1974年
師走の風が冷たく吹き荒れてプロ野球界にも冷酷な年中行事がやってきた。自由契約という名のクビ切り旋風だ。三千万、五千万円と庶民には気の遠くなるよな契約金で新人たちが入団交渉を進めるその裏で、ユニホームを脱いだ選手たちは目の色を変えて第二の人生を切り開こうとしている。
「きっと再起してみせる。広島を見返してやるぞ」と、すごいやる気を見せるのは国貞だ。広島を自由契約になった三十歳の内野手。クビを宣告されてからがぜん燃えた。その意気を買ったのが太平洋の江藤新監督だ。「クビになってはじめて、みんな後悔する」と、一度は自分も実業家を目指してユニホームを脱いだ経験から、国貞の後悔ぶりを目につけ、来春早々にテストしたうえで採用する見通しだ。「まとめて面倒を見るか」と江藤監督に声をかけられてホッとしているもう一人の選手はヤクルトの東条。国貞らと一緒に「もう一度野球をやりたい」という自由契約選手を集めて行われるテストにこのベテランも参加することになっている。「チャンスを与えられたオレたちは、ほんのひと握りの幸せものさ」と二人は口をそろえる。そのとおり、解雇をいい渡される前に行方をくらました選手もいる。防御率1位のタイトルをとったこともある関西のある左腕投手は、酒の魅力におぼれたのがまずかった。「エースになれる」とさえいわれたのに、酒を飲みすぎてだんだんと肥え、そのうち体重が雪ダルマ式にふえた。クビの宣告をしようにも連絡がとれないままプロ球界とお別れする悲劇を生んだ。「フロントで一番いやな仕事」といわれるのがこの自由契約選手の決定。それだけに親会社やその傍系に再就職をあっせんするチームも多い。「一流の宣伝マンになって恩返しをします」ときっぱりいうのは近鉄をやめた久保捕手。本社の傍系の広告会社に推薦され、サラリーマンになる。ヤクルトの大木投手は、佐藤球団社長がヤクルト本社に送り込んでくれた。阪神の小笠原外野手は、まじめさが認められ、チームの用具係に転向する。「プレーでは失格したけれど、これからもタイガースの一員ですよ。野球が好きでたまらないんです」と感謝して新しい裏方さんの誕生だ。「色んなことをやってほしいと願う。ボクだってこうしてなんとかやれるんですからね」と、博多市内でヤキトリ屋を経営する縄田洋海さん(28)はいう。昨年限りで太平洋の投手をやめさせられ、先輩・竹之内の出資で開いた店が大はやり。「ライオンズの選手と一杯やりながら野球の半紙をするのが楽しみ」と笑う縄田さん。ことしプロ野球にサヨナラする選手たちもこうあってほしいものだ。
今季の主な自由契約選手(4日現在)
【巨人】松本、板東
【阪神】小笠原、才田、江島
【ヤクルト】東条、植原、岩崎
【広島】国貞、藤本、問矢、横山
【ロッテ】青野、城之内
【阪急】オースチン、アマーン、国岡、金橋、田中、畑野、大西
【近鉄】半田、佐野、溜池、久保、真鍋