プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

フリューリー

2024-03-10 21:18:37 | 日記
2002年
大リーグ経験はないが、マイナー13球団を渡り歩いた苦労人。432試合登板はすべてリリーフで通算67セーブを挙げている。コントロールがいいので、四球が少なく、首脳陣は中継ぎ、抑えを予定している。


昨季は3Aで59イニングで75奪三振。守護神候補。


プロ入りしたシーズンからリリーフ専門。メジャーは果たせなかったが、ウエイトの乗った速球は魅力。


開幕前はストッパーとして期待されていた助っ人・フリューリー投手。一軍開国人枠の関係もあり、残念ながらまだ一度も一軍出場をはたせないが、ファームでは好成績を残している。7月24日現在、中継ぎ、抑えとして27試合に登板、2勝0敗3S、32回2/3を投げ防御率は1.93をマーク。先日24日のヤクルト戦(鎌ヶ谷)では9回から登板すると、3者連続三振にしとめた。フリューリーに、後半戦大不振に陥っている一軍の救世主となってもらいたいところだ。


メジャー経験こそないが、昨季AAA級コロンバスでは59回で75奪三振のドクターK。
制球力も良く、四球を簡単に出さない投球は日本向き。井場とともにダブルストッパーに期待されている。


メジャー昇格はならなかったが、迎える打者を次々と三振に斬って取ったドクターK。
ストッパー候補だ。


日本ハムの新外国人でストッパー候補のパット・フリューリー投手(29=3Aコロンバス)が球団史上初?となる女子大生帯同キャンプを決行する。30日、成田着の航空機で来日したフリューリーは、7歳年下の婚約者ナタリー・コバルチュクさん(22)を伴っていた。空港での会見は、まるで婚約会見のようなラブラブぶりだった。ナタリーさんは米ネバダ大に通う現役バリバリの女子大生。「パットは生きてきた中で最高の人」と言えば、フリューリーも「エキサイトしています。日本は寒いと聞いていたが何だかベリーホットだね」とそり上げた頭から汗を噴き出し、顔を赤らめる。場所をはばからず2人は見つめ合っていた。ナタリーさんは以前から日本に親近感を抱いていたという。日本語で「スシ、イクラ」と好きなすしネタを挙げ「とっても大好き」と笑った。恋人が日本で野球をやると聞いて「私も行きたい」とおねだりして、一緒に太平洋を渡ってきた。アメリカではキャンプの家族帯同はごく普通のこと。球団関係者も「キャンプに帯同することになります」と温かく見守る。名護キャンプでは、外国人は日本人選手とは違うホテルを使用する。東シナ海に面したリゾートホテルで、バルコニーからはオーシャンビューが広がっている、といううらやましい環境だ。フリューリーはナタリーさんを抱き寄せながら「内角をついてどんどん攻めますよ」と活躍を誓っていた。

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フリューリー

2024-03-10 20:59:42 | 日記
2001年
日本ハムが3Aの精密機械をストッパーとして獲得することが9日、分かった。ヤンキース傘下3Aコロンバスのパット・フルーリー投手(28)=185㌢、100㌔、右投右打=で今季、抑えだったミラバルを先発転向させるため、来季は井場とのダブルストッパーで臨む。直球は140キロ台だが、針の穴を通す制球力とキレのいい変化球でも勝負できる頭脳派である。59イニングで28四球、75奪三振の数字が実力を証明する。93年、ロイヤルズに入団。メジャー経験こそないがマイナーでは中継ぎ、抑えでも活躍。今季も投手王国のヤ軍では出番はなかったが、3Aで44試合に登板し3勝3敗3S、防御率2.90。その数字がシーズンを通じて、安定していることを物語る。この日、ウインター・ミーティングに出席するため、渡米した小嶋武士球団社長は「日本野球になじみやすい技術と性格を持っている」と期待。業務提携を結ぶヤンキースを訪問し、フルーリー獲得のあいさつをした後、ボストンでのウインター・ミーティングで契約を結ぶ。


2002年


マイナーリーグでは持ち前の140キロ台後半の重い速球で先発、中継ぎ、抑えとして活躍した。ヤンキースへの昇格もあったが日本での新しい選手生活にかけた。首脳陣からは抑えの切り札として活躍が期待されている。その明るさからチームのムードメーカーとしても存在意義が高い。


新外国人、パトリック・フリューリー投手が30日来日した。「自分は向っていくタイプなので、直球で押していくし、インコースもどんどん攻めていく」と抱負を語った。


新外国人のフリューリーが婚約者のナタリーさんと名護中央公園に出かけた。お目当ての満開の桜に「ベリービューティフル!」を連発。「日本では桜がきれいだという話は聞いていた。絶対見に行こうと話していたんだ。歩きすぎて疲れたけどいい運動だよ」デートにトレーニングと、一石二鳥の一日となった。


新外国人フリューリー投手が、ド派手なデビューを飾った。来日してまだ3日目。キャンプ初日にいきなりブルペンに入った。「最初から行くよ」の言葉通り、捕手を座らせて約40球を投げ込む意気込みようだ。この日は新ストライクゾーンの初日。審判の判定に注目が集まるなか、大島監督もバッターボックスに足を運んだ。ところが、フリューリーの直球が頭付近を通過。持ち前の反射神経でとっさにかがんで事なきを得たが、監督は苦笑い。「アイツ、朝にあいさつしたのに、今度はボールはボールを持ってあいさつするんだから」フリューリーは「手が滑っちゃったんだ。別に他意なんかないよ。監督は熱血漢?そいつは頼もしいよね。ガハハハハハ。」と豪快に笑った。精密機械のような制球力がウリの新守護神候補。監督にビーンボールなんて大丈夫?


1点リードの9回。送り出した新ストッパーのフリューリーが毎度おなじみのヒヤヒヤ劇を演じる。川口、高須に連続長短打を浴びて無死一、三塁。後続の古久保を中飛、阿部を二ゴロ併殺に打ち取り、何とか逃げ切ったが、大島監督にとっては心の底から喜べなかった。「あとは後ろ(抑え)の問題だよなあ」報道陣への第一声が、ため息交じりになった。先発陣が順調な調整を続け、期待をふくらませるなか、抑えへの不安は日々増大していく。昨年までの守護神ミラバルを先発に回し、フリューリーに大役を任せる決断をしたが、その新守護神がピリッとした投球を一度も見せない。7日のロッテ戦、9日のヤクルト戦と常に塁上に走者をにぎわしてのピッチング。「きょうはクイックの練習をしようと思った。(走者を出して)いい練習になった」フリューリーはうそぶいたが、誰もそんな言い訳は信用していない。「抑えはだれがいいのか、みなさん(報道陣)が決めてくれませんか」浅野投手コーチの悩みが、また深くなった。


仏の顔も三度まで。ついに大島監督の堪忍袋の緒が切れた。「今のままじゃあキツイね。だれかを探さないといけない。後ろ(抑え)のことを考えると、心配で夜も眠れんよ」ダメ魔神・フリューリーに、とうとう失格のらく印を押した。1点リードの8回に登板した右腕は、いきなり葛城に中越え二塁打を浴び、後続の外野大飛球2本、同点に追いつかれた。さらに、後藤に四球を与え、盗塁まで許すドタバタぶり。これまで4度の登板も同様の内容では、指揮官も厳しい決断を下さざるを得ない。火消しどころか「放火魔」と化した期待の新外国人。「開幕までは2週間あるので、心配はしないで。期待していてくれ」とフリューリーは言ったが、首脳陣の我慢も限界に達した。「開幕まで、いろいろと試してはみるけど…」と大島監督。新ストッパーの候補には、2年目の井場らが挙がっている。

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松岡清治

2024-03-10 20:22:19 | 日記
1976年
すごい自信家。昨シーズンまでのヤクルトでもこの自信が過信となって伸び悩みにつながった。かつては松岡弘と互角にせった本格派。「本気で一から出直す」という誓いがまともに展開すれば、伏兵以上の成績につながる。


1977年


修徳高時代から定評のあった速球は健在。課題のコントロールもつき、いよいよ登板OK。キャンプを通じ、金田監督がしきりに松岡の名を口にして期待の大きさをにおわせれば、松岡も改名してやる気十分だ。

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黒田祐輔

2024-03-10 20:17:09 | 日記
2008年
チーム三番目となる身長190㎝の大型右腕。MAX149㌔の角度のある直球と、スライダー、シュート、フォーク等多彩な変化球を操る。大学を中退し約1年近く実戦から離れていただけに、実力を発揮するまでには多少の時間を要するかもしれないが、身体能力の高さには定評があるだけに楽しみな存在だ。

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今井圭吾

2024-03-10 20:14:36 | 日記
1997年
昨年秋の関西学生リーグで6試合に登板、4完封を含む無傷の6勝、防御率0.64という圧倒的な戦績でMVP、最優秀投手に輝き、近大完全優勝の立役者になった右腕エース。対立命戦では9回2死までノーヒットノーランの快投も演じている。大学通算22勝7敗。関西学生球界の№1投手がMAX147㌔の速球に鋭いフォークをひっさげてのプロ入り。平成2年、近大から日本ハムに入団しいきなり10勝をマークした酒井の数字に肩を並べることが出来るか、楽しみなデビューだ。


1998年


4月16日の西武戦でルーキー一番乗りとなる完封勝利を挙げ、周囲を驚かせたのは記憶に新しい。名門・近大で鍛えられあげられた制球力、配球の鋭い読みは即戦力として期待どおりの働きだった。それがその後プッツリ白星から遠ざかっていったのは何故か。好投が報われなかった時もあったが、「新人に負けてたまるか」という相手打者の強烈なしっぺ返しは予想以上に厳しかった。経験を積んだ2年目こそ、この借りを返したい。


1999年


イースタンではチーム最多の7勝、124回を投げて着実に足場を固めたが、その顔に悔しさもにじんでいる。一軍戦2試合の登板では伸び盛りの今井にとって物足りなさを感じたことだろう。一球の恐ろしさを身を持って経験したのは10月2日の西武戦。不慣れなリリーフとは言え、勝負どころでマルティネスの2ランは痛かった。ファームでくすぶるような右腕ではない。それこそ主戦に食い込むくらいのギラギラした輝きが見たい。


2000年


落合とともにお立ち台に上がったルーキー時代が懐かしい。平成9年4月16日西武戦(東京D)、プロ初勝利を鮮やかな完封で飾っている。あれから3年、プロ通算が脚光を浴びたあの1勝のみに終わっていることが気になる。8月20日ダイエー戦(福岡D)では中継ぎとして5奪三振の力投を見せながらも与えた5四球がそのまま失点に結びついている。昨季一軍戦16回2/3を投げて16四球。まず1イニングに1度のペースで与えてしまっている
四球の数を減らしたい。守っている野手から信頼されるようなリズム良いピッチングを見せたときこそ、自ずと白星もついてくるはずだ。


2001年


平成9年のシーズンを今でもよく思い出す。ルーキーとして颯爽とデビューしたドラフト1位の矢野と2位の今井の伊予怪腕コンビが織り成した将来への明るい展望は、まさにバラ色だった。その両雄が揃って翌年からプッツリと暗い低迷の道を歩んでしまおうとは、正直思いもしなかった。時に今井だ。打者をうち取る一流のテクニック、ダブルプレーが欲しい場面では注文通りにキッチリはめ込んだ右腕もここ数年は思い通りにいかず、もがき苦しんでいる。ここでひるむ訳にいかない。イバラの道を歩んだ苦い経験を笑顔で振り返られるような、そんな充実したプロ5年目にして欲しいものだ。


2002年


昨年も一軍のマウンドを踏むことができなかった。イースタン戦15試合に登板し防御率7.88…。平成11年を最後に鳴りを潜めてからもう数年の歳月が流れようとしているが、そんな今井にもひとつの転機が訪れている。シーズン中盤からはプロ入り5年目にして初めてサイドスローに挑戦し「なりふり構わず生き残りたい」男の執念が伝わってくる。10月13日コスモス・リーグのダイエー戦(鎌ヶ谷)では横手投げから特徴を十二分に生かした味のある内容で2回を無失点に抑え笑顔が戻りつつある。これも遅まきながら勝利に貢献できた明るい材料だ。自らのプライドをかなぐり捨て、今井が捨て身の反撃に出ようとしている。

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カスティーヨ

2024-03-10 20:07:59 | 日記
2002年
ダイエーの新外国人カスティーヨ投手が2日ブルペンで体重120キロ近い巨体から想像もつかない変幻投球を見せた。ボールを握れば表情がガラリと変わる。しなやかな腕の振りから、MAX150㌔に近いストレートにシンカー、カーブ、スライダー、チェンジアップ、スプリットフィンガーの5種類の変化球を織り交ぜ技巧派ぶりもアピール。何食わぬ顔で突然サイドスローにも変身し、上から横からで計10種類の持ち球、合計45球の投球を終え、胸を張って引き揚げた。

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