プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

藤本雄司

2023-05-20 16:41:45 | 日記
1981年
「高知県ナンバーワン投手」といわれた安芸工・藤本雄司君(18)=180㌢、65㌔の評判もいい。ある在京球団のスカウトは、「中央球界では無名ですけどスピード、体つき、フォームもすばらしい。コントロールがいまひとつだが、球速は135~140キロ台。案外早く出てくるかもしれない。まず四位以内には指名されるだろう」と、太鼓判を押すほどだ。右の本格派で二種類のカーブと外角のストレートが武器。一試合の平均奪三振は十個。高二のとき、高知県下の選抜メンバーでフィリピンに遠征し、ノーヒット・ノーランの快投を演じている。現在、急、近、中、西以外の八球団が名乗りをあげている。「中学時代は全然コントロールがなくて、控えだった。うちにきてよくなったけど、甲子園までは進めなかった。今年は一回戦で高知商と当り負けました。素質はいいものもってるし、性格もピッチャー向きだから将来性はあるが、一応、三菱重工神戸に内定しているんですよ。どっちにいくかは本人と家族にまかせている」(池内英夫監督)

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安木祥二

2023-05-20 16:41:45 | 日記
1985年
中日を自由契約になったのを機に、引退に踏みきった安木祥二投手(36才)サンケイー太平洋ーロッテー中日とジプシー生活をつづけ、巨人を除く全球団から勝ち星を奪ったことで名を売ったベテラン投手も、いまは大転換をして喫茶店のマスターにおさまっている。倉敷市平田にある和風軽食喫茶さうすぼうがそれ。「引退してブラブラしていてもしようがないので、女房の親戚がやっていた喫茶店を引きついだんですよ」オープンしたのは1月5日。「女房と2人でやっているんですが、いままでプロ野球の世界では考えてもみなかった250円という小さいお金(コーヒー代)に頭を下げることから、社会勉強をしなおしているんです。おかげさまで、毎日忙しくやっていますが、公式戦のナイターが始まったら、ますます忙しくなるでしょうね。お客さまに野球の解説をすることになるでしょうからね。ハハハ」と屈託ない笑い声。「このままずっと店を続けるかほかの仕事に手を出すか、まだ決めてはいませんが、とにかく毎日に張りがあって、充実した生活を続けています。いまは野球には全然未練はありません」

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ノンプロ転向先

2023-05-20 15:41:28 | 日記
1954年


岩本義行 外野 洋松 徳陽相互銀行
萩原寛 外野 巨人 高崎理研
奥田元 遊撃 近鉄 高崎理研
高塚峰治 捕手 近鉄 高崎理研
横井啓二 捕手 阪神 日鉄二瀬
大原博志 二塁 阪神 日鉄二瀬
江上重孝 投手 南海 日鉄二瀬
和田武彦 投手 中日 大生相互
加藤一昭 三塁 中日 大生相互
石鉢勝美 投手 中日 川島紡績
東泉東二 投手 東急 日本石油
征矢高行 投手 巨人 トキコ
井上親一郎 捕手 国鉄 米子鉄道
吉川健 投手 巨人 大生相互
佐藤公男 投手 洋松 東鉄
池田吉夫 投手 阪神 松下電器
真鍋光輝 投手 阪急 大鉄吹田
今井友保 内野 阪神 大鉄吹田
伊沢修 外野 阪神 大鉄吹田
石川清逸 投手 洋松 春美クラブ
藤道昭和 投手 洋松 春美クラブ
岸本千明 投手 南海 春美クラブ
榊原重人 外野 南海 春美クラブ
金城政夫 外野 東鉄 横須賀NAS
綱島新八 外野 洋松 明治座
市川祐美 外野 中日 東紡富田
辻谷寿一 内野 南海 東紡富田
中辻昇 投手 南海 三重交通
清池英幸 捕手 南海 三重交通
岩井活水 投手 広島 岩田鋳造
飯盛節一 投手 広島 岩田鋳造
浅田肇 投手 国鉄 札鉄
広田康三 捕手 南海 日鉄北松
新村孝造 投手 近鉄 倉敷レーヨン
大西寛介 外野 中日 愛産
樽井信章 投手 東急 明和酒類
鶴丸嘉蔵 投手 巨人 清峯金属
吉田強 外野 巨人 清峯金属
石川要 内野 中日 清峯金属
小山恒三 投手 国鉄 国鉄本庁
小川英雄 捕手 阪急 四国鉄道
野本喜一郎 投手 近鉄 岩田鋳造
寺本昭八郎 投手 中日 NBC
国木彦林 内野 南海 三重交通
中原弘 捕手 南海 志免鉱業
三浦正造 投手 阪神 志免鉱業
菊地博仁 一塁 広島 嘉穂鉱業
河野博 外野 阪神 神戸製鋼
林忠雄 投手 近鉄 篠崎倉庫
浮田逸郎 投手 洋松 佐世保クラブ

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岸川登俊

2023-05-20 15:01:20 | 日記
2000年
自分をめがけて飛んできた打球に、岸川登俊は「しめた」と思ったという。それが痛恨の力みにつながった。強めだったとはいえ、狙い通りの併殺コースに、グラブが追い付かなかった。体に当り三塁方向に転々とするボール。岸川のプロ初勝利は、その白球とともに遠のいていった。プロ6年目で通産0勝3。ロッテー中日と渡り歩き、オリックスに移ってからも、ほとんどが対左打者の三ポイントの中継ぎ登板。初勝利どころか、先発マウンドという経験自体が貴重であった。オリックスは、7月になると先発陣に故障が相次いだ。ライバルの西武に、苦手とする左腕をぶつける首脳陣の方針があり、岸川も西武戦限定で先発に回った。「先発でも、いつも中継ぎのときと同じ気持ちだった。1イニング、一人一人を抑えていこうと。5回を投げたら勝ち投手、なんて意識しなかったのですが・・・」過去3度は、早々とマウンドを降りた。だが今季4度目の先発となった8月31日、岸川は初勝利に限りなく近づいた。初回に2点、4回に6点と味方が大量得点。失点は初回と4回に1点ずつで、楽勝ムードが漂っていた。5回裏、先頭の松井とフェルナンデスに連打を許した。1点返されて無死満塁、五番・和田を迎えた。「ヒザ元へのスライダー」右打者を詰まらせる計算は、ピタリとはまった。和田の打球はバットの根元に当ってマウンド方向に転がる。だれもが併殺、と思った矢先に、岸川はこの打球を弾いてしまったのだ。続く垣内には前の打席で、ソロ本塁打を浴びていた。「惜しいことをした。実戦経験のなさが、あそこで出るとは…」(河村投手コーチ)ベンチは初勝利目前の岸川に降板を告げたが、ゲームの流れを考えれば致し方ないさい配だ。ゲーム経験という魔物に屈し、岸川は悔し涙を飲み込んだ。

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岸川登俊

2023-05-20 15:00:58 | 日記
2000年
自分をめがけて飛んできた打球に、岸川登俊は「しめた」と思ったという。それが痛恨の力みにつながった。強めだったとはいえ、狙い通りの併殺コースに、グラブが追い付かなかった。体に当り三塁方向に転々とするボール。岸川のプロ初勝利は、その白球とともに遠のいていった。プロ6年目で通産0勝3。ロッテー中日と渡り歩き、オリックスに移ってからも、ほとんどが対左打者の三ポイントの中継ぎ登板。初勝利どころか、先発マウンドという経験自体が貴重であった。オリックスは、7月になると先発陣に故障が相次いだ。ライバルの西武に、苦手とする左腕をぶつける首脳陣の方針があり、岸川も西武戦限定で先発に回った。「先発でも、いつも中継ぎのときと同じ気持ちだった。1イニング、一人一人を抑えていこうと。5回を投げたら勝ち投手、なんて意識しなかったのですが・・・」過去3度は、早々とマウンドを降りた。だが今季4度目の先発となった8月31日、岸川は初勝利に限りなく近づいた。初回に2点、4回に6点と味方が大量得点。失点は初回と4回に1点ずつで、楽勝ムードが漂っていた。5回裏、先頭の松井とフェルナンデスに連打を許した。1点返されて無死満塁、五番・和田を迎えた。「ヒザ元へのスライダー」右打者を詰まらせる計算は、ピタリとはまった。和田の打球はバットの根元に当ってマウンド方向に転がる。だれもが併殺、と思った矢先に、岸川はこの打球を弾いてしまったのだ。続く垣内には前の打席で、ソロ本塁打を浴びていた。「惜しいことをした。実戦経験のなさが、あそこで出るとは…」(河村投手コーチ)ベンチは初勝利目前の岸川に降板を告げたが、ゲームの流れを考えれば致し方ないさい配だ。ゲーム経験という魔物に屈し、岸川は悔し涙を飲み込んだ。

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吉年滝徳

2023-05-20 11:17:51 | 日記
1995年


昨年夏から3季連続甲子園に導いた大型左腕。落差のあるカーブに魅力。
吉年は初戦で制球を乱したものの、1メートル86の長身から投げおろす速球と縦のカーブをうまく使うなど、頭脳派の面を持つ投手だ。


評判の大型左腕、関西の吉年が毎回の13奪三振を奪う快投。1メートル86の長身から投げおろす速球に加え、「三種類ある」というカーブを駆使して、清陵情報打線から三振の山を築いた。

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木村恵二

2023-05-20 09:00:43 | 日記
1990年


近大時代は山内(オリックス)らに次ぐ三番手。140キロ台の速球とカーブの緩急差が持ち味。177センチ、70キロ。右打ち。25歳。

1995年

根本前監督が率いた昨年までの二年間、抑えとしてフル回転だった木村恵二投手が、豪州キャンプで、「先発転向」を首脳陣にアピールしている。王監督が打ち出した「レポート書き」でも、いきなり、初日から「先発希望」を書いた木村。2月8日には、王監督直々、打席に立った場面で、68球のピッチングを行った。そしてルーキー・イヤーに西武の清原を4打席4三振に打ち取った落差の大きなカーブを投げ「オッ」と王監督のド肝を抜いた。「去年のカーブは横の変化でしたけど、今年はタテの変化。いい感じですよ」指揮官の伝家の宝刀、縦割れのカーブをアピールした木村はニコニコ顔。「次のクールから、スライダーにフォークも投げます」先発転向を実現させようと、木村が目の色を変えている。

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佐々木重樹

2023-05-20 08:50:58 | 日記
1990年
「この外人はいけるかもしれない」とチームメイトからからかわれているのは、5ヶ月間の米大リーグのA級・サリナスへの野球留学から帰国したヤクルトの佐々木重樹投手、すっかりアメリカかぶれしたようで、その投球フォームはノーラン・ライアンにウリふたつ。もともと体型が日本人離れした筋肉隆々の逆三角形をしていることもあり、遠目に見たら「ヤクルトに4人目の外人が入団したのか?」と錯覚してしまうほど。帰国後2試合に登板し、重い速球を武器に6回を3失点とまずまず。来季へのテストも兼ね近々、一軍にもデビューの予定。

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嵯峨健四郎

2023-05-20 08:46:11 | 日記
1984年
東映から投手として移籍し、肘を痛めて活躍できなかった嵯峨健四郎氏はいま都内世田谷区松原に住んでいる。大洋塗装工業KK第三事業部の課長として働いているが、トレードで入団した吉田(勝)、森永、高倉、田中で私をスタメンに入れておいて幻惑し、私が打者一人を打ちとったら伊藤芳明投手にリレーするという作戦が立てられた。私はつまりアテ馬ですよ。その日、阪神はいつものように左打者ばかりを私の前に並べてきた。私は一番バッターの吉田選手をピッチャーゴロに打ちとったあと、監督が出てくる以前に自分からすたすたとマウンドを降りました。勝つための手段だとはいっても、このときばかりはプライドを傷つけられましたね」と、笑った。勝つためには個人の感情やプライドなど問題にしてはおれんのだ。

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宮沢澄也

2023-05-20 08:40:52 | 日記
1981年
「この道、30年ですからねぇ。このまま、終わってほしくはありませんよ」5月末のロッテ、阪急、西武戦で3年ぶりの6連敗で、誰よりも歯ギシリをしているのが、チーム付きの宮沢澄也スコアラーだ。宮沢さんは、5月いっぱいで球団職員を定年(55歳)となり、6月からは嘱託としてナインの一挙手一投足を追っているのだ。26年に明大から東急入り。その後、東映、日拓、日本ハムと親会社は変わったが、宮沢さんは投手、コーチ、スカウト、スコアラーと、その青春をチームに燃やしてきた生え抜き、いわば歴史なのだ。

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坪井新三郎

2023-05-20 08:35:13 | 日記
1977年
久し振りに名古屋で試合を見て思い出されたのは、坪井信三路(クラウン)がファームから引っぱりあげられたころの中日である。華麗な名プレーヤーではないが、ファームでとにかく元気がいい。百六十八㌢、打席の一番前に立って、デッドボールでも一塁に出ようという男。二軍寮長の岩本信一さんが明石のキャンプでけしかけた。「おい、監督に売り込め」すると坪井。二軍の練習場からノコノコと一軍の練習場に行って水原監督(当時)に一礼して、参院選ではないがこういった。「坪井です。よろしくお願いします。サードは坪井です」おもしろいと水原監督、チームが不振になるとこの男を使い、ほかの選手を刺激した。

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