プロ野球 OB投手資料ブログ

昔の投手の情報を書きたいと思ってます

山口辰也

2024-12-14 23:51:40 | 日記
1985年
二つのアクシデントが、あきらめかけていた夢を現実に近づけてくれた。「高校(鹿児島・錦江湾高)時代から、野球でダメならこの道に入ろうと思っていたんです」それは歯科技工士への道だ。今季三年目、一軍入り目指して紅白戦でアーチを放つなど順調なスタートを切りながら右手首を練習中に骨折。加えて肩まで壊してしまい野球での夢は断念せざる得なくなった。そして決心したのがもう一つの夢。「英語と数学、国語。また勉強のし直しです」ー専門学校への願書も出し、あとは入学の日を待つばかりだ。


変わり種転向組


東利夫=パ審判
石本龍臣=競輪選手
定岡正二=タレント
福島敬光=読売銀行
加藤俊夫=スナック経営
稲葉進=犬の美容師
大河原栄=佐川急便
平田恒男=佐川急便
山口辰也=歯科技工士
永本裕章=スナック経営
木村勝=山元リース
葛川健司=板橋総合病院
長谷川達栄=長谷川農場
粕谷和彦=大阪府庁
林正広=パ審判

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ラミレズ

2024-12-14 23:42:29 | 日記
1999年
陽気なラテン気質そのままに終始、軽快なジョークが口を突いた。「セールスポイントは全部秘密だから教えられないよ」「今度、男の子が生まれたら阪神でプレーさせたいね」次から次へと繰り出される質問に、ちゃめっ気たっぷりに答えていたラミレズ。だが最後の最後、来季の抱負を問われた時にだけ、その瞳は本気度100%に変った。「もちろん期待が高いことは分かっている。10勝?明言はしたくないんだけど、出来ればもっと勝ちたいと思っているよ」MAXは149㌔だが、カーブ、スライダー、チェンジアップ、シンカーを巧みに操るメキシコの怪腕の実力はダテじゃない。メキシカン・リーグ通算73勝。勝率・695は同リーグの史上最高記録でもある。メジャー実績は通算53試合で2勝5敗1セーブと物足りないが、強打者ぞろいで有名なメキシカン・リーグで95、96年と二年連続ノーヒットノーランを達成した投球術は本物の気配を十分に感じさせる。「それに直球とカーブはどんなカウントでもストライクを投げられる」と制球難の心配もなさそう。また「何事も一生懸命にやるのがモットーだ。それに他人に負けるのが大嫌いなんだ」ハートの強さも相当なもの。高い技術に強じんな精神力。投手に必要な要素を、ラミレズは高次元で持ち合わせている。


2000年


メジャーでは2勝ながら、メキシコ・リーグでは2度のノーヒットノーラン。通算勝率・695は史上最高記録として今も残っている。149キロをポンポンと投げ込む姿は「メトラリーダ」英語で「マシンガン」の異名を持つ快速左腕がマウンドで火を噴く。

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服部裕昭

2024-12-14 23:32:56 | 日記
1985年
まだ非力なところはあるが、球離れが非常によく、小さな切れのいいカーブを持っているサウスポー。レベルの高い千葉ではベスト8が精いっぱいだったが、今春は銚子西と対戦し、敗れはしたが強力打線を1点に抑えた。ストレートは135㌔台だが、体が出来上がってくれば先発完投する能力を秘めた本格派。182㌢、74㌔。


まさかプロから指名されるなんて思ってもいませんでした。一応、住友金属に内定しているし…。結論は監督さん(高橋監督)や母(甫紗子さん)と相談して決めたいと思ってます。

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酒井光次郎

2024-12-14 23:24:51 | 日記
1989年
酒井が一番信頼しているのが、女房役の中西だ。松田総監督からも絶対の信頼を置かれているのも中西。試合前、松田総監督は酒井に直接コンディションを聞くことはない。すべて中西にたずねる。そして酒井も自分の状態をすべて中西に伝えておく。大学選手権の準決勝、法大との大一番の時だ。酒井は「きょうはアカン、オヤジ(松田総監督)に調子を聞かれたらアカンといってくれ」と中西にいった。だが中西もそのまま伝えることはできない。エースと監督の間で中西は悩んだ。そして「酒井の球は走ってなくても、オレがちゃんとリードしてやれば…」と思う。ストレート、カーブ、シュート、スライダー、シンカー、フォーク…と持てる球をすべて使って法大を12回完封に牛耳った。酒井の連続無失点の陰に中西あり。


1990年


2年連続して春の全日本選手権に優勝、昨年秋の明治神宮大会でも、東京六大学リーグの覇者立大を倒して日本一になった関西の雄、近大のエース。リーグ通算19勝をマーク、6季連続優勝の立役者になったのだが、高校、大学、社会人とあわせ「アマ球界№1サウスポー」との下馬評が高い多彩な変化球が「ボール半個分出し入れできる」といわれるほど見事にコントロールされ、80回1/3イニング無失点の快記録をモノにしている。野茂、潮崎らとの「新人王」争いが楽しみだ。


1991年


野球人とは思えない色の白さ。ナインは名前の「光次郎」をもじって「イロジロー」と呼ぶ。普通人と変わらない体格、まだまだ学生で十分通じる幼な顔とあいまって、背広姿の酒井は一流サラリーマンといった風貌だ。このやさ男がユニホーム姿でひとたびマウンドに立てば、大男をキリキリ舞いさせる刺客に一変するのだから面白い。圧巻は、投手陣にそろそろへばりがくる8月だった。5日のダイエー戦にプロ入り初のシャットアウト勝をおさめたあとも、ロッテ戦に完投、オリックス、ダイエー戦に連続完封と、この月、4試合に投げ、36イニングスで失点1という離れ業を演じたのである。大小2種類のカーブを巧みにあやつって討ち取っていくテクニシャンぶりは、これがルーキーか、と思えるほど心にくいばかりのマウンドさばきだった。勝って興奮することもなく、打たれて落ち込む様子もない。ただただ平静、冷静。静かなる男に2年目のジンクスって、あるのだろうか。


1997年


昨年痛めた腰の具合が心配されたが、再検査の結果を待って正式に合格。タイガースでは、若い先発陣を援護する貴重な中継ぎとして、プロ1年目に10勝をマークした左腕の完全復活に期待。

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川俣ヒロアキ

2024-12-14 13:10:45 | 日記
2002年
身長191㌢。ロッテ時代はパ・リーグ日本人最長身投手として注目されたが、在籍5年間で0勝と勝ちに恵まれず、昨オフに解雇。しかし阪神の入団テストでは、145㌔前後の角度のある投球を披露。佐藤コーチをして「直球はドラフトで獲るなら1億円クラス」と言わしめた。課題の投球術に磨きをかけて、再び先発の夢を追う。

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酒井弘樹

2024-12-14 13:01:31 | 日記
2001年
一昨年手術した右肘は完治。常時140キロ台後半のストレートとキレのあるスライダー、落差の大きいフォークで強打者を翻弄。ランナーを背負った背水のマウンドでも三振を斬ってとる剛球右腕に、ピンチに強い中継ぎとして大きな期待がかかる。

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今村文昭

2024-12-14 12:59:34 | 日記
2001年
青波に秘密兵器が誕生ー。昨年十月、投手に再転向したオリックス・今村文昭投手(23)が十一日、紅白戦に登板し、2回を1安打1三振無失点に抑える好投を見せた。本格的な投球練習からまだ日は浅いが、落ち着いたマウンドさばきに、首脳陣の評価も上々だ。「ストライクが取れるか、不安だった」(今村)という初登板だったが、カウント不利でもスライダーで簡単にストライクを奪った。そこに戎、加藤ら教わったシュート、MAX138㌔のストレートを効果的に交えて零封。「初めてにしては上出来」と白い歯がこぼれた。九州学院時代まで投手だった。三年の夏にはMAX145㌔の速球で熊本県大会決勝まで進出。だが非凡な打撃センスを買われ、内野手として95年ドラフト1位で入団した。当時はイチロー二世とも騒がれた。昨秋、投手への復帰を首脳陣から打診された際には「かなり悩んだ」というが、今は未練を断ち切り、投手一本の決意を固めた。立場はまだ二軍。今回はテスト登板だったが小気味いい。打者に臆せず向かって行く」と仰木監督も一軍昇格を示唆。「とにかくチャンスを生かしたい」まだまだ発展途上の今村が、青波投手陣に殴りこみをかける。

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