プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

1966年 プロ野球 退団選手

2021-01-18 21:17:53 | 日記

1966年のプロ野球戦力外選手を知ってますか?

1966年

プロ野球コミッショナー事務局は、三十日、1967年度選手権試合のための第一次保留選手を公示した。野球協約によると各球団は毎年十月十六日までに来シーズン必要とする選手名簿を所属リーグの会長へ提出しなければならず、リーグ会長は十一月二十五日までにこれをコミッショナーへ送付し、第一次保留選手としての公示を受けることになっている。その結果、第一次保留名簿からもれた選手は自由契約選手もしくは任意引退選手となる。第一次保留名簿からもれた選手は、次の通り。

【巨人】内野手=広岡達朗
【中日】投手=吉山智久、牧田政彦 内野手=島田幸雄 外野手=佐野卓郎、小久保勲
【阪神】投手=酒井貢、椎木孝彰、織田光正 外野手=滝川博巳、室山皓之助
【広島】投手=寺本勇、矢崎健治 内野手=山元二三男 外野手=三浦和美
【大洋】投手=平山佳宏、渡辺政好、山田裕、高山勲 捕手=羽場勇二 内野手=K・アスプロ 外野手=黒木基康、室井勝
【サンケイ】投手=谷口勝範、富永格郎 内野手=中島節男、岡嶋博治(東映移籍)、麻生実男
【南海】投手=難波孝将 内野手=J・ブルーム
【西鉄】投手=米田敏美、池田信隆、大熊伸行 捕手=神原隆彦、伊藤勝利、青木勝俊、池永浩之 内野手=茅野智行、島田伸也 外野手=F・アギー(大洋移籍)
【東映】投手=岩切正男、井上健仁、山崎正之 内野手=高島正義、N・ラーカー、D・ジマー
【阪急】投手=三平晴樹、水谷勇
【近鉄】捕手=越智靖朗 外野手=大丸忠之

なお東京は第一次保留でもれた選手はいない。

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長光告直

2021-01-18 14:18:39 | 日記

1959年

待望の三人目の投手が現れた。長光投手がその人だ。昨年はまったく鳴かず飛ばずの成績だったが、奮起一番、努力の甲斐あって十三日の対大毎戦には七回までわずか4安打に押える好投を示した。ミサイル大毎の主力、葛城、田宮あたりでさえ、唖然と見送りの三振を喫するという番狂わせ?を演じたが、実はこの決め球が長光投手の苦心の結晶なのだ。ミツ(長光)にはマウンドはまかせられんといっていた柚木コーチが、こんどはことしのピッチャーはいいですよ。中でも長光の進境はすばらしいと会う人ごとにいっているのもうなずける話。この魔球実はフォーク・ボール。あまり期待されていなかったのに発奮した長光は、キャンプでいろいろ握りを変えて新球を研究中、ヒョッと変わった球を発見し、これを安心してマスターした。元来、上手からのフォーク・ボールには慣れている田宮も、長光の横手というより仕立てからのフォーク・ボールにはまったく面くらったというのが本音らしい。マークの上をとおりすぎるように見えていて、その実、一瞬止まったようになってストンと落ちる。パ・リーグの打者はこんごの悩まされることだろう。

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上田正則

2021-01-18 13:36:47 | 日記

1974年


本土に復帰した沖縄県からプロ野球選手が誕生した。ロッテは十一日、沖縄大・上田正則投手(22)=1㍍75、70㌔、右投右打=の入団を発表した。ドラフト指名外で契約金、年棒とも百五十万円。五千万円とか、三千万円とかいわれる契約金のうわさが乱れとぶ中で「本土のプロ野球で投げたい」と自らとびこんできた沖縄の一青年。ここにバラ色の夢と、男の心意気がある。

 

ロッテのスカウトに若生氏が決まったこの八月、金田監督の希望は「かくれた大物をさがせ」だった。まだスカウトに荒らされていない場所を考えたとき、ふと浮かんだのが沖縄だった。西鉄(現太平洋)の投手だった若生氏が東映(現日本ハム)との公式戦で沖縄に出かけたとき、高校野球の田鍋審判に世話になったことがある。さっそく電話をかけたところ「沖縄大にいいバッテリーがいる」といわれた。投手が上田で、捕手が中地。すぐに沖縄にとんで二人に打診したところ「本土のプロでやってみたい」と乗り気だった。ところが中地は張り切りすぎて肩をこわしてしまった。九月になって若生スカウトは再び沖縄にとんで上田に交渉を開始した。那覇商三年のときにノーヒットノーランを記録したが、沖縄の大学は硬球を使わないため準硬式というハンデがある。四十七、四十八年に全日本準硬式野球大会で優勝、ことしも準優勝投手という実績はあってもプロ野球で使えるかどうか。若生スカウトは硬球を持参して自ら捕手をつとめた。「私の力も落ちているけど、彼のストレートが速くてとれないんだ」専門家もいないためフォームは荒けずりだが、村山(元阪神、現評論家)ばりのダイナミックなフォーム。上田も「本土のプロ野球でやりたかった。テストでもいいから受けようと思っていたんです」と目を輝かしたという。両親も「本土でやれるなんて…。男ならやってみろ」と大変な力の入れよう。条件を聞いてからという本土のドラフト交渉経過とは雲泥の差だ。契約金百五十万円は単なる支度金で終わってしまうのかもしれない。上田投手は沖縄大の勉強でこの日の入団発表には出席できなかったが「一月五日から若手の自主トレーニングがはじまるそうですね。それまでにはいきます。ぼくががんばれば沖縄の後輩もきっといいはげみになると思います」と元気いっぱいの電話を若生スカウトにかけてきたそうだ。またロッテは同日ドラフト五位指名の桐蔭学園・入沢淳捕手(18)=1㍍80、79㌔、右投右打=の入団も発表した。同捕手は百㍍を11秒7で走る俊足。神奈川県では大物捕手とさわがれ、二年のとき神奈川県選抜チームの一員としてフィリピン遠征にでかけている。

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岡昭彦

2021-01-18 13:16:52 | 日記

1974年


巨人が六位で指名した春日部工・岡昭彦三塁手(18)=1㍍79、77㌔、右投左打=のプロ入りが二十三日正式に決まった。巨人・内堀スカウトはこの日・浦和市大字大門の岡宅を訪れ、父親昭吾さん、母親牧子さんを交えて岡と入団交渉を行い、契約金七百万円、年棒百二十万円(いずれもすいてい)の条件を提示した。すでに二十一日の第一回の交渉でプロ入りの意思表示をしていたため、話はスムーズに決まり、両リーグのトップを切って正式契約した。入団発表は後日、東京の球団事務所で行われる。また、巨人はドラフト外選手獲得の一番手として土浦日大の荒川俊男捕手(18)=1㍍72、80㌔、右投右打=に白羽の矢を立て、内堀スカウトが二十五日ごろ、交渉に乗り出すことになった。荒川はことしの春、夏の甲子園大会で工藤(阪神二位指名)とバッテリーを組み、強肩強打の捕手として知られ、将来が高く評価されている。

 

岡選手「あこがれの巨人に入団出来てうれしい。五年くらいはファームで鍛えてもらうつもりです。いまはこれで巨人のユニホームが着れるんだなあ、といった気持ちです」

 

ドラフト会議で指名された七十選手のトップを切って契約、プロ球界にとび込んだ男はー。巨人のワクいっぱいの六位、全体の六十九番目に指名された春日部工・岡昭彦二塁手(18)=1㍍79、77㌔、右投左打=はいま、胸をときめかせてあこがれの巨人からの指名だっただけに条件を聞く前に入団OK。早々と二十三日に契約をすませた。今年から契約金の制限が撤廃されたためか態度の表明が遅い選手の多い中で、なんともスピーディーな契約第一号選手である。プロ野球の選手、それもあこがれの巨人から誘われるとは思ってもみなかった。ドラフト会議の当日、巨人・内堀スカウトから電話連絡を受けるまで半信半疑だった。この七月までは、機械科を卒業後、父親・昭吾さん(45)の経営する医療器具の製造を手伝うつもりでいた。こんなとき、岡の前に突然現れたのが巨人の内堀スカウト。埼玉県下屈指の強打者ー。こんな新聞の地方版に心を動かされたのだ。今年の四月、大宮で行われた春の大会で目をこらした。「ミートがうまい選手だ。投手から転向したので肩がいい」性格も素直だ。そして、今年の夏の県予選では、一回戦の小松原戦に本塁打を含む三打数三安打、前年度の代表校、川越工を1-0で破ったときも、岡の二塁打が決勝点のきっかけになっている。このとき内堀スカウトはひそかに指名を決めた。岡は目を輝かせていう。「八月までは巨人のテストを受けることになっていました。途中からドラフトに指名するかもしれないらしいから受けなくてもいい、といわれました。それでもドラフト会議の前、新聞にのった候補選手を見たとき、これじゃ指名されるのは無理だと思ってました」幼いときからの巨人ファンで、東京・練馬にいたころ、所属していたリトルリーグ、練馬チームのメンバーと石神井の荒川道場で巨人の王と写した写真がいまでも宝物だ。昨年秋まで投手で五番を打っていたが、コントロールが悪く三塁にコンバートされた。昨年秋からの通算打率が五割二分。ホームランも公式戦での四本を含め十六本打っている。「来年の一月、多摩川の練習からでるつもりです。いっしょに入ることになる定岡(鹿児島実)は甲子園にも出場したし。くやしいと思うけど巨人に入ってからは負けません」一月、プロ選手としてスタートするまで毎日練習を続けるという。

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山本桂

2021-01-18 12:47:47 | 日記

1977年


日本ハムからドラフト指名を受けていた谷村工高の山本桂選手は八日、同校で球団側と正式に契約を取り交わした。山本選手は来年六月ごろ、米大リーグ・ニューヨークヤンキースの野球留学候補の一人に挙げられ、将来、大型内野手に予定されている。

 

山本選手は、都留二中から本格的に野球を始め中学時代は投手で、一年生からレギュラー。谷村工高では投手とライトを守り、三、四番を打っていた。チームの球運に恵まれず全国大会などへの出場経験はないが、大物打者として早くから注目され、ことし六月ごろからプロ野球の全球団のスカウトが訪れていた。先のドラフト会議では、日本ハムが三位で指名、交渉権を得ていた。八日は午後二時から同校応接室で、契約を済ませた後、記者会見をした。嘉村春男校長、長田実野球部監督、丸尾千年次スカウト顧問、父親・貢さん(54)=建設業=に囲まれた山本選手は「ドラフト前からプロに行きたかった。中日の大島選手が好きで、入る限りは全力を尽くしてレギュラーを目指す」と緊張気味に語った。丸尾スカウト顧問は「大型内野手として、サードのコンバートを考える。六月ごろ予定しているニューヨークヤンキースへの留学候補の一人である」と将来の構想を話した。同選手は来年二月の春のキャンプに参加する予定。同選手の契約金は千五百万円、年棒百八十万円(いずれも推定)、ことしの県内高校球児のプロ入りは都留高・佐々木伸投手の広島入団に次いで二人目、日本ハムには都留高ー立大出身の矢頭高雄コーチがいる。

 

山本桂(やまもとかつら)選手 身長183㌢、体重78㌔、右投げ右打ち。高校時代の公式戦通算打率は約3割、本塁打は場外ホーマーを含む5本。都留市つる二丁目。

 

丸尾千年次・日本ハムスカウト顧問の話 すべてが未完成だが、俊足でバッティング、肩がよい。選手としてすべての面を備えている素材である。五、六位の指名が順当なのだが、三位指名にした。

 

長田実・谷村工監督の話 素質はある。甘い考えでなくピチッとした考えを持ち、レギュラーになって欲しい。谷村工の野球の発展につながる。

 

父親・山本貢さんの話 本人の希望通りにさせる考えだった。プロに入ってからは、一生懸命に練習してレギュラーになって欲しい。

 

嘉村春男校長の話 学校として初めてのことで喜んでいる。プロの世界は厳しいが、初心を固めて名前をあげて欲しい。

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サンギルベルト

2021-01-18 12:30:19 | 日記

1992年


広島は十二日、ドミニカ共和国の野球アカデミー出身で支配下選手登録していたロビンソン・チェコ投手(20)とルイス・ぺレス内野手(21)を任意引退とし、新たにマリオ・サンギルベルト投手(18)、フェリックス・ぺルドモ内野手(18)と入団契約を結んだ。年棒はともに四百万円。サンギルベルトは191㌢、78㌔、右投げ右打ち、制球力に難があるが、スピードボールには魅力がある。背番号は107。ぺルドモは173㌢、強肩が売り物の遊撃手。背番号は112。

 

「広島東洋カープ・アカデミー・オブ・ベースボール」出身のドミニカン投手、サンギルベルト投手が8日のダイエー戦(広島)で来日初勝利をあげた。この日、先発した西の後を受け、1点負けている6回からマウンドに登ったサンギルベルト。7回裏には味方打線が3点を奪って逆転し、8回二死満塁のピンチで降板をするまでの2回2/3を無失点に抑えた。後続を高橋が抑えて、サンギルベルトは勝ち投手となり「うれしい」を連発。アカデミー出身選手としても初勝利で、希望の光を見出した感じだ。

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バウチスター

2021-01-18 12:16:18 | 日記

1992年

ついに、5人目のチャレンジャーが登場した。何のことかといえば、カープの外国人選手の戦略。6月26日に骨折したぺルドモ内野手に代えて、バウチスター投手(21歳)と入団契約を結び、支配下登録をしたわけだ。ブラウンだけの外国人1人制で臨んでいるようなものだが、実はこれほど外国人選手をとっ替えひっ替えしたのはカープが最多。昨年ドミニカ共和国に開校した「広島東洋カープ・アカデミーオブベースボール」から派遣して、戦力にしようとする特殊な事情があるにせよ、こうも成功しないと、野球学校経営の意味を問われてしまう。もちろん、カープはチョキ的展望に立った戦略として考えている。日本の野球に適応できる選手を育成するのは、並み大抵のことではない。それにしても、チェコ、ぺレスが失敗して、ぺルドモが思わぬ骨折。今季残った2人はサンギルベルト投手とバウチスター投手。バウチスター投手は140キロ台の速球が武器。でも制球難が解消されないと、ゲームでの登板はムリ。前途は多難だ。

広島は二十六日、ぺルドモ内野手に代わる新外国人として、ドミニカ野球アカデミー出身のアンヘル・バウチスター投手(21)=180㌢、82㌔、右投げ右打ち=を支配下選手登録、セ・リーグから公示された。背番号は「101」、推定年棒四百万円。ぺルドモ内野手は任意引退選手となった。

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ぺルドモ・コジャード・バウチスター

2021-01-18 10:27:20 | 日記

1992年


チェコ、サンギルベルト、ぺレス、ぺルドモ…。1年半前に中米・ドミニカ共和国に開校した広島カープの野球アカデミーからやって来た陽気なカリビアンたちは今、日本式ヤキュウを学ぼうと、異国の地で汗を流している真っ只中。まず、夢にまで見た日本での公式戦(二軍)出場第一号を果たしたのがぺレス内野手だった。4月3日の対オリックス戦(神戸第二)に二番・ショートでスタメン出場。エラーを記録しながらも初安打を放ち、関係者をホッとさせた。そして当時、もう一人支配下選手登録されていたのが、キャンプ地に話題となった145㌔右腕のチェコ。こちらは残念ながら体調不十分で1試合、2イニングを投げただけで、10試合に出場したぺレスと共にドミニカへ帰国した。年明けの来日から5カ月余り。少し短い日本滞在だったが、これにはファーム首脳陣の「10試合前後で大体の力量はつかむことができる」という考えと、「なるべく多くの選手に日本の野球のレベルを肌で感じとってもらいたい」という思惑が絡んでの措置だった。5月12日、新たに登録されたサンギルベルト投手とぺルドモ内野手も前の2人に負けず劣らずの好素材。ぺルドモがデビュー戦で三塁打を打てば、サンギルベルトも初登板で打者3人をピシャリと抑えて見せた。とはいえ、いきなり地球の裏側の国までやって来て、異国の習慣に慣れトレーニング法を短期間でマスターするのは至難のワザ。中には既婚者もいるが、ほとんどが20才前後だけに、初めて訪れた家電販売店で目を丸くして、母国の土産用に靴やカバンなど買い込む一幕もあった。そして一番ビックリしたのが新幹線の速さや、地下鉄などの交通機関の発達ぶりだった。肝心の練習では、暇をもて余すと仲間とおしゃべりを始めるドミニカ流が抜け切っていないが、それでも若さゆえか、物事の呑み込みは早い。日本の練習にも慣れたよ。食事もダイジョーブ!!」と口を揃える。しかし、好事魔多しー。セカンドに定着していたぺルドモが先頃、走者と工作して左スネの下部を骨折して入院。「せっかく、スイッチがモノになりかけていたのに…」と内田二軍打撃コーチを残念がらせた。だが、後ろに控える現在練習生のコジャードとバウチスターも推定400万円といわれる入団契約を目指して元気いっぱい。自分たちの頑張りが自分自身はもちろん後に続く後輩たちの命運を握っているとあって、陽気な男たちの真剣勝負の毎日はこれから続く。

 

フィリックス・ぺルドモ内野手 1973年7月24日生 173㌢67㌔、右投左右打、背番号112

 

ウーゴ・コジャード投手 1973年5月1日生 185㌢77㌔、右投右打、背番号111

 

アンヘル・バウチスター投手 1970年9月15日生 181㌢82㌔、右投右打、背番号101

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西田隆広

2021-01-18 09:30:47 | 日記

1974年


太平洋がドラフトで2位に指名した協和酸酵・西田隆広二塁手(24)=1㍍77、70㌔、右投右打=の入団が濃厚となった。一日、城島スカウトが午後四時半、防府市牟礼今宿の同選手の義兄・福吉速夫さん宅を訪れ、高校時代の元監督・豊永忠臣氏と本人をまじえて話し合い、初の条件提示を行った。同選手は、契約金一千万円、年棒二百万円(いずれも推定)に対し「二日まで考えさせてほしい」と即答をさけたが、プロでやりたいともらしているため太平洋入りは間違いない。

城島スカウトは、二位指名の協和酸酵・西田隆広内野手(24)の自宅(下関市安岡横野町)に母親・セツエさん(57)を訪れ、指名のあいさつを行った。

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