1963年
大量整理の対象となっている南海・木村保外野手(28)は、四日午後、大阪・難波の大阪球場での練習中の鶴岡監督に「現役をしりぞきたい」と意向を伝え、こんごの身のふり方を相談した。監督は「スカウトか球団の職員になるように」とすすめたが即答せず、後日改めて話し合う。同選手は昨年右ヒザを痛め(関節炎)暮れに大阪市福島区の阪大病院で「完治の見込みがない」と診断された。このため会社から「キャンプ、オープン戦を見てから」と契約更改を保留されていたが、呉キャンプでまた右ヒザが悪化、二日からの練習にも参加できない状態で、すでに会社は整理することにきめていた。三十二年早大から投手として入団、新人王にえらばれたこともあるが、肩をこわし、三十六年に外野手に転向した。
木村選手「右ヒザが少し痛む。もうプレーするのはあきらめた。出向社員なので球団には残れるが、いまさら事務関係の仕事もできない。監督はスカウトになってはといってくれるが、少し考えたい。せっぱつまればウチの仕事(鉄工所)をやるつもりだ」
大量整理の対象となっている南海・木村保外野手(28)は、四日午後、大阪・難波の大阪球場での練習中の鶴岡監督に「現役をしりぞきたい」と意向を伝え、こんごの身のふり方を相談した。監督は「スカウトか球団の職員になるように」とすすめたが即答せず、後日改めて話し合う。同選手は昨年右ヒザを痛め(関節炎)暮れに大阪市福島区の阪大病院で「完治の見込みがない」と診断された。このため会社から「キャンプ、オープン戦を見てから」と契約更改を保留されていたが、呉キャンプでまた右ヒザが悪化、二日からの練習にも参加できない状態で、すでに会社は整理することにきめていた。三十二年早大から投手として入団、新人王にえらばれたこともあるが、肩をこわし、三十六年に外野手に転向した。
木村選手「右ヒザが少し痛む。もうプレーするのはあきらめた。出向社員なので球団には残れるが、いまさら事務関係の仕事もできない。監督はスカウトになってはといってくれるが、少し考えたい。せっぱつまればウチの仕事(鉄工所)をやるつもりだ」