プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

梶原和隆

2024-03-26 21:54:33 | 日記
2002年
「理想はストレートで三振がとれる投手。福原投手を目標に頑張りたい」プロ入り決定後、競輪自転車トレーニングを取り入れ、下半身を徹底強化。現在、MAX143キロの球速を150キロにアップさせるべく日夜精進の真っ最中。どんな場面でも強気で攻め込んでいくピッチングを信条に虎のドクターKを目指す。

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鈴木弘規

2024-03-26 21:52:35 | 日記
1981年


ジャンボのあだ名通り体は大きいが甘えん坊。嫁さんは姉さんのような人がいいという24歳。昨年、教育リーグへ参加し大きな自信をつけた一人。
1982年


谷村(現阪急)とのトレードで阪神に来てから今年で3年。長身(190㌢)から投げ降ろすストレートは、一軍相手でも威力充分。


1983年


工藤、伊藤、藤原、益山に続いて一軍に定着して欲しい投手。昨年暮に結婚、ことしに賭ける闘志はすごい。少々ムラッ気があるのが欠点。落ち着けば実力は十分。


1984年


3つ目のチームで、気分もガラリと変わった。阪急、阪神ではチャンスを生かしきれなかったが、長身を生かしてのストレートは健在。課題はコントロール。カベを突き破れば、一軍での先発も夢ではないのだが…。

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谷村智啓

2024-03-26 21:41:48 | 日記
1985年


勇者投手陣の最古参。全盛期のかみそりシュートの威力は衰えたとはいえ、ベテランらしいピッチングのうまさは若手の見本。まだ老け込む年ではない。

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宮本四郎

2024-03-26 21:38:18 | 日記
1985年
プロ生活9年間で通算6勝の男が10年目の昨シーズン一挙に8勝し優勝に貢献した。内外角、高低に投げ分ける絶妙のコントロールはピッチングのコツを覚えた自信の表れ。貴重な勇者の左腕・宮本が2ケタ勝利に挑戦する。

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伊藤宏光

2024-03-26 21:32:49 | 日記
1983年
一つの目標だった10勝を昨年、やっと達成した。が、負け数も10であまり威張れない。この成績に伊藤の特徴がよく現れている。いわゆるムラだ。調子がいいと速球がズバズバと決まり、少々の打者では手も足も出ない程の快投を演じる。が、一つ間違うと無残なKOを喫してしまう。好不調の差が激しい点がネックだ。それでも10勝はプロ入り以来の念願だったから、伊藤にとっては自信につながる。世間でいう10勝級と呼ばれるようになったのである。「反省点がいっぱい。ボクはすぐ気持ちが守りに入る。去年もリードしていたゲームで、ピンチに立った時、もうダメという気になりかけた。そしたら監督がマウンドにきて、思い切って打たれてみろ、負けたらオレの責任だから、お前は結果を考えんでいい、といわれた。それで開き直ってうまくいったことがある。ことしはもっと強い気持ちを持って投げたい」伊藤は一歩成長した。タマの速さならチームナンバーワン。これは笠間も保証している。これだけの素質を生かせないはずはなく、精神力と粘り、テクニックが加われば15勝も夢ではない。小林復活の他に、今季の投手陣は伊藤、工藤が両輪。ローテーションの軸になって回転する。そのためには安定感、信頼度を増す必要がある。昨年オフは待望の結婚式をあげて二人三脚の新生活に入った。公私両面でひと回り大きく成長すれば、大飛躍も夢ではない。

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高橋三千丈

2024-03-26 21:24:59 | 日記
1979年
星野の後輩らしく、正面から勝負を挑む本格派。東京六大学では、どんな強打者がでてきても決して逃げず、その強気な投法で明大の島岡監督を感心させた。藤沢とともに一年目から一軍のマウンドを目指す。大学2、3年当時の速球、シュートの切れが戻れば、先発グループの仲間入りが期待できる。課題は大学4年のシーズンに見られた力み過ぎを矯正、カーブ、スライダーの二つを会得することだ。先輩・星野もプロ入り1勝までは苦労した。壁を乗り越える精神力は十分だろう。

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杉山知隆

2024-03-26 21:18:43 | 日記
1979年
前期の2勝から後期一気に7勝をあげてスパート。パの水になれた今季、大沢監督がもっとも期待する一人だ。時速145㌔のビッグ・スギ。昨年4勝(無敗)のライオンズの前にことしも大手を広げて「ストップ!」


1980年


昨年の8月18日。みちのく青森での南海戦にプロ入り初の完封勝利をあげるとともにこれも初の10勝台へ。力で押しまくる豪快さにプラスしたワザのピッチング。高橋直、佐伯との三本柱でチームの先陣を切る。

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松谷秀幸

2024-03-26 21:11:11 | 日記
2000年
秋季、春季大会ともベスト4。大会屈指の右腕松谷を擁し、優勝を狙う。松谷はストレート、変化球とも切れが良くなり、新しくフォークボールもマスターし、さらに安定度が増した。


140㌔台の速球を持ち、2年生だった昨年の夏から、興南のエースを務める。以来、大会関係者からは2年越しで「№1の本格派投手」と呼ばれている。181㌢、77㌔、右投げ。大阪市出身で沖縄とは特にゆかりはなかったが、中学時代にOBの紹介で同校を知った。他の近畿の高校からも誘われたが「沖縄のレベルは高いと知っていた。自分でやってみて、どんなレベルか確かめたかった」という気持ちで沖縄に。速球にもさらに磨きをかけ、スライダー、フォークと球種も増やし「№1」の評価を不動のものにした。しかし「特にその意識はない」と気負わない。一方、その戦歴は優勝には恵まれず、準優勝や4強に甘んじてきた。今春も準決勝で沖縄水産・友利と10奪三振を奪い合う投手戦を演じたが、0対1で破れた。「内容では負けていなかった。悔しい」と振り返る。高校生活最後の夏を迎えた。昨年の経験もある。満を持して「どうしても優勝して甲子園に行く」と闘志を燃やす。


松谷秀幸にとっては今までの人生の中で一番長い一日だったに違いない。ヤクルトから3位指名の連絡が入ると、最初は緊張した実情だったが、次第に笑顔が広がった。182㌢、78㌔、右投げ、右打ちの本格派。140㌔台のストレートを武器にカーブ、スライダーなど切れの良い変化球を持ち、夏の大会からフォークボールもマスターして安定感を増したことが高く評価された。松谷は「指名してくれただけで、うれしい」と喜びを表した。意中の球団はなく、中学二年のころからプロ野球を夢見ていた。中学を卒業後、甲子園を目指すため大阪から単身で沖縄へ。高校での目標達成はならなかったが、もう一つの夢をかなえた。ドラフト前にはヤクルト、巨人など5球団から指名したいとの連絡があったという。「高い評価で指名してくれて驚きでいっぱい」と複雑な心境も見せた。この日の興南高校では宮城悦夫校長、松谷、母親の恵美子さんが待機。球団から連絡が入ると安ど感が漂った。美恵子さんは「心配の方が大きい。気の弱いところがあるので、もっとずぶとくなってほしい」と気遣った。松谷はプロ入りに前向きな姿勢を見せ、「球界を代表する選手と早く対戦したい。三年後には一軍でプレーしたい」と意欲満々だった。


プロ野球のドラフト会議でヤクルトに3位指名された興南高の松谷秀幸投手(18)=182㌢、78㌔、右投げ右打ち=が二十日、那覇市内のホテルで仮契約を結んだ。契約金六千万円、年棒四百四十万円。背番号は未定。本契約は十二月二十日、ヤクルト本社で行われる。会見には松谷投手と母親の美恵子さん、ヤクルトの片岡宏雄取締役、酒井圭一スカウトが同席。松谷は少し緊張ぎみながらも「ほっとした気持ちです。一流の選手になれるよう、体づくりから頑張りたい」と抱負を述べた。目標は三年後の一軍入り。片岡取締役は「真っすぐの速さが魅力」と松谷を高く評価している。右本格派の松谷だが、目標は同じヤクルトの左腕・石井一久投手「真っすぐで三振を取れるピッチャーになりたい」と決意を表した。松谷は来年一月、東京の合宿所で行われる新人合同自主トレに参加する予定。ヤクルトは今年から浦添市で春季キャンプを張っており、引き続き来春も予定している。松谷は「沖縄のファンにも、見てもらいたい」と話していた。

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