プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

森永勝治

2017-04-10 22:48:33 | 日記
1963年

七月中旬の暑さ、夕立ちのようなにわか雨。三時間半におよぶ乱戦にケリをつけたのが森永だった。七回満塁で同点タイムリー、十四回には決勝二塁打。富山球場から宿舎へ向かうバスの中ではればれした顔でしゃべった。「勝利に直接結びつくヒットなんてことし初めてだよ。それにまとめて三本出たこともなかったんじゃないかな。なにか、こう、スーッとした気分だな」だれかれとつかまえてはこの言葉をくり返す。昨年首位打者をとりながら、ことしは宮崎日南キャンプで右足首をねんざ。それがたたって開幕後、ずっとふるわなかっただけに、うれしくてたまらないらしい。「同点打はシュート、最後のはインコースのスライダーだったかな。あまりよく覚えていないよ」いつもはボソボソ声。あまり表情のない森永がめずらしく顔をクシャクシャにした。それでも王、長島の名が出たときだけは別だった。あの二人はたしかにすごいと目をむく。「とくに長島はヒットの打ち方が実にうまい。打つポイントが少し前になったほかは去年とあまり変わっているとも思えないが、意欲という点では問題にならないんじゃないかな」と感心してみせ「だからオレは首位打者をあきらめたんだよ」とさりげなくつけ加えた。しかし、打てないときの森永にはとてもこわい人がひとりいる。広島の自宅で、いつもテレビにかじりついているという長男の昌司ちゃん(三つ)だ。「まだ幼稚園にかよいだしたばかりなんだけど、カエルの子はカエル。よく野球のことを知っててね。家に帰ると9番、どうした!とやられちゃうんですよ。女房は笑うしこっちはうしろ暗いところがあるから大きなこともいえないし・・・」不調をうしろ暗いとは妙な表現だが、やさしいパパらしい一面をまる出しにして、ほこりとヒゲでどう黒くよごれた顔から白い歯をこぼした。「じゃ、こんどは大きな顔で帰れるんじゃない」そばできき耳をたてていた興津から声がかかると「まだあすがあるんだからあまりその気にはならんよ」と用心深い。「とにかく一週間の雨休みで足がすっかりよくなったのが収穫だった。このきっかけを大切にしてまた徐々に馬力をかけていければと思っている。昌司には近いうちにホームランでも打ってみせて、あんまりハッパをかけんでくれとたのんでおくことにしますよ」決勝のヒットのつぎはホームランだそうだ。
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久保文雄

2017-04-10 20:47:41 | 日記
1981年

ドラフト外とはいえ、関西スカウト陣の間ではマークされていた。広瀬(大洋)石本(近鉄)と並んで、関西左腕三羽ガラスなどと呼ばれ、左投手不足に悩む大洋としてはかなりの期待をかけている。サイドハンド気味の変則フォームから繰り出す速球は威力十分。体の方は意外とバネがよく、しっかりしているので一軍のマウンドも近い。

1983年

若返りをはかる投手陣の中にあっても注目の推奨株だ。これまでの上手投げから横手投げに投法改造。サウスポー独特のひねくれ球は一軍でも十分通用しそうなところまで来た。左腕不足解消のカギを握る男である。

1984年

派手さはないが、投球回数を見てもわかるように、毎年着実に一歩一歩成長してきている。サイドからの大きなカーブと伸びのあるストレートを武器に、今年も左打者へのワンポイント・リリーフとして起用される場面が多そうだ。課題は西武の永射のように粘っこい投球術を覚える事。

1985年

若手左腕の中では、年々着実に伸びている成長株。完全に一軍に定着したといっていい。長所は体ががんじょうなことで、スタミナは十分、使いベリしないタイプだ。リストの強さも特筆できる。今年は中継ぎ、ワンポイントだけでなく、ストッパーの役目も回ってきそうで、目下、その対策としてフォークボールを開発中。
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江田幸一

2017-04-10 20:06:06 | 日記
1979年

22年10月31日
上尾高、東京ガス
妻=清美、長女=芳子(1)
1㍍67、67㌔、右投右打

小さなからだのどこからあんなミラクル・ボールがとび出してくるのだろう。捕手のミットに吸いこまれるようなシンカーが決まればもうこっちのもの。長女芳子ちゃんの誕生で今季は気合い十分のマウンドだよ。
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鶴崎茂樹

2017-04-10 20:01:07 | 日記
46 鶴崎茂樹(28) 内野手

28年7月25日生 筑紫工、南海 妻=明美、長女=舞子(1)
1㍍71、72㌔、右投右打
期待されての新天地でファーム暮らしは不本意だった。一軍に故障者が続出していただけになお悔いが残る。10年目の大事なひと区切り。心機一転のことばは簡単だが、それこそ心機一転だ。
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山口忠良

2017-04-10 19:49:10 | 日記
1981年

近鉄の井本タイプで切れのいいボールを投げる即戦力ルーキー。度胸がよくプロ向きだが、負けん気が強すぎるのが玉にキズ。大学4年の春には6試合に投げているものの、肩を壊したり秋はいいところなし。大学時代の監督も「ケガさえしなければ十分働ける」と期待する。「スライダーにコントロールがつけば・・・」本人も自信を持っている。

1982年

増本と並ぶ数少ない変則技巧派。毎年、着実に成長している楽しみな右腕だ。昨年は代走にも起用されたほどの足腰の強さとバネは抜群。球威不足をどうテクニックで補っていくか。今年こそ一軍定着を果したいところである。

1983年

「いい意味で人より目立ちたい」と語る山口。サイドからの変化球のキレ味には定評があり、ピッチングの思いきりもいい。あとは打たせてとるタイプだけに、いかに微妙なコントロールを身につけ、粘り強く投げるかだ。今年も役目は当然、中継ぎ投手。同型の増本と一軍入りを賭けての争いだ。

1984年

キャンプでは仕上がりの速さが目立ち、キレのいいボールを投げていた一人。与えられた任務は、中継ぎだ。昨年も中継ぎとして、ひと回りはいいピッチングをしていたのだが、ふた回りめに入ると打ちこまれるケースがしばしばあった。今年は体のキレをよくして、息の長い好投を。
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田中由郎

2017-04-10 19:24:33 | 日記
1977年

14 田中由郎(21歳) 投手
30年9月3日生
八頭高、三菱重工三原ーロッテ
1㍍82、76㌔、右投右打
妻=敏恵

阪神に深沢、ロッテに仁科と社会人時代の下手投げのライバルがプロ入り。控えめな男ががむしゃらになるのも当然だ。昨年暮れに姉さん女房を獲得、精神的にも落ち着いた。長い腕をさすって全開を誓う。
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