プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

井上卓也

2024-03-16 16:39:38 | 日記
1980年
投げおろすカーブは鋭いものを持っている。即戦力の実力を秘めており、一年目から一軍入りの可能性もある。性格が強いところから中継ぎ、抑えに適したタイプ。期待のルーキー。


1982年


リリーフ役が多い。上からのカーブを武器とする。今季は先発完投でいきたいもの。好きな言葉は根性だが、その根性で一軍入りを実現したいもの。

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福山龍太郎

2024-03-16 16:36:17 | 日記
2002年
左腕福山が「左キラー」で一軍入りを目指す。今年は4年目で初のキャンプ一軍スタートとあって、初日から3日連続のブルペン入りでアピール。この日は65球を投げ込んだ。「ボクの武器はシュート。インコースを厳しく攻めて、左のワンポイントとして生き残ります」一軍切符をかけたし烈なサバイバルを戦い抜くつもりだ。

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登記欣也

2024-03-16 16:31:17 | 日記
1979年
「上(一軍)の打者はバットの振りが鋭いですね」エース鈴木の代役として、待望の一軍入りをはたした近鉄のルーキー登記は、八回から一イニング投げて笹本に3ランを浴びがっくり。ファームで6勝を上げているものの一軍初デビューは苦いものとなった。「緊張してコントロールが甘くなった。ホームランは高めに入ったカーブです」と自分のピッチングができなかったことを悔やんでいた。

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石川厚

2024-03-16 16:22:33 | 日記
1978年
小学校は川崎(宮前小)だったが、父の仕事の関係で、韓国のソウルに移った。韓国も野球が盛んで、培文高へ進学すると、野球部に入部。石川の名前が韓国内に知れ渡ったのは2年生になってすぐの5月だった。韓国の全国大会である大統領旗争奪戦で、優勝候補の公修高を2安打に完封。それから速球には威力があるという情報が、巨人やロッテに入ってきた。ロッテのスカウトをしていた若生忠男氏が、金田監督の命令で渡韓した。卒業後の進路を打診するためだ。しかし、小学生の頃から巨人ファンだったため、「巨人でプレーしたい」といったため、若生氏は勧誘をあきらめたそうだ。だが、韓国内にいても正確な技術は分からない、石川自身も、「日本の高校に転校した方がいい」ということで、昨年の9月に福岡市の私立博多高校へ編入。下宿先は若生氏宅。巨人の勧誘を待ったが、ドラフトで指名されず。だが密かに石川と交渉し、昨年12月入団となった。ただ残念なことに合同自主トレには、ネンザのため参加できなかった。1月10日に若手だけの自主トレが合宿所近くのよみうりランドで始まったが、前日に合宿所入り。初日から自主トレに参加。次々とメニューを消化し、最後にサッカーに取り組んだがその際に球を蹴ろうとして右足首に「全治1週間のネンザ」をしてしまった。その痛みが2週間たっても消えないため、早く練習したいと焦るが、ゆっくり身体を治してドラフト組に負けない奮闘を期待しよう。


日本生まれの韓国籍で、ドラフト外で昨秋入団した本格派。「韓国の星」として騒がれて入団したが、イースタンの公式戦にはまだ一度も登板はない。ファームの休養日などには一軍の打撃練習にかり出されて後楽園のマウンドを踏んでいる。高田にプレゼントされた愛用のグラブには、韓国語で親孝行するなら、親が生きているうちにする…という意味の言葉がマジックペンで書かれている。ソウルの自宅を出発する時に父親の稠(しげる)さんが紙に書いてくれたのもの。このグラブは青島キャンプの時、25日間も早朝ランニングを続け、その皆勤賞として高田がくれたものだ。本格的な日本でのデビューはまだまだ先になりそうだが、「一軍入りするまでは、国に帰らない」という石川。

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石川厚

2024-03-16 15:55:19 | 日記
1977年
巨人は二十四日、ドラフト指名外の博多高・石川厚投手(19)=1㍍75、72㌔、右投右打=の入団を決めた。佐伯常務と山崎スカウトが同日午後三時、東京・九段のホテルグランドパレスで石川投手と父親稠さんに会い、契約金八百万円、年棒二百万円(いずれも推定)で契約した。ことしのドラフト会議後の入団第一号、正式発表は後日行われる。石川は日本生まれだが、韓国籍で中学時代ソウルに渡り、培文高で活躍。韓国高校球界では指折りの本格派速球投手として評判だった。ことし九月、日本でのプロ入りをめざし、福岡・博多高に入学、野球部には入らず自主トレをつづけていた。


石川投手「あこがれの巨人に入団が決まってとてもうれしい。スピードボールなら高校生ではだれにも負けない自信がある。得意なのはストレートだが、カーブ、シュート、フォークボールも投げられる。この夏、フォームを直してからコントロールもついてきた。好きなタイプは元阪神の村山さん。来年一月の自主トレから参加したい」


1978年


ソウルの星、石川厚投手(19)=博多高、1㍍76、73㌔、右投右打=もおもしろい存在だ。東京生まれだが韓国籍で中学、高校とソウルの学校に通った。韓国高校球界では指折りの好投手といわれたが、巨人にあこがれて昨年の九月、博多高に編入。ドラフト外で巨人入りした。自主トレ中に張り切りすぎて、足首をネンザする不運に見舞われたが、宮崎キャンプでは早朝五時半に一人起き出して、約5㌔のランニングを行い、同じ早朝散歩に出た長島監督をびっくりさせた。荒削りだが、力いっぱい投げ込むストレートは楽しみ。「村山さん(元阪神)のピッチングが目標」というとおり、全身を生かしたピッチングができるようになれば、馬力型投手として貴重な戦力になるだろう。


1980年


韓国の星と騒がれ、巨人に入団した石川厚投手(21)は、故国に帰って少年野球のコーチに。

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