1983年
大洋の新人・広瀬(3年目)が好投、八回二死から斎藤の救援を受けたが、見事に初勝利を挙げた。制球がいまひとつで再三ピンチを招いたが、許した得点は四、八回の2点だけ。左投手特有の右打者の外角をつくシュート、内角低めの速球が効果的で、ヤクルト打線は的が絞れず3併殺。連打したのは八回の一度だけだった。
1985年
近藤監督が今季の秘密兵器の一つにあげていた5年目の左腕広瀬が、今季初登板、しかも先発でうれしい1勝。昨季はヒジを痛めて棒に振っているから「思い通りに投げられた」と言葉も弾んだ。伸びのある速球とスライダー、鋭いシュートで六回まで4安打されながらも、巧みに打たせて取り無失点。左腕不足の大洋にとって広瀬の成長は明るい材料。「今年はやってくれそう」と近藤監督は目を細めていた。
大洋の新人・広瀬(3年目)が好投、八回二死から斎藤の救援を受けたが、見事に初勝利を挙げた。制球がいまひとつで再三ピンチを招いたが、許した得点は四、八回の2点だけ。左投手特有の右打者の外角をつくシュート、内角低めの速球が効果的で、ヤクルト打線は的が絞れず3併殺。連打したのは八回の一度だけだった。
1985年
近藤監督が今季の秘密兵器の一つにあげていた5年目の左腕広瀬が、今季初登板、しかも先発でうれしい1勝。昨季はヒジを痛めて棒に振っているから「思い通りに投げられた」と言葉も弾んだ。伸びのある速球とスライダー、鋭いシュートで六回まで4安打されながらも、巧みに打たせて取り無失点。左腕不足の大洋にとって広瀬の成長は明るい材料。「今年はやってくれそう」と近藤監督は目を細めていた。