1959年
祓川は、シュートを武器とする投手だが、昨年あたりから伸びてきた。いわゆる真っ向からどのチームにもぶつけられるというタフな投手ではないが、中堅的投手としては、働く力を持っている。
報道陣にとりかこまれた祓川は、ホッとした表情だった。「連投は覚悟していましたけど別に苦しくはなかったですネ。西鉄がボールを打ってくれたので、ピッチングが助かりました」ひたいを流れる汗がとまらない。十五、六日、お盆シリーズと銘うった西鉄との3連戦に南海が勝ち越せば、いよいよペナントへの希望が濃くなってくるし、西鉄とすれば最後の望みをかけたといっていいシリーズだった。15日の第一戦、南海は祓川を先発させ、西鉄は山野本をマウンドに送ったが、意表とも思える山野本起用はまんまと図に当たり、南海打線はすっかり沈黙。「あんなピッチャーから点とれんで、どうするんや」ベンチにひびくのは鶴岡監督のダミ声だった。この第一戦、南海は0対1とシャット・アウトで敗退した。西鉄にとっては、この調子でつづく2試合をモノにして3タテをカマせたいところだったが、翌16日の21回戦は、予定どおり杉浦が快投をみせ、九分どおり勝負をきめたかにみえた。ところが、ドタン場の九回裏この日の当たり屋花井にタイムリーされて2対2、引き分けにされてしまったのだ。1勝1引分、しかし杉浦で引き分けとは、まさに誤算というほかはなかった。ダブル・ヘッダーの第二試合(第三戦)南海は前日にひきつづいて、またも祓川をマウンドに送った。「いまのウチのピッチング・スタッフで、杉浦のほかに頼れるのは祓川だけや」と鶴岡監督がいっていたが、その期待を裏書きするかのように、前日の疲れもみせず、立ちあがりから快調なピッチングをみせた。ピンチといえば、先取点をあげたあとの四回、二死後から豊田に外角球をうまくあわされた右翼線の二塁打だけ。あとは調子をとりもどした感のある西鉄打線をピタリとおさえこんで、よせつけなかった。八回代打の大下にライナーで2ランをブチ込まれたが、これは、「カウントをととのえようとして、ストレートを投げたのがねらわれた。まさかあの球をたたかれるとは…。きょうはスライダーがよかった」といっていたが、九回大事をとった鶴岡監督の杉浦起用にバトンを渡すまで、5安打の散発におさえたのはみごとだった。しかも前日、先発して7イニング投げていただけに、なおさら目立った。「ボクは、いつも八、九回ごろになると打たれる。スタミナには自信があるから、決して疲れるわけではないが、やはり気のゆるみがでてくるのかもしれない」ともいっていた。祓川は大分商出身で、西鉄の地盤がかたい九州地方にもファンが少なくない。こんどのお盆シリーズにも、三塁側の南海ファンからたくさんの声援がとんでいた。「これで14勝(5敗)ですが、勝星のことは気にしないで、とにかく投げまくりますよ。連投だって、やれといわれれば…」杉浦につづく西鉄キラーとして、今シーズンの祓川のみごとな連投でお盆シリーズをのりきった南海は、また一歩ペナントへ前進した。
八月十五、十六両日の平和台における対西鉄戦はまさに死闘だった。西鉄が稲尾を温存して、山野本、畑、若生をそれぞれ先発させれば、南海もまた祓川、杉浦、祓川と一歩もゆるさじと迫った。結果は1勝1敗1分と完全に星を分けてしまったが、第一戦にほとんど完投に近い量を投げていながら、第三戦にこれまた八回を投げて勝利投手になった祓川はまさに西鉄キラーの面目躍如たるものがあった。「西鉄ってべつにこわいとも思わないなあ。疲れているはずなのに、あとの試合の方が投げ易かったくらいだ。ただちょっと八、九回くらいになると自分のピッチングにスキが出て来て打たれるので、それが気にかかる程度です」通称デンスケこと祓川投手は淡々たる表情でこう語るのである。「元来がヌーボーの九州人だけに話をしていてもつかみどころがないが、ピッチングでも一見そうだというのが好投のポイントではないか」と西鉄選手はいっているが、ともかく西鉄キラーという名前ははっきり立証されたわけだ。ところでこの三日あと、杉浦はとんでもない好投をやってのけた。大阪での対東映戦のこと。「はじめっかた調子が良かったので、何とかノーヒットゲームをやってみようと思っていた。五回、二死からはじめて西園寺に打たれたが、やはり大記録というものは容易に作れないものですね」と笑っていた。