1962年
広島衛投手は中日からトレード要員の通告を受けていたが、広島カープの横溝外野手との交換トレードが成立せず、自由契約選手となった。広島投手は坂崎、山本八らと浪商の同期で三十五年度は下手投げで15勝を挙げたが、昨シーズンは二十試合に登板して四敗という成績に終わってしまった。
近鉄の秋季練習にテスト生として参加していた元中日の広島衛投手はどうやら不採用になりそうだ。最初は一日、二日テストを受けるつもりでやってきた広島を野口コーチが慎重にテスト練習の形で四、五日かけて観察するよう計ったが、胸部疾患で一年間静養したブランクはいかんともしがない。昨年暮、中日から阪急へ移籍する予定だった矢先に発病した広島は、真剣そのものだったが、元の同僚吉沢捕手もボールを受けてみて、「スピードがうんと落ちている投手が一年も投げていなかったら無理もないが…」と残念がる始末だった。
広島衛投手は中日からトレード要員の通告を受けていたが、広島カープの横溝外野手との交換トレードが成立せず、自由契約選手となった。広島投手は坂崎、山本八らと浪商の同期で三十五年度は下手投げで15勝を挙げたが、昨シーズンは二十試合に登板して四敗という成績に終わってしまった。
近鉄の秋季練習にテスト生として参加していた元中日の広島衛投手はどうやら不採用になりそうだ。最初は一日、二日テストを受けるつもりでやってきた広島を野口コーチが慎重にテスト練習の形で四、五日かけて観察するよう計ったが、胸部疾患で一年間静養したブランクはいかんともしがない。昨年暮、中日から阪急へ移籍する予定だった矢先に発病した広島は、真剣そのものだったが、元の同僚吉沢捕手もボールを受けてみて、「スピードがうんと落ちている投手が一年も投げていなかったら無理もないが…」と残念がる始末だった。