プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

1974年プロ野球戦力外選手

2021-01-20 14:51:49 | 日記

1974年


師走の風が冷たく吹き荒れてプロ野球界にも冷酷な年中行事がやってきた。自由契約という名のクビ切り旋風だ。三千万、五千万円と庶民には気の遠くなるよな契約金で新人たちが入団交渉を進めるその裏で、ユニホームを脱いだ選手たちは目の色を変えて第二の人生を切り開こうとしている。

 

「きっと再起してみせる。広島を見返してやるぞ」と、すごいやる気を見せるのは国貞だ。広島を自由契約になった三十歳の内野手。クビを宣告されてからがぜん燃えた。その意気を買ったのが太平洋の江藤新監督だ。「クビになってはじめて、みんな後悔する」と、一度は自分も実業家を目指してユニホームを脱いだ経験から、国貞の後悔ぶりを目につけ、来春早々にテストしたうえで採用する見通しだ。「まとめて面倒を見るか」と江藤監督に声をかけられてホッとしているもう一人の選手はヤクルトの東条。国貞らと一緒に「もう一度野球をやりたい」という自由契約選手を集めて行われるテストにこのベテランも参加することになっている。「チャンスを与えられたオレたちは、ほんのひと握りの幸せものさ」と二人は口をそろえる。そのとおり、解雇をいい渡される前に行方をくらました選手もいる。防御率1位のタイトルをとったこともある関西のある左腕投手は、酒の魅力におぼれたのがまずかった。「エースになれる」とさえいわれたのに、酒を飲みすぎてだんだんと肥え、そのうち体重が雪ダルマ式にふえた。クビの宣告をしようにも連絡がとれないままプロ球界とお別れする悲劇を生んだ。「フロントで一番いやな仕事」といわれるのがこの自由契約選手の決定。それだけに親会社やその傍系に再就職をあっせんするチームも多い。「一流の宣伝マンになって恩返しをします」ときっぱりいうのは近鉄をやめた久保捕手。本社の傍系の広告会社に推薦され、サラリーマンになる。ヤクルトの大木投手は、佐藤球団社長がヤクルト本社に送り込んでくれた。阪神の小笠原外野手は、まじめさが認められ、チームの用具係に転向する。「プレーでは失格したけれど、これからもタイガースの一員ですよ。野球が好きでたまらないんです」と感謝して新しい裏方さんの誕生だ。「色んなことをやってほしいと願う。ボクだってこうしてなんとかやれるんですからね」と、博多市内でヤキトリ屋を経営する縄田洋海さん(28)はいう。昨年限りで太平洋の投手をやめさせられ、先輩・竹之内の出資で開いた店が大はやり。「ライオンズの選手と一杯やりながら野球の半紙をするのが楽しみ」と笑う縄田さん。ことしプロ野球にサヨナラする選手たちもこうあってほしいものだ。

 

今季の主な自由契約選手(4日現在)

【巨人】松本、板東

【阪神】小笠原、才田、江島

【ヤクルト】東条、植原、岩崎

【広島】国貞、藤本、問矢、横山

【ロッテ】青野、城之内

【阪急】オースチン、アマーン、国岡、金橋、田中、畑野、大西

【近鉄】半田、佐野、溜池、久保、真鍋

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北原泰二

2021-01-20 14:21:19 | 日記

1992年


西武に楽しみな右投手が誕生した。敗戦処理からチャンスを掴み、これ以上点をやれない場面での指名が多くなった北原泰二投手にとって今が一番、野球が楽しい時期だろう。1年目は体作り、2年目の昨年はイースタンで5回を投げて11失点。今季も負け試合で何番目かに出てくる投手。正直、北原に対しての印象はこの程度だった。しかし、和田二軍監督を訪ねた時「旬の選手だヨ」と目を細める先に、北原の姿があった。5月24日対ロッテ戦、北原は竹下、長見と90、91年ドラフト1位投手の後を受けてマウンドに立ち、自己最長イニング5回を投げ、今季7試合目にして初勝利を挙げている。聞けば、5月の初め頃から投げ方を変えたという。北原は高校時代、スリークォーターだった。プロ入り後、オーバースローに変えたのだが、コントロールが悪かった。西三雄投手コーチと試合で投げるたびにビデオで研究し、原点に帰るという意味で、腕の出す位置を下げる結論を出したそうだ。北原のように、長身の投手は確かに上から投げた方が球に角度は出るが、逆にサイドスローにしたことによって、打者には球がホップして来るので、スピード表示以上に速さを感じるし、持ち球のシュートも生きてくる。また、今まで体の開きが早く、球の出どころが打者にとって見やすい。という欠点が感じられなくなった。西コーチの、勇気ある決断は、正しかった。そこで今後の課題である。サイドスローは、力を入れれば入れるほど、球に体重が乗らない。かといって今のままでは、腕だけで投げている感は否めない。もう少し腰を沈め、下半身を遣いながら投げる形を、体で覚えることだ。元大洋監督の古葉さんが広島時代、右クリーンアップへのワンポイントとしてチームに一人はサイドスローが必要、と口にしていた。今後、実践を積んで安定性が出てくれば、一軍で中継ぎ、抑えとして活躍するのも夢ではない。5月28日、対日本ハム戦で8回一打逆転の場面で登場、そのピンチは凌いだものの、9回につかまりサヨナラ負けを喫してしまった。得意のシュートがキレず内容は悪かった。しかし、マウンドを降りる際の口惜しそうな表情が嬉しかった。注意して見ていると、北原は目の輝きがいい。練習に取り組む姿勢がいい。プロ入り当時の憧れが渡辺久信という北原。しかし投げ方を変えた今では、川口レッドボーイズ(リトル)の先輩で同じ川口出身の斎藤(巨人)が目標といい切る。北原は、来季以降、西武一軍先発投手を支える中継ぎの一角に、確実に加わることだろう。

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福井保夫

2021-01-20 13:58:34 | 日記

1974年


近鉄バファローズからドラフト1位に指名されていた松下電器の福井保夫投手(22)=180㌢、78㌔、右投げ右打ち=の入団が二十九日内定した。この日午後、津山市川崎の同投手実家を近鉄の中島スカウト部長が訪れ、父親良二さん(55)、母親孝子さん(49)を交え具体的な条件を提示して二回目の交渉に入った。話し合いは約二時間、同投手の気持ちが入団に傾いていたためスムーズに進み内定した。正式契約は十二月中旬、同球団事務所で行われる予定。同投手は四十六年三月、津山商から松下電器に入社、山口高投手の陰に隠れて目立たなかったが、長身から投げ下ろす球には威力がある。決め球はスリークォーターからのスライダーで制球力もよく、若さと体力に恵まれた本格派。

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関口朋幸

2021-01-20 09:17:00 | 日記

1978年


阪急がドラフト1位指名した山梨県吉田商の関口朋幸投手(17)=187㌢、71㌔、右投げ右打ち=の入団が三日内定した。これは同日、阪急の矢野、当銀両スカウトが山梨県南都留郡河口潮町河口の関口投手宅を訪れ、交渉の結果まとまったもので、交渉には関口投手のほか両親、樋口勝彦・吉田商監督が立ち会った。関口投手は「プロ野球選手になるのは子供のころからの夢だった。この夢がかなえられてうれしい。プロに入るからにはやれるだけやりたい」と語っていた。

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