1970年
平和台にまた球音が戻ってきた。シャワーを浴び、さっぱりとした顔で黒人ボレスは肩をゆすって歩く。はえそろった太く長いもみあげに、まだしずくが浮いている。いまアメリカではやっているんだそうだ。「白い花が咲いたので、また日本にやってきたのさ」五カ月ぶりに、ついこの間、帰ってきたばかりだ。「君の聞きたいことはわかるよ。本当にトレーニングをやってきたのか?肩の故障は?さっき新しいボス(稲尾)に聞かれたばかりだ。人が思いたいように思えばいいが、オレはOKだヨ」悪い表現を使えば、出かせぎの外人である。日本へきてもう何年になるのに、ガンとして自分を開花させることをこばんでいる。日本人の感覚からすれば、かつて西本監督に「オレと話をしたければ英語を勉強してこい」といったスペンサーより、やはり「日本でボクは故郷をみつけた」といって自主トレから参加しているロバーツや、バットと同じぐらい長い時間ハシを握ってサシミと取り組んでいる大洋のセルフ君の方がどうしても好ましくうつるのである。「そりゃオレだって日本は好きさ。でも、故郷のオークランドは心から愛している。ビッグD(スペンサー)は生意気だったが、ヤツは本当のプロフェッショナルだった。プロは故郷は別として、土地にも人にも愛着を持っちゃいけないんだ。オレが日本を故郷と思い、日本人になろうとすれば、きっと仕事がダメになると思うネ。たとえば、もしボスが好きになれば、仕事以外でボスに使ってもらえるよう考えはじめるからだ」ボレスにとって、プロ野球における日本人的感覚がどうにも不思議で仕方がない。なぜ、ひとりランニングで人からおくれたことをボスから詰問されるのかわからない。彼にしてみればキャンプとは、人にみせるためのものではなく、ギャラをもらう場でもないのである。「オレの金もうけはオレがやるさ。だれも頼んだって手伝ってくれやしない」彼は、アメリカから届いたこん包を飄々としてほどいた。バットを一本抜き出して「ヒロ(広野)君がきっと喜ぶだろうと思って」すかさず代金はとりあげたが、英語が通じるたったひとりの親友への人の金もうけを手伝うという最大級の好意だったのだ。彼が好んで歩く大濠公園には、西日が落ち水鳥がのどかに浮いていた。「故郷にもこれと同じヤツがいる。ただ白い花が咲いていないだけだ。この一月に、オレは自分のレストランを建てたんだ…」黒いいかつい顔にふっとよぎる故郷への切ない哀愁。東風(こち)吹かば、においおこせよ梅の花…の惜別の情に比べれば、なんとも大変な菅原道真だが、渡り鳥ボレスがやってくる季節、博多の春は本物である。