プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

交告弘利

2017-04-29 17:08:38 | 日記
1962年

岐阜短大付属高の左投手交告(こうけつ)弘利選手(17)=左投左打、1㍍80、75㌔=はこのほど高校を二年で中退、阪神入りすることになった。中日、近鉄、南海も誘っていたが、三十日夜、岐阜県中津川の自宅で阪神河西スカウトが快諾を得た。同投手は速球を投げおろす本格派。コントロールの点にまだ問題はあるが、将来を期待される。阪神はことし五月ごろ河西スカウトが目をつけて岐阜通いをつづけたが、この間に地元中日・本多スカウト、近鉄の江田スカウトらも動きはじめ、とくに中日がひところは有力だった。

阪神・戸沢代表「五月ごろから交渉をつづけていたが中日がおりたので、ウチへくることが九分どおりきまった」

阪神・河西スカウト「ほかの球団も目をつけていたのだが、どうやらウチの勝利のようだ。これからドンドンのびていく選手だ。素質も十分あるのでうまく育っていけば主力になると思う」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山口昌明

2017-04-29 12:58:13 | 日記
1967年

西鉄ライオンズは一日、山口昌明投手(22)の退団を発表した。同投手は佐賀県鹿島実高から南海に入団、昨年西鉄に移籍した投手。おもにバッティング投手をつとめていた。家庭のつごうで退団することになったもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無徒史朗

2017-04-29 12:24:03 | 日記
1967年

快進撃をつづけるアトムズ・・。原動力はもちろんJR砲であり、投手陣の立ち直りだ。だが、それだけでは完全ではない。いぶし銀のような脇役が、必ずいるものだ。アトムズの場合は、それが無徒だった。村田が、こんなことをいった。「無徒って、ものすごい腕前をもった傭兵って感じだよ。マウンド上で、じっとみてたら、打たれるような気がしない平凡な打者なんだ。ところがどっかい、こいつが大将の首をかっさらっていく・・・」今シーズン、代打ばかりで16打数5安打、二塁打1本、本塁打も1本。打率3割1分3厘は、レギュラー選手ならゆうに4割以上の打率と同じだ。「オレは守備はへたくそ。バット一本に自分の人生をかける。いまのプロ野球には、こんな男がひとりくらい、いてもいいんじゃないですか」定位置獲得だけを目ざす、優等生選手の多いなかで、異色な存在だ。飯田監督は、話が無徒のことになると、舌がよく回りだす。「昨年から、代打男に仕立てようと思っていたんだ。夢がやっと実現したよ。あの根性、戦局を自分のハダで分析する能力・・・。得がたいバッターだ」春のオープン戦で、サンケイが南海と対戦したとき、無徒は、鶴岡監督に、こっぴどくしかられた。「おまえらを、東京へ遊ばしに行かせたんやないぞ、ボヤボヤするな・・・」一瞬、無徒はムッとしたらしい。ことしの湯之元キャンプで、どれだけの気合いをいれて練習に打ち込んだか、鶴岡監督は知らなかった。「一年目は、セ・リーグの投手のタマにとまどった。だけど、ことしは、すんなりと引っ込めない。オレだって、プロ入り五年目。クビになるかどうかの境目だもの」現在、2試合連続代打でのヒットをとばしている。無徒の記憶では、7試合、つづけて塁に出たことがある。「代打というのは、いいですね」とうそぶくだけであって、度胸は満点。ニックネームはイモ。にきびのあとだらけの顔がジャガイモそっくりなところからつけられた。そのことをひやかすと、本気になって怒り出す。生一本で、いちずな生き方が、代打というむずかしい仕事を、やりとげさせるのだろう。大阪・大倉高出身、四十年に南海から移籍、右投げ左打ちの内野手。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松本忍

2017-04-29 11:30:40 | 日記
1967年

佐藤はスタートそうそう激しく打ちこまれた。コントロールに甘さがあったからである。1-2から江藤に禁物の外角より高めのスライダーをたたかれ、千原には2-2から肩口をねらったさそいダマがマークのあたりにはいってしまった。低めの狂いならキズも浅いが、高めの失敗は始末が悪い。失投は投手にとってはさけられないものであろうが、それも相手とケースによりけりだ。いささか不用意の感はまぬかれない。しかし一回の失敗が身にしみたのであろう。二回からは低め攻めに徹した。もっとも三回、中、法元、高木守がいずれもはっきりボールと見られるタマに手をだしていたのも佐藤にとっては救いだった。七回、千原に左中間を破られ、代打葛城に外角やや高めのストレートを中堅へたたかれたのは球威の限界を感じさせた。中日には意外にもリリーフ専門の板東を初先発させた。先発組が手づまりでローテーションが狂ったあげくの苦肉の策である。しょせん、長つづきは期待できない。それだけに板東の次にだれを起用するか、注目された。西沢監督はバクチをうった。左腕松本の起用である。松本はことし、阪神二回戦、サンケイ八回戦と二度登板しているが、いずれも勝敗に関係なし、いってみれば敗戦処理であった。ひょうたんから駒がでたといえば、本人には不満かも知れないが、四回、バトンを受けついでからあれよあれよという間に終盤まで投げ切った。五回矢ノ浦に内角球を右前へ巧打され、ロバーツには外角速球を中前へ痛打された。次のジャクソンが左であったため続投になったのであろうが、代えどきとみた。ところが、ジャクソンが内角高めのボールに手を出したため救われた。西沢バクチの成功である。サンケイの打者にしてみれば、実績のある相手ではないだけに、いつでも打ち込める、長つづきはしないだろうといった安易感があったと想像される。実はここに落とし穴があったのだ。もちろん、松本にも「打たれてもともと」といった気やすさはあったろう。この心理が双方に大きな影響を与えたと見ていい。技術的な面をいえばストレートはそう速くないが、カーブの切れはシャープだった。シュートも右打者の外角低めにかなり決まっていた。だが、制球力がいまひと息である。だからサンケイ打線にもう少しじっくり攻める慎重さがあれば、攻略できたであろう。バッティングアイが粗雑だったことに加え、いつでも攻め落とせると軽く見たのが、意外な悪循環を招いたようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

松本忍

2017-04-29 11:29:18 | 日記
1967年

養成選手ー中日・松本忍投手(19)にやっと五年目の春が訪れた。長崎県諫早市の北諫早中を卒業と同時に、三十八年、中日入りした松本は当時まだ十五歳。そのころ、急騰する契約金対策として中日が最小限の費用で将来性のある選手をとり、じっくり育て上げようというねらいで勧誘したものだ。一緒に入団した森田選手は昨年さびしく退団したが、松本は名古屋・中央高の定時制に通いながら、黙々とファームではげんだ。そして今春、卒業を迎え養成選手も卒業、晴れて一投手として契約をかわした。「シノブ(松本)、おめでとう」真っ先にかけ寄った新宅捕手につづいて飛びだしたナインがソッと手を握る。いつものヒーローを祝福するようすとはがらりとちがう。過去四年間、練習と勉学を両立させた松本の人知れぬ努力と精進をナインは知りつくしているからだ。小さく「ハア、ありがとうございます」という松本の目ガシラに自然と涙がにじんでくる。「新宅さんのサイン通り投げました。苦しかったのははじめてロバーツ、ジャクソンにあたったとき・・・」と声をつまらせる。松本にとって外人選手と対戦するのは生まれてはじめての経験だった。だが、九回はみごとな攻めで連続凡退させた。四回から最後まで投げ切って失点1。自在に得意のカーブをあやつり、三位の座をひとりで守り切った。プロ入り初登板は、昨年九月十八日の巨人戦でのリリーフ。この試合で松本は一死一、三塁のピンチにホームラン男の王を二ゴロにとり、無形の自信をつけた。「セ・リーグ最高の打者を打ちとったことは、大きなプラスになりました」思いだすように話す松本。緊迫したシーズンでもまったく動じないあたり、もともとなみはずれた度胸の持ち主なのだろう。入団当時より体重は6㌔、上背も3㌢のびている。だが、まだどこか童顔が残っている。大友ピッチングコーチは「からだがまだまだおとなになりきっていない。骨組みががっちりすれば、もっと球威はでるはず。性格はおとなしいが、頭がいいし、なかなか根性もある」と将来性を高く買っている。養成選手大先輩である西沢監督も手ばなしでホメた。「左の松本があれだけ投げだことは、大きな収穫だ。マウンドの態度なんか、まるで常時出場しているピッチャーみたいだったナ」プロ入り四試合目ではじめて勝利投手の栄誉を手にした松本ー。養成選手の同期生杉内野手、おなじく後輩の金富投手らと喜びをわかちあおうといそいでバスに飛びのった。とたんにドッとすごい拍手がわきあがった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前田康雄

2017-04-29 09:33:00 | 日記
1970年

ロッテがドラフト第一位でとった前田康雄投手(電電四国)が、はじめて登板した。3-3で迎えた六回裏、前田はブルペンからゆっくりマウンドに歩いた。この回の広島の攻撃は左の早瀬(前阪急)からはじまる。サウスポーの前田にとっては比較的投げやすい相手だ。ところが早瀬に代わって出てきたのは代打の水谷。ウエスタン・リーグで一試合4ホーマーの実績がある体力の持主である。ベンチの濃人監督、内心ハラハラしたようだが、前田の方は落ちついていた。ファウルを一本打たせたあと、二塁ベースぎわに飛んだゴロを山崎がうまくさばいてくれた。ここで濃人監督はもう一人と欲を出した。次打者は衣笠。やはり水谷同様、パワー自慢のバッターだ。だが、これもフルカウントから遊ゴロ。ここで濃人監督はベンチ送って出てあっさりと佐藤元との交代をつげた。あげくの果てリリーフの佐藤元は朝井にホームランを打たれて敗戦投手。いってみれば、前田は最初からワンポイントリリーフとして使うつもりだったのだ。試合後、濃人監督は「せっかくの投手じゃけん。キズをつけちゃあかんからのう」と金の卵に対するなみなみならぬ配慮をみせた。前田自身もこの日は長いイニングを投げるつもりはなかった。「予定通りです。ストレート、カーブ、シュートを投げましたが、自分ではよかったと思います」とすましたもの。指宿キャンプでは本格派の村田につき合ってビュンビュン飛ばしたため、ペースをみだしてしまった。紅白戦には二試合に登板しているが、一度目は2イニングで1安打。二度目は4イニングで9安打も打たれている。このときは首脳陣をがっくりさせたが、この日のピッチングで、どうやら信用の方も回復させたようだ。近藤ピッチング・コーチは「調子はまだまだだが、いくらかホッとしたね」といったし、タマを受けた醍醐捕手は「ブルペンで投げていたときより本番でときの方がいいピッチングをする」とほめた。つまって3本ファウルした衣笠も「まだ、なんともいえないけど、いいタマを持っているようですね。タマは速いですよ」といっていた。二十五歳という年齢の新人はちょっとめずらしい存在だが、強気で小さなことにこだわらない性格も評判。「自分でいうのはおかしいけど、ボクはマジメ人間だと思いこんでますよ」と人を食ったところもある半面、「勝負ごとはなにごとにも勝たねばいかん」というのがモットーというのだから、よほど負けずぎらいなのだろう。津田中ー松山北高ー東洋大、そしてノンプロ電電四国と、ずっとピッチャーをやってきたのだからキャリアはもう十五年にもなる。「肩もよくなったし、これからやりますよ」と前田。濃人監督は「ぼちぼち投げるイニングをのばしていって、そのうち、先発に使うかもわからん」といった。ロッテの左投手は大洋から移籍した平岡と昨秋、外野手から転向した山田しかいない。前田が本物になれば貴重な戦力になりそうだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

川畑和人

2017-04-29 08:54:54 | 日記
1969年

ロッテは一回、石黒、前田が連続四球で無死一、二塁、濃人監督は手がたくロペスにバントをさせたが失敗、石黒が二封されて一死とかわった。つづくアルトマンは三塁ベースぎわに内野安打して満塁、榎本の2-1後の四球目、ボールのとき田淵に代わって出場していた辻恭が三塁に悪けん制球、タマが左翼ファウルグラウンドに転々とする間にロッテは拾いものの2点、なおも二死二塁から池辺が2-3後の外角球をうまく右翼線二塁打、この回3点をあげた。ロッテの攻撃はこの回だけ。江夏が速球、変化球に制球がつくとさっぱり打てなかった。打線はまだ調整がおくれているようだ。十一日の広島戦(広島)で敗戦投手となったロッテの川畑の変化球(カーブ、スライダー)を多用して好投した。三回一死から1-1後の内角ストレートをカークランドに右翼場外ホーマーされた以外はテスト合格といったところだ。七回代打で田淵が登場し場内はわいたが、0-1後から川畑はカーブ攻めで3球連続カラ振りの三振にうちとった。田淵の不振はかなりの重症のようである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鏑木悦純

2017-04-29 08:36:45 | 日記
1969年

江夏・村山という強力な二本立て投手をもつ阪神投手陣に、待ちのぞまれるのは第三の男の出現である。このゲームに鈴木、鏑木、金本三投手が登板、最終回に投げた金本は力みすぎていたが、鈴木、鏑木の投球には球威とともに、うま味がでており、第三の投手への期待がもてそうだ。鈴木は立ち上がりもスピードはあったが、高めに浮いて苦しんでいた。そこをねらわれたが、回を増すごとに安定してきた。勝負を急ぎすぎた欠点があったが、下手投げからの左右のゆさぶりは魅力がある。それにいままでの阪神投手陣にないタイプだけに登板機会も多いだろう。鏑木は3イニング9人の打者を簡単に凡退させた投球内容は注目に値する。1㍍78の体格で、スリークォーターから投げる。バックスイングは外人なみにヒジから引いていて、打者のタイミングからワンテンポ遅れ気味だった。球速は目立たないが、シュートの切れがよいのが特徴である。七回先頭の左打者伊藤を外角のシュートで攻めきり、三邪飛に打ちとったピッチングは、左打者に対する攻めのうまさとみてよいだろう。さきの倉敷での東映戦で張本に満塁ホームランを打たれながらすぐに立直り、そのあとをよく押さえたし、登板するたびに一歩一歩を確実に進歩のほどが見えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする