いたが、いずれも二死後からで、シュートと落ちるタマをうまく使いわけてなんなくかわした。広島は八回先頭古葉の当たりが痛烈すぎてシングルの安打にとどまって森永の中前安打が出ながら得点に結びつかなかったのが痛く九回大和田の本塁打で1点差とつめたがおよばなかった。

1963年

藤本監督はまだ出てこない。青田代理監督がハッスルしたのは四回、トップの横地が四球で歩いたときだ。このところピッチをあげている大石はスライダーで外角をつき、ふところをシュートでえぐった。スピードがあって阪神打線はシンに当たるのに苦労していた。この大石が横地には無造作すぎた。ストレートの四球だ。青田代理監督にシリをたたかれた並木、藤本はりきんでバットを振りまわして凡退。だが藤井が軽く中前へころがした。二人の走者が塁に出たのははじめてだ。このあとソロムコは大石がありったけの力でほうったスピードボールを軽く左中間にはじき返した。阪神が先行した。好投しても勝てない大石は、二十七日間も白星なし。牧の調子がいいので、またツキが逃げた感じだ。牧は威勢がよかった。シュート、スライダーを内外角にズバリと投げ込む。とくにスライダーが低目に決って気持ちのいいピッチングだ。広島は一回古葉、二回は大和田が安打したが三回から安打がない。大石は不景気な顔をして投げる。ピッチングにもハリがなくなった。七回の広島は藤井から。そのあと一発屋がズラリと並んでいる。青田代理監督は渡辺をマウンドに送って、ひねくれ球でかわす手に出た。渡辺は期待どおり三イニングをうまく押さえた。阪神は八回藤井が左翼ラッキー・ゾーンへだめ押しの1号をたたき込んで勝った。牧は今季初勝利。広島は1引き分けをはさんで5連敗。大石も5連敗。

青田代理監督「牧がよく投げた。そのあと渡辺がうまく逃げ切ってくれた。はじめ牧は五回ごろ代える予定だったが、四回クリーンアップをうまく押さえたのでもう少し投げさせてみた。六回に代えたのは球がうわずってきたからだ。八回に藤井が一発打ってくれたのも大きかった」

白石監督「牧のような投手に押えられているようではどうしようもない。大石はこのところよくなってきている。きょうもよかったが、大石が出ると不思議にバックが点をとらんのだ。もう少し打たなくては勝負にならん」
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竜憲一

2017-04-24 21:24:16 | 日記
1966年

二年ぶりにプロ入り三度目の完封勝ちした広島・竜は「微妙なところへのコントロールがいまひとつだった。スライダーよりカーブがよかったと思う。風が右翼から左翼へ吹いていたから三、四番の左打者に対して思い切って内角を攻めたのが成功した」とニッコリ。「最近は先発、ワン・ポイントと交互に使われているが、先発のときはあとのことを考えずにはじめからとばしている。後半は気力で投げるんです」と気分がよいのかよく話した。
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門岡信行

2017-04-24 20:57:06 | 日記
1962年

先発の柿本につづいて門岡がプレートに立つとスタンドから期せずして拍手がわいた。やはり門岡は地元の人気者だ。しかしブルペンではいい球を投げていた門岡も堅くなったのかウオームアップの球が三、四球もつづけて高くへいった。落ちつかないのか盛んにマウンドの砂をスパイクでけっている。トップ打者の高木(守)を二ゴロにとってからどうにか落ちつきをとりもどしたようだが、つづく中に高目のストレートを中越え。そのあとを押えたが、B組のときまた河野に内角低目へきまったとおもわれたいい球を左越二塁打された。打たれたヒットはこの二本だけ。長谷川に内角の直球を右翼場外に大きなファウルを打たれてちょっと顔色を変えたが、一般につまった当たりが多かったのを見ればやはり門岡の球は速かったのだろう。小淵を外角のカーブ、中村を外角速球で三振させたように、球がコーナーにきまったときは威力があったし、シュートもよくきいて長谷川がバットを折ったほどだった。投げ終わった門岡はベンチへ帰りかけると石本ヘッド・コーチに呼ばれ注意を受けていた。濃人監督は笑いながら「バッターもはじめてだからね。門岡もよくなかった。ストレートを投げさせればいいのに。まあまあだろう。これから、これから」と門岡のことはあまり語りたがらない。ご満エツなのは高田代表で「技術についてはわからんが、グラウンド・マナーがよかった。落ちついていてたよりになりそうな風格がある。苦労してとったかいがあった」とベタぼめだった。練習後、宿舎で門岡と、それにバッテリーを組んだ小川、中村の二人の捕手が濃人監督、柴田チーフ・マネに呼ばれ、午後九時半まで特別ミーティング。こんなところにも中日が門岡に大きな期待を寄せていることがわかる。

石本ヘッド・コーチの話「きょうはキャッチャーの方が悪い。変化球を投げさせてもいいといっていたんだが、ストレートを忘れたようにスライダーやシュートばかり投げさせよった。門岡の本領は速球だからな。もっと彼が得意とする球を投げさせるべきだった。新しい人をやたらに堅くさせたのはよくない。キャッチャーは投手のよさを十二分に生かしてやらなければ・・・。それにしても門岡が現在の段階であれだけ変化球をマスターしているのは上出来だ」

門岡投手の話「ブルペンで投げるのとだいぶ勝手が違い、あがったんでしょう。からだがフワーッとしてしまった。長谷川さんに大ファウルされたときはからだがこわばってしまって。シュートの切れだけはよかったと思いますが、なぜか力がはいりすぎて思いどおりに投げられなかった。押えてやろうと考えたのがいけなかったのでしょうか。高校時代を通じて最低の出来でした。しかし高目に浮いた球をこれから低目に押えられるようになればブルペンで投げているスピードでいけると思いますね。まあ六分ぐらいの調子でした」

江藤選手の話「球にのびがなかったし最低の出来ではないのかな。球を左右に散らしていたのがよかったし、シュートは切れていたよ」

滝野審判の話「門岡君はステップが普通より広い感じだった。しかもアウト・ステップしていた。そのためかボールが浮いていた。初登板でリキんだせいかもしれない。それと球のはなれが一定していなかった」
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大石弥太郎

2017-04-24 20:33:01 | 日記
1970年

スライダーとシュートが、正確なコントロールで内外角をよぎりときおり全力で投げる速球がより速く感じられた。広島のベテラン・大石のピッチングはみごとだった。打線が上向いてきたという巨人だが、全く手玉にとられ、18試合連続安打の長島も完封された。六回、先頭の柴田が1-0から右翼に放ったゴロの安打が唯一のヒット。三塁側巨人ファンはほっとした表情でため息をもらした。しかし、これも、後続二者が内野ゴロで走者は二塁にも進めず、高田の左翼フェンスぎわのフライも好捕されてしまった。このほかに巨人が走者を送ったのは四、八回だけである。四回には高田四球の無死一塁。ところが、土井の一塁前バントで二封され、王が遊ゴロ併殺打。最悪の攻撃だった。八回には2四球で二死一、二塁と初めて得点圏に走者を進めたが、これも萩原が平凡な一ゴロ。いずれも生き物のようにコーナーを切る大石の投球にゆさぶられた。外野に飛んだ打球はわずかに四つしかなかった。広島は一回、三村が真ん中低めの速球を左前へ7号本塁打を放って先制。五回には、この三村が遊撃内野安打して城之内を退け、リリーフの渡辺から二死後山本一の右翼線二塁打で2点目。続く六回には衣笠が2-1から外角高めをうまく合わせ右翼ポールぎわに入れて着実に得点を加えた。大石は今季このカード五度目の登板だが、初先発で巨人から初めて白星を上げチーム最高の10勝をマークした。
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大石弥太郎

2017-04-24 20:21:24 | 日記
1971年

作戦会議が開かれる一階の広間に集まってきた巨人の選手はテレビの前から動かなかった。昨年までのチームメイト西鉄の高橋明が投げていたからである。テレビ観戦に川上監督まで加わった。口にこそ出さないが、だれもが「ハチ(高橋明)がんばれ」と心の中で声援を送った。その証拠に、阪急を2点に押えて3勝目をあげると、どっと歓声がわき、拍手が起きた。「昨年までの仲間だったからね。そりゃ応援しますよ。これは稲尾監督から聞いた話だけど、高橋明にスライダーを投げるなと言明したらしいですね。彼のスライダーはコントロールがいい反面、真ん中に集まると打たれる危険なタマだ。それを投げなくなってからいい成績をあげていると思う」と川上監督は話した。右投手にとって、スライダーは外角をねらうタマとして効果がある。巨人が開幕の第一戦で大石に苦しんだのも、このスライダーだった。直球と同じスピードでスーッと外角へ投げるのだから打ちづらい。これを攻略するには「中堅へ打ち返すつもりで打てばいい」(長島)わけだが、大石はスライダーのほかにシュート、フォークボールと球種が多い。非常に的がしぼりにくいが、巨人打者は大石のクセを見抜いて二回であっさりKOした。大石のクセというのはこうだ。一回の長島はカウント1-1後に中前打、二回は柴田、高田がいずれもフル・カウントから中前、右前と適時打を飛ばし、とどめの一撃となった長島の遊越えは1-3後だった。このカウントの共通点は、投手が自信を持ってストライクを取れるタマを投げてくることだ。大石なら外角の直球か、スライダーになる。長島は「2打席ともスライダーがくると予想した。あのカウントでは絶対ほかのタマは投げない」という。これは彼の動物的なカンでもなければひらめきでもない。大石のクセを知り尽くしたうえでの読みなのである。大石は「ヤマをはられていた気がした」ともらしていたが、巨人の打者が確信をもって待っているところに投げたのだから二回でつぶれたのもやむを得ない。しかもスライダーをより有効にする直球にスピードを欠いていた。巨人、大洋と名うての強打線を封じ込んだ大石。それがこうもあっけなくくずれたのは、中三日休養の登板が続いたからか。それが過酷だとすれば、大石は二十七歳の年齢に似合わずふけ込んだエースということになろう。
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大石弥太郎

2017-04-24 20:07:13 | 日記
1971年

王と長島の二人が、計八度打席についた。この八打席で、生まれた安打は九回のどたん場に長島の放った本塁打一本である。広島・大石は、巨人の得点源である。ONを、その右腕で押えた。いうまでもなく、広島第一の勝因である。巨人を倒す一例として、よくON分断作戦ということがいわれる。強烈な破壊力を持つ王と長島を同じ回に打席へ迎えなければ、たとえどちらかに打たれても、失点は少なくてすむという算段なのだ。しかし大石は、四度もタバになってかかる彼らと対した。が、怪腕は、冒険を冒険と感じさせなかった。一回、走者一塁で、大石は王と対決する。内角ボール。次は外角シュートでストライク。三球目は内角速球。つまった王は一ゴロ。そして長島。ストライクをとったあと、二球目は内角へのシュート。のけぞるような形で打って、大石への凡ゴロ。「緊張のためか、調子がよくなかった」という大石だが、二打席目は一ゴロと左飛。三打席目は三ゴロ、三ゴロと巨砲に火を吹かせなかった。低目に決るカーブ、シュートは、スピードこそなかったが、生きていた。なぜだろうー精神面、体調にさからわない冷静さがあったからである。巨人の先発渡辺は打ちのめされて五回で退いた。「調子が悪いから、押えなければとあせり、知らぬ間に力んでいた。これが打たれる原因だった」と、渡辺は敗戦の弁を語る。勝利投手の言葉は違う。「強気で押すとみせかけ、変化球でかわした。それに、からだの筋肉が硬直気味だったので、無理をせず、常にていねいに投げることだけを心がけていた」という。「ていねいに投げていたし、いい出来だった。仕方がない」(王)「スピードはなかったが、ともかくていねいに投げていたね。こっちが気負ったのが失敗」(長島)ONともカブトをぬいだ形だが王は、何とか打とうとして六回の打席に着くとき、鏡の前で素振りをするほどだった。それでも、外角のシュートに腰を引かされ、三ゴロ。長島も九回以外は完全にフォームをくずされていた。いささかあがり気味だったという大石だが無理をしないで、内面を整えたのが成功したわけだ。ONに勝ったわけではなく、大石は自分に勝ったのである。
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