プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

ジミー・ボンナ

2024-03-05 08:54:07 | 日記
1976年
ジミー・ボンナは古い資料によると、身長1㍍87、体重91㌔、ヘビー級世界チャンピオン、モハメッド、アリは1メートル89だから、まずあのアリだと思えばいい。見事な体である。横浜港に上陸したとき、鮮やかにいい切った。「私のニックネームはガン・ボンナ、キャッチフレーズは1試合15奪三振」ガン・ボンナとは日本語に訳して鉄砲ボンナとでも、鉄腕でもいったらいいのか、1試合15奪三振とは驚いた。昭和11年の夏、大東京軍代表鈴木龍二は米球界に精通している名古屋軍球団代表河野安通志より、耳よりな話題を聞き込んだ。「鈴木さん、黒人なんだが素晴らしい投手がいる。ジミー・ボンナっていって、いま25歳の働き盛りだ。本当はうちでとりたいがノースとハリスって白人の外人がいるだろう。だからまずいんだよ。よかったらあんたのところでとらないかね」ここに黒人が参加すれば、興行的立場からみても、衝撃的成功をおさめるかもしれない。鈴木はとびついた。さっそく調査してみると、彼はカリフォルニア州サクラメントになるオークスに所属、右投げ右打ち、内野手もできるうえ、打撃もいいという。鈴木はオークスあてに移籍の手続きをとった。鈴木の提示したボンナの給料は200円。三原脩200円、田部武雄180円、苅田久徳170円、スタルヒン150円、要するに巨人軍の大スター級と同一給料を提示したのだから、いかに鈴木がボンナを買っていたかわかるだろう。ボンナは10月21日、横浜港についた。なぜ、来日日時がこれほど正確にわかっているのか。それは彼が来日2日後の23日、宝塚球場の対阪神3回戦前にデビューしているからだ。22日夜、大東京ナインと合流した。ここで彼はナインを前に、一世一代の大演説をぶち始めた。「私の名はジミー・ボンナ。ニックネームはガン・ボンナ。いままでの最高記録は1試合に22奪三振。だから日本にきたら1試合平均15奪三振。これが私のキャッチフレーズだ」ナインはポカンとしている。「登板しない日は二塁か三塁をやる。いままでの通算打率は3割5分、残念だが天才タイ・カップ(タイガース)の終身打率3割6分7厘(打数11429、安打4191)にはおよばない。これは許していただきたい」鈴木代表は「あすの対阪神戦はボンナを先発させよう。阪神は間違いなく若林忠志だ。これは受けるぜ。おいマネージャー、ボンナには血のしたたるビフテキを3人前、球団のツケで食わせてやれ」当時の大東京軍はあまり金がない。翌日、運命の巨人対阪神戦が始まった。鈴木代表はネット裏で笑いがとまらない。大東京は1点を先取して、ボンナはより余裕をもってマウンドに立った。ボンナはトップ打者藤井勇に第1球を投げた。その瞬間、大東京ナインも阪神も、そしてネット裏にいる鈴木代表もあっと思った。まるでスピードがない、しかもコントロールがない。途中でハエのとまるようなボールしか投げられない。ボンナは藤井を四球で歩かせた。「おい、どうなってるんだ」そう思っているうち、こんどは二番松木謙次郎、三番小島利男も歩かせた。無死満塁。四番景浦将も歩かせた。1対1の同点である。五番山口政信を遊飛にし、一死満塁。六番伊賀上良平がはいった。初球、2球目、ボンナはストライクをとった。2-0。ボンナは2-0からカーブを投げた。伊賀上はジャストミートし、左翼席中段へ入る満塁本塁打となった。その夜、大東京軍の幹部は白っぽ顔つきになった。翌24日、宝塚球場での対阪神戦にまたボンナが先発した。トップ打者は平桝敏男、また平桝を四球で歩かせた。するとボンナはマウンドからすっとんできて、捕手筒井良武に注文を出した。「もっと投げやすく構えろ」「この野郎、能書きが多いんだよ」筒井はムッとした。二番藤井も歩かせた、どうやら筒井の捕球姿勢には関係ないらしい。ここでボンナは降板。ボンナは10日後の11月3日、対セネタース3回戦に先発、また負け投手になった。鈴木代表は投手としてはあきらめた。それなら内野手で使ってみよう。11月10日、上井草球場での対阪急4回戦に二塁手として先発させた。まるで使い物にならない。試合は5対14で負け。その夜、鈴木代表はボンナをよび出した。「あのなあボンナ、あしたアメリカに帰ってもいいわ」「特別休暇かね」「うん、特別休暇でもなんでもいい。ただし来季はもう、こなくてもいい」黒人第一号ボンナ。来日20日間、7試合で消えて行った。むろん、その後の彼の消息について知るよしもない。ホラ吹き1号鉄砲ボンナはいま生きていたら65歳。「おれが40年前、日本にいったときは、1試合平均15を奪い、ホームランをポンポン打ち、すごいスターじゃった」案外、そんなことをいっているかもしれない。

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ジミー・ボンナ

2024-03-05 08:19:53 | 日記
「僕は、もと米大リーグにいた速球投手だ。試合前、ビフテキの大きいのを食べさせてくれれば、必ずノー・ヒットに押さえてみせるよ」ボンナ投手は、入団当時、そう豪語した。「これはすごい投手がはいってくれた」永井監督は喜んだ。しかし、いざ試合に使ってみると、速球とはまっ赤なうそで、投げるボールは手ごろの半速球。ボカスカ打たれて、シリーズ途中で、あっさりクビになってしまった。


「20三振の試合もやった。アイ・アム・チャンピオン!」という触れ込みで来日、日本人選手が梅干しに味噌汁の朝食なのに、レアの大ステーキを食べさせてもらったりしたが、ノーコンもいいとこ、在日1ヶ月で0勝1敗のクビ。防御率9.90。97年の巨人のルイスほか2名、かつてのペピトーン(ヤクルト)からトマ損ことトマソン(巨人)らの、大先輩の初外国人選手であった。

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オヘイダ

2024-03-05 08:11:07 | 日記
2008年
ベネズエラ出身の怪腕が抜きんでた身体能力の高さを見せ、育成選手としての契約をゲットしたのは22日のこと。21日の入団テストで披露した投球フォームは下半身を使わずに腕だけで投げる、いわゆる「手投げ」だ。さらにセットポジションでは右足をプレートに乗せ、左足を後方に伸ばす変則的なフォームだったが、岡田監督は「我流いうか、あの投げ方で143か144㌔出とったわ。持ってる運動能力が違うんやな」と潜在能力に目を見張った。「これを一年、日本で教えたらどうなるかや。これまでになかったケースや」と胸を躍らせる。オヘイダはバルディリスとともに、前日25日にチームの寮施設「虎風荘」に入寮を済ませ、この日から2軍本体に合流。本格的なトレーニングを開始した。そして早速、星野、葛西両2軍投手コーチが見守る中で145球の投球練習。変則的なセットポジションを、打者に対して平行に立つオーソドックスな形に直して投げ込んだ。星野コーチは「まだクセはあるけど、だいぶよくなった」と説明。オヘイダ自身も「いい感じだよ。実戦ではコーチに教わったことを意識して、100%の力で投げたいね」と前向きだ。超変則フォームに改良を加え、育成右腕が早くも真の実戦でベールを脱ぐ。

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デハート

2024-03-05 07:56:28 | 日記
1999年
広島は米大リーグ、エクスポズ傘下の3Aオタワのリック・デハート投手(31)=184㌢、82㌔=左投げ左打ち=と十六日未明にも正式契約することを十五日に明らかにした。渡米して直接交渉し、同日に帰国した松田元オーナー代行によると、デハートは大リーグのウエーバー期限の切れる日本時間の十六日午前三時までに、大リーグの球団が獲得を表明しない場合、自動的に広島と契約が成立することになっている。松田オーナー代行は四日、ヤンキース傘下の3Aコロンバスとの公式戦に登板したデハートを視察。「カーブが大きく、直球も140㌔は出ていた。左打者だけでなく、右にも使えそう」と期待を口にした。デハートの来日は二十二日以降になる見込みで、チーム合流は月末になる。年棒は推定十五万㌦(約千八百万円)で背番号は「12」を予定。


広島が米大リーグ、エクスポズ傘下の3Aオタワから獲得したリック・デハート投手(31)=183㌢、82㌔、左投げ左打ち=が二十二日、広島県佐伯郡大野町の大野室内総合練習場で、来日後の初の練習をした。午前中に入団の手続きなどを終えたデハートは、午後から達川コーチ、水本ブルペン捕手とともに練習を開始。二十一日夜に広島に着いたばかりだが、疲れた様子もなく、明るい表情でストレッチ、ランニングをこなした。キャッチボールの後、捕手を立たせての投球練習も披露。来日前の四日間はグアムで練習を積んできたとあって、カーブ、フォークを交えて約20球をテンポ良く投げ込んだ。その後もノック、筋力トレーニングとメニューを消化。早期の一軍合流に向け、意欲的な姿勢を見せていた。現在、一軍の左腕投手は山田喜の一人だけで、デハートには中継ぎの軸としての期待がかかる。


広島が米大リーグ・エクスポズ傘下の3Aオタワから獲得したリック・デハート投手(31)=183㌢、82㌔、左投げ右打ち=が二十五日、広島市民球場で入団会見をした。この日出場選手登録され、さっそく一軍ベンチ入りした。会見では、多くの報道陣を前に落ち着いた表情で「広島カープに入団できて光栄。非常に素晴らしいチームと聞いている」広島の印象を口にし、「チームに貢献できるよう頑張りたい。勝っても負けても全力を尽くすよ」と、力強く抱負を語った。中継ぎとして3Aで52試合、大リーグでも3試合に登板した実績を持つ左腕。「左封じ」としての期待が大きく、「松井や高橋(いずれも巨人)らのビデオは見た。(日本の野球に)慣れるのに少し時間がかかるかもしれないが、いい成績を残せると思う」と自信をみせた。

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