プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

広島衛

2023-05-12 14:25:00 | 日記
1962年
広島衛投手は中日からトレード要員の通告を受けていたが、広島カープの横溝外野手との交換トレードが成立せず、自由契約選手となった。広島投手は坂崎、山本八らと浪商の同期で三十五年度は下手投げで15勝を挙げたが、昨シーズンは二十試合に登板して四敗という成績に終わってしまった。


近鉄の秋季練習にテスト生として参加していた元中日の広島衛投手はどうやら不採用になりそうだ。最初は一日、二日テストを受けるつもりでやってきた広島を野口コーチが慎重にテスト練習の形で四、五日かけて観察するよう計ったが、胸部疾患で一年間静養したブランクはいかんともしがない。昨年暮、中日から阪急へ移籍する予定だった矢先に発病した広島は、真剣そのものだったが、元の同僚吉沢捕手もボールを受けてみて、「スピードがうんと落ちている投手が一年も投げていなかったら無理もないが…」と残念がる始末だった。

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渡辺清

2023-05-12 13:11:29 | 日記
1962年
大洋を去る一人に外野手として渋い攻守を発揮した渡辺清選手がいる。36年はチーム全体の不振もあって冴えなかったが、35年は逃げ込みの守備要員での活躍は忘れられない。渡辺夫人の治子さんは35年のシーズンオフに結婚したばかり。長い阪急の現役時代でなく、大洋にうつって結婚したのもしぶい渡辺選手らしいが、治子夫人にとっては、選手夫人としては一年目でお別れになってしまったわけだ。「でもこの間も主人が、これも二年目のジンクスかなというものですから、どうせ私は貴方の野球生活にはそれほど多くの期待をかけて結婚したわけではないんですから心配いりません、と返事をしたんです。再契約がダメと知って、鈴木さんや浜中さんなどお友達の方が心配してお見えになるんですけど、私たちが明るくのんびりしているもので、安心してお帰りになるようです。私もまだ2年目だしかえって新しい生活にスタートするようなものだと思っています」新生活に幸あれと祈りたい。

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和中史郎

2023-05-12 10:34:18 | 日記
1980年
また一人、名物男が南海を去った。和中史郎打撃投手(36)だ。11日午後、球団事務所に姿をみせた和中は、塩見球団代表に「体力の限界を感じたので退団したい」と申し入れた。塩見球団代表も和中の意志を尊重して、これを受理、すんなり退団が決まった。和歌山工高からテスト生で入団。プロ生活19年、一度として華やかなスポットライトを浴びることなく、バッティング投手一筋に歩み続けた。「同期のマッシーが投げている間は絶対に辞めない。まだまだ投げたい」今季の初めは大張り切りだった和中、試合前黙々と投げる姿をもうみることができない。今後の人生に幸せあれ・・。

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緒方俊明

2023-05-12 10:09:24 | 日記
1958年
広島で、オールスター戦が終り、2、3日たってから、西日本新聞運動部を訪れた緒方俊明氏(巨人ー西日本ー西鉄ー東映)が、親しい友人にもらした言葉が、「杉浦をセの打者が打ち崩したことは、ライオンズへのカンフル注射だよ。また杉浦が打たれ、稲尾が本来のピッチングをみせ自信を持った。これが一つのきっかけ、つぎは西鉄に廻るだろう」と。「理論を度外視して、いたずらにつきを信ずることは無暴かも知れない。しかし長いペナント・レースにこのつぎがなんかの拍子で必ずやってくる。僕は、オール・スター以後の西鉄のつきを信じたいね」そういい残すと、いまは悠々自適の生活をしている故郷熊本県に帰って行った。


1985年


緒方は早稲田から学徒出陣の海軍航空兵。兵隊から帰ってきて22年秋巨人入り。そこですぐ3勝をあげるのだが、出番が少なく25年、新設の西日本パイレーツに移って一気に20勝投手へ。チームは合併して西鉄ライオンズ。カーブの使い分けが巧妙で安定したピッチングをつづけていたが、西鉄が東急のホームラン王・大下弘を獲得することから、西鉄の長距離打者・深見安博とともに東急へと移った。引退してから母校の指導をした。教え子のひとりに、今季から巨人のファーム・ディレクターの江藤省三がいる。

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小林誠、谷口勝範

2023-05-12 09:49:50 | 日記
1963年
さきに40人のテストの結果二人が合格した。小林誠は福島県保原高出身、中学校時代は投手、三塁、高校で遊撃、外野をやっていた。38年県予選で春は優勝、夏は準優勝に出場、18歳、175㌢、73㌔。もう一人の谷口勝範はノンプロ、川口の永幸工場の投手、東京世田谷の烏山中から駒場学園高校を去年卒業してノンプロに一年ほどいた。20歳、181㌢、74㌔。この二人とも、ふしぎとお父さんが早く亡くなられて、お母さん育ち・・一日も早くプロのユニフォームを着て母親孝行がしたいと、目をかがやかせていた。

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