プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

水尾嘉孝

2024-03-31 22:32:58 | 日記
1991年
プロ1年目の目標をズバリ「二桁勝利です」と水尾。昨年のドラフト前「ストレートの威力は小池(亜大ー松下電器)より上」と各球団のスカウトに評価された。本人が「思った以上に曲がる」と自信を持つスライダーの切れも、キャンプ時に評論家陣をうならせた。新人王の本命だ。


1993年


ドラフト1位の期待に応えられなかった2年間。しかし今年はバリバリやってくれそうだ。昨年、未勝利とはいえ一軍のマウンドを経験したことで自信を深めることができた。ヒジにもう不安はなく、後は下半身を鍛えてフォームの安定させれば、鋭い速球とスライダーが蘇るはずだ。今年はもう、前進あるのみだ。


1998年


昨シーズンの登板数68試合はチーム最多。本人も充実した1年だったと振り返る。幾多の故障を乗り越えての活躍だっただけに、大きな拍手を贈りたい。それでも、昨年の活躍がフロックではないことを証明するためにも、今季がより重要であることは水尾自身が一番よく知っている。また野村の抜けた穴を埋めるという大役も果たせなければならない。チームの責任はセットアッパーとして、今季もキレ味鋭いボールで勝負する。


1999年


2年連続でチーム最多登板(一昨年は68試合、昨年は55試合)となった水尾。昨年は左バッターのワンポイント的登板が多かったが、33回1/3の投球回数に対しての奪三振は31個を数え、幾度となくチームのピンチを救った。最近の野球では特に重用視されるセットアッパーとして、今季も水尾にかかる期待は小さくない。彼の強気のピッチングでゲームの流れをグッと引き寄せる。

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有働克也

2024-03-31 22:28:28 | 日記
1992年
長身を生かして真っ向から投げ下ろす本格派投手。140キロ台の威力あるストレートに加えて、2種類のカーブ、シュート、スライダー、フォークと球種も多彩。なおかつコントロールの良さもあって、ピッチングは幅広い。有働克也の目標は開幕一軍。もちろん即戦力として期待されていることは言うまでもない。一球一球に全力を注いで投げる有働のモットーは「全力この一球」

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松谷秀幸

2024-03-31 22:26:26 | 日記
2001年
2年夏からエース。甲子園経験こそないが、「2年越しの県№1投手」の評価だった。ヒジの使い方と腕の振りがよく、140キロ台速球とスライダー、フォークを駆使する。




契約金6000万。長身から投げ下ろす144キロのストレートが武器。チェンジアップ、カーブもいい。即戦力とはいかないまでも、大きく育てれば将来のエース級だ。バッティングセンスもあり、野手としての評価もある。ヤングスワローズの1人に。


2002年


ストレートでファウルを打たせて、最後もMAX145キロの速球で勝負。球種はほかにフォークとカーブを持つ。


2003年


ファームでチーム最多14試合先発。投球フォームも固まってきた。145キロ速球、カーブ、フォーク。近い将来、一軍昇格。

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泉正義

2024-03-31 22:22:35 | 日記
2002年
1984年、横浜市生まれ。中学3年時、瀬谷シニアで全国優勝、最優秀選手に。高校1年で夏の甲子園に背番号11で出場。今オフのドラフトでヤクルトが4巡目指名。150キロの速球と大きなカーブが武器。右投げ右打ち。1メートル84、80キロ。


2003年


中3シニア全国大会決勝で高井(1巡目)を破る。高1夏甲子園で鮮烈デビュー。高3夏県大会で150キロ。江川の再来と呼ばれ、メジャーも注目。「肩の状態がよければ155キロは出せる」。スライダーもいい。


2004年


肩をリハビリ中。じっくり治してほしい。後れて出てくる右腕からMAX150キロ。球質が重い、ハートも強い。フォーク習得中。将来のエース候補。

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小森孝憲

2024-03-31 22:14:53 | 日記
2002年
小森投手は、143キロの速球と、切れの良いスライダー、落差が大きいフォークを投げ、制球力も優れている。四年間の通算成績は20勝4敗、防御率1.16。目標は、ヤクルトの大先輩となる高津臣吾投手だ。


2003年


契約金1500万、最速143キロの直球とスライダー、シンカーなどをサイドスローで投げ込む。全国的には無名だが、プロで一旗揚げようと闘志満々。大学野球選手権に出場の経験あり、同期の稲嶺(ダイエー)と出世争いだ。


昨春プロキャンプへアマ派遣メンバー。サイドスロー気味の腕の振り出しから、スライダーとシュートのコンビネーションの投球を展開。8年連続で大学選手権出場の同大(北海道学生リーグ)から6人目のプロ選手。


2004年


スライダーとフォークの組み合わせで勝負する変則スリークォーター。カギは左打者対策。アテネ五輪代表候補に選出されている。

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鈴木貴志

2024-03-31 22:07:13 | 日記
1995年
旭川地区の三回戦で旭川北と対戦した旭川工の鈴木貴志投手(二年)がノーヒット・ノーランを達成。九回127球を投げ、打者29人から15奪三振。左上手から繰り出す速球と鋭いカーブ、スライダーがさえわたった。二回戦の羽幌戦では八回被安打1に抑えたが、制球の乱れからリズムを崩し1失点。試合終了後、佐藤桂一監督から「投手はまず完全試合を狙え。次にノーヒット・ノーラン、そして完封だ」と言われた通り、「今日は初回から狙った」。


1999年


攻めの姿勢で九回125球を投げ抜き、失点1で完投勝利を収めた鈴木貴志投手は「いい等級ができた」と久しぶりの完投勝ちに満足そう。内角を突く威力のある直球を主体に、カーブとスライダーを織りまぜた絶妙なコンビネーションで、法政大打線を封じた。大西豊勝監督も「攻撃的な投球で堂々とマウンドに立っていた」と次代を担う期待の若手の好投に目を細めた。旭川工3年時に出場した夏の甲子園で、敗れはしたが、PL学園から4連続奪三振を奪った左腕は健在だ。


2002年


ロッテから指名された鈴木投手は、身長1㍍73と小柄だが、左からのキレのあるスライダーが武器。高校時代は夏の甲子園で、初戦敗退したもののPL学園から立ち上がりの4連続を含む9三振を奪いスタンドを沸かせた。就職した王子製紙苫小牧工場野球部が解散し、愛知県の同社春日井工場へ転属。直球に磨きをかけ、今季は都市対抗、日本選手権の二大大会に出場するなど、27回3分の2投げて奪三振34、防御率1.30をマークした。


2003年


契約金5000万。旭川工では96年夏に甲子園出場。PL学園戦で前川(近鉄)と投げ合うも惜敗。社会人では00、02年と都市対抗に出場。コンスタントに140㌔台を出す直球と、緩急の利いた鋭いスライダーが武器。左腕だけに即戦力。

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片山文男

2024-03-31 21:45:06 | 日記
2002年
ブラジル留学生の一人、エース片山文男の短い夏が終わった。最後までこだわり続けたストレートは最速143キロをマーク。しかし、2本の本塁打を浴びるなど六回で降板。あこがれのマウンドはほろ苦かった。打者が一巡するまでは、すべてストレート勝負。ありえない配球とも思われるが「僕の武器ですから」と、後悔の言葉はなかった。四回からはスライダーなど変化球を織り交ぜた投球に切り替え、勝利への道を模索した。「両親も含め、みんなの応援に応えたかった」涙交じりの汗をぬぐい、声を振り絞った。


ヤクルトから6巡目で指名された日章学園高の片山文男投手(18)は30日、宮崎市内のホテルで同球団と仮契約を結んだ。すでに入団の意思を明らかにしていた片山は、丸山完二編成部長に球団の帽子をかぶせてもらい「うれしい。早くユニホームを着たくなった」と笑顔で話した。契約金3800万円、年棒460万円(いずれも推定)背番号は63。片山はブラジルのサンパウロ州アダマンティナ市出身。1年生から日章学園高に留学し、今夏の全国選手権大会にエースとして出場。本格派右腕で、直球は最速143キロをマークした。「頑張ってお金を稼いで、将来はブラジルにプロ野球選手を目指す子供たちのために「子供の家」(野球学校)を建てたい」と語り、契約金は全額両親にプレゼントする考え。丸山編成部長は「荒削りだが体に力がある。1、2年ですぐ(活躍)とはいかないが、長いスパンで育てる。打者に向ってどんどん投げ込むタイプの投手になってほしい」と期待を寄せた。12日の入団発表で、両親も交えて本契約を結ぶ。


ドラフト6巡目の片山は「早く1軍に上がって、巨人と対戦してみたい」ブラジル出身ながら、流ちょうな日本語で抱負を語った。担当の酒井スカウトが「すぐに150㌔を出せる能力がある投手」と高評価する逸材。対戦してみたい打者を問われると「カブレラ(西武)です」一度も笑顔がのぞかないほど緊張していたが、若松監督は「目つきがいいね。早くプロの体をつくって、はい上がってきてほしい」と期待していた。


2003年


中学時代、日系企業の奨学生となり、その関係で来日。昨年、日本国籍を取得。大きなフォームから投げ下ろす148キロの速球で母校を甲子園初出場に導いた。初戦で興誠高(静岡)に6回6失点も、自ら4安打を放った。


2004年


肩痛で昨年はリハビリに終始したが、02年夏の甲子園最速の148キロをマークした逸材。上半身が強く腕の振りが速い。持ち球はフォークとカーブ。

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