1981年
4度の甲子園出場を果たした東北の星。ノーコン病に泣いたが、最後の三年の夏に真価をみせた。ややスリークォーター気味にでる腕からの速球にはナチュラル・シュートがかかる。「おもしろい球を投げる、まず中継ぎで使いたい」と国松二軍監督。最近の投手には珍しく小柄。本人もカラダのないことを知っており、「速球よりも変化球。打者心理の勉強が必要」と頭脳派宣言。粘り強い性格。貴重な左腕。活躍の機会は意外に早いだろう。
4度の甲子園出場を果たした東北の星。ノーコン病に泣いたが、最後の三年の夏に真価をみせた。ややスリークォーター気味にでる腕からの速球にはナチュラル・シュートがかかる。「おもしろい球を投げる、まず中継ぎで使いたい」と国松二軍監督。最近の投手には珍しく小柄。本人もカラダのないことを知っており、「速球よりも変化球。打者心理の勉強が必要」と頭脳派宣言。粘り強い性格。貴重な左腕。活躍の機会は意外に早いだろう。