プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

町田公雄

2023-05-23 17:14:12 | 日記
1978年
引退理由を「能力に限界」とだけ報じられた町田だが、その弁を聞けば、大部分のプロ野球選手が抱く悩みを代弁しているといえなくもない。「このままでいけば、ある程度試合にも出れただろう。だが、僕の場合、四年目といっても高校出の選手と年が違う。年棒は百万円アップして三百六十万円になったが、これでもプロ選手としてはギリギリの生活を強いられている。好きな野球をしてお金をもらえるのだから、それは最高なのだが、もしこのままズルズルいけば、野球を続けられなくなったときにどうすればいいのだろう。それに選手は1個の商品。球団からクビといわれれば、組合もない我々はそれっきり。女房も子供もいる。両親の面倒もみてやりたい。ならば、今が転身のチャンスだと思ったのです。こんな気持ちがあるから、あんな三球三振もするのだろうし、転身と野球の二マタをかけている自分にほとほといやけがさしたわけです。町田の新しい人生は、義父の仕事の手伝い。といっても、ズブの素人だけに、その下請け会社に出向いて、最低1年は丁稚として修業する身という。八十五試合、九十九打数二十安打、打点三、本塁打一本、打率二割二厘ーこれがプロ向きじゃなかった男、町田のプロ三年間の全成績である。

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尾藤龍哉

2023-05-23 13:15:29 | 日記
1976年
昨年阪神のテスト名まで入団した尾藤龍哉投手(20)わずか一年で首になったが、ただいま、大学受験を目指して猛勉強。二浪したと思えばいい。プロの生活も味わったし、人生何事も遅すぎるということはないと思う」この尾藤君のお手本になるのが、元広島の榊原氏。十五年前、広島を首になった時、球団が東洋工業へ就職を斡旋したが、これを蹴って中大を受験して合格。そして五年後、正面から東洋工業の入社試験を受けて堂々の入社。「ダメだと烙印を押されたら未練を断ち切って、新しい人生を進むべきだ」と榊原氏はいう。「野球だけが人生」と思い込んでいる二軍選手はとくと傾聴すべし。


「いや、驚いたのなんの、たしたもんですね」阪神の掛布三塁手が、ひたすら感嘆していた。ムリもない。昨年11月、たった一年でクビになった僚友・尾藤龍哉君(21)が、この春三つの大学を受けて、すべて合格してしまったのだ。愛知大、中京大、日本福祉大の各経済学部。そうラクにはいれない大学ばかりである。この尾藤君、愛知県立瀬戸高校時代は、野球は好きだったというものの、もっぱら勉学に励み、早大理工学部を受験して惜しくも失敗。「浪人中に、大好きな阪神の入団テストがあり、ひやかしに受けてみたら合格。もう一年浪人するつもりで入団しました」契約金ゼロ、年棒は100万円。「素人だったが、背が高く手首も強かったので投手として採用した。頭のいい子でね。性格も純粋でいつも精いっぱい練習していました。ナインの間でも人気者で、こんな好青年をみたことがない」(藤村隆男元阪神二軍コーチ)みんなに好かれても、初戦は実力の世界である。肩をこわしては野球生活ともおさらば。福祉大に入って、将来はマスコミ関係に進みたいという尾藤君の、一風変わった野球人生だった。

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吉年滝徳

2023-05-23 11:37:19 | 日記
1995年
関西が序盤、一気の攻勢で勝負を決めた。17安打の11点を挙げ、エース吉年をもり立てた。吉年は立ち上がりこそ制球に苦しんだが、伸びのある速球にカーブ、フォークボールを織り交ぜ完ぺきな投球で相手打線をほんろう。七回二死まで無安打に抑える好投で、被安打わずか2、10奪三振の完封を達成した。

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田嶋敏雄

2023-05-23 10:41:00 | 日記
1983年
エースは田嶋。滋賀県№1の投手である。177㌢、70㌔とがっちりとした体で、スリークォーターから大小2種類のカーブと速球、ナチュラルシュートをうまく投げ分ける。センバツでは対東北戦に持てる力の半分も出せなかったが、甲子園のマウンドを踏んだ自信は大きな財産となっている。滋賀県代表では、湖北の怪童と騒がれ、春の県大会でも実力を十分発揮した。この調子が続けば、春果たせなかった夢を夏の甲子園での期待はさらにふくらんでいく。

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畑口健二

2023-05-23 09:43:00 | 日記
1965年
新人採用制度が、いよいよ発足するが、しめたとほくそえんでいるのが、森代表。新人登録が停止になるぎりぎり前に一人大物を登録しているからだ。その選手は、畑口健二投手。まだ十八歳。身長1メートル79、体重80キロ、左投げ左打ち。浪商のエースだったが、あるトラブルで、学校をやめたところを、藤井スカウトが、発見、すぐ横浜高へ転向させ、二、三年後のホープとして期待している。すでに畑口君は、合宿入りし、元気に練習に励んでいるが、往年の名サウスポーだった谷口舎監をはじめ、入谷、森田コーチらにていねいに教えられ、グングン、その素質を伸ばしつつある。

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大庭清

2023-05-23 08:10:25 | 日記
1964年
このところ大庭清という聞きなれない新鋭が、しばしば登板しているが、武末コーチ推奨の成長株の三年生投手である。同期に与田、鈴木五らがいるが、大庭は八月二日の対阪急21回戦(平和台)で投げたのがプロ入り初の公式戦登板。実に3年目にしてようやく日の当る場所へ出たというわけ。ところで、武末コーチが、この大庭へかける期待が大きいのにはわけがある。かつてサブマリン投手で一世を風ビした武末コーチは、素質のある若手へ下手投げの投法を指導、オーバースローからサブマリンへ変えた例もある。三年生の下川が昨シーズン、アンダースローで公式戦で投げていたが、下川はもともとオーバースロー。武末コーチの指導で投法を変えたものだった。大庭もそのひとりであるが、特に大庭は三年前の佐世保北高からの入団以来オーバースローから下手投げに指導されたものである。しかし、武末門下からまだ、実績を残す投手は出ていない。反対に下川はみずからオーバースロー転向を申し出る始末。そこで武末コーチとしても苦労して指導してきた大庭にぜひとも武末式指導の真価のほどをみせてほしいわけだ。

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秋元肇

2023-05-23 08:02:41 | 日記
1964年
全国高校野球中九州予選で活躍した大分県中津市、中津東高校の本格派エース秋元肇投手(184㌢、78㌔=右投げ右打ち)は十九日同市本町、料亭筑紫亭で中日ドラゴンズの池田義足スカウトと契約書に調印、中日入団が決まった。調印には実母ミノルさん(43)のほか同校体育後援会長土生英夫氏、吉武同校野球部長らが立ち会った。長身から投げおろす豪速球に加えて、切れのよいシュート、ドロップを駆使して各大会に活躍、実力県下随一と評されていた。大洋、中日、広島、阪急が交渉していたが、築上郡筑城町の秋元の実家にくい込んだ中日が獲得に成功したもの。

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