1970年
巨人・若生忠泰投手(34)は二十五日、熱海後楽園で行われた納会の席上「一身上のつごうで今シーズン限りでユニホームをぬぎたい」と現役引退を表明した。同投手は二十三日、後楽園でのファン感謝デーのとき、佐伯一軍担当、川上監督に引退の意志があることを伝え、慰留されていたが、決意はかわらなかった。こんごは福岡で事業に専念する。若生は三十年、東北高から西鉄入り。三十五年から三十八年にかけて主力投手として活躍、48勝をマークした。四十四年巨人に移籍したが、その年は3勝、ことしは右足首のジン帯断裂などの故障に見舞われ、わずか二試合に登板しただけで、後半はもっぱらファーム暮らしだった。十六年間の成績は105勝107敗。
若生投手「一昨日、監督に伝えたときはまだ君を必要としている。短いイニングなら投げられるんじゃないかといわれたが、十六年間の投手生活をけがさなないためにも、ことしでやめるのが一番いいと決意した。たとえ残っていても、来年またことしのようにつらい思いをしなければならない。仮にトレードの話があったとしても、他球団でやるつもりはない」
巨人・若生忠泰投手(34)は二十五日、熱海後楽園で行われた納会の席上「一身上のつごうで今シーズン限りでユニホームをぬぎたい」と現役引退を表明した。同投手は二十三日、後楽園でのファン感謝デーのとき、佐伯一軍担当、川上監督に引退の意志があることを伝え、慰留されていたが、決意はかわらなかった。こんごは福岡で事業に専念する。若生は三十年、東北高から西鉄入り。三十五年から三十八年にかけて主力投手として活躍、48勝をマークした。四十四年巨人に移籍したが、その年は3勝、ことしは右足首のジン帯断裂などの故障に見舞われ、わずか二試合に登板しただけで、後半はもっぱらファーム暮らしだった。十六年間の成績は105勝107敗。
若生投手「一昨日、監督に伝えたときはまだ君を必要としている。短いイニングなら投げられるんじゃないかといわれたが、十六年間の投手生活をけがさなないためにも、ことしでやめるのが一番いいと決意した。たとえ残っていても、来年またことしのようにつらい思いをしなければならない。仮にトレードの話があったとしても、他球団でやるつもりはない」